第918話 セラームルの泣き声
――レプターラ、セラームルの王宮内にて。
ミッケルバードの様子はオルバートたちが会議室に残していったモニターで中継され、留守を任された者がしょっちゅう覗きに顔を出していた。
もちろん常に戦況を把握しておくために数名の観測者が留まっているが、そんな観測者など必要ないのではと思ってしまうほど入れ代わり立ち代わり人が現れる。
モニター前で腕を組みその様子を見ていたミドラは眉間を抑えて口を開いた。
「気持ちはわかるが職務は全うしてくれ。緊急時に持ち場にいなければ意味がない」
小さなモニターを覗き込んでいた兵士や侍女、果てはシェフや庭師たちは王配であるミドラの言葉にハッとすると慌てて退室する。
リオニャもベンジャミルタも不在であり、タルハも幼いのが現状だ。
加えてリオニャに兄弟はおらず、この場で最も権力を持っているのはミドラということになる。
そんな大それた地位でもやってることは見張り番に近いが、と思いながらミドラはモニターに目を凝らした。
各所の戦闘の様子が映し出されている。
優勢劣勢は場所により異なっており、ぶつかった魔獣との相性が大きく影響している様子だった。
だからといって相性の良い魔獣のもとへ派遣するには時間も移動速度も足りない。
治療師団以外は意図していない限り属性が偏りすぎないようにしてあるが、そうすると今度は有効打が減ってしまい戦いが長引くというパターンもあるようだ。
そしてミッケルバードは島だが狭いとは言い難い。
広範囲を対象とした上下左右どこからでも狙われる戦場である。苦戦を強いられることは必至と言えた。
「リオニャたちは大丈夫だとは思うが……」
映像はシァシァのバグロボたちにより撮影されているが、見たいと思った場所をピンポイントに見れるわけではない。
操作すれば可能だがそれを操るシァシァは戦場に出向いているため、バグロボたちは全自動で飛び回りランダムに各所を撮影しているだけだ。
(しかも開戦時から目の数が減った。魔獣に狙われたか巻き込まれたんだな)
バグロボに戦闘機能は備わっておらず、機動性を重視しており装甲も薄くて軽い。
そのため出発前にシァシァが追加で作ったものを含めても半数以下に減っていた。
戦闘が長引けばそのうち映像で状況を知ることはできなくなるだろう。
ミドラが難しい顔をしていると、そこへ顔を出したのはメリーシャとタルハだった。メリーシャはタルハを抱っこしたまま歯を覗かせて笑う。
「お疲れ! そろそろ交代しよう。あとタルハがミドラと飯を食べたがってたぞ」
「もうそんな時間か。わかった」
ミドラはタルハを抱いて受け取り、席を立つと廊下へと出る。
時刻は昼を過ぎたところ。タルハとしても遅めの昼食だが、ミドラと一緒に食べることを好んでいるため待っていたようだ。
「タルハ、今日はリンゴをすり下ろそうか。甘くて美味しいものが手に入ったんだ」
「ん」
「なんだ、元気がないな?」
タルハはまだ喋ることができない赤ん坊である。
しかしその声音や表情からある程度の機微を察することはできた。元気がないということも、それが空腹からではないということも。
ミドラはタルハの翼の付け根を撫でるようにぽんぽんと優しく叩く。
「大丈夫だ、お前のママもパパも引くくらい強いからな。お前がここで元気にしてれば絶対に帰ってくるさ」
だから心配するな、と言った言葉をわかっているのかいないのか、タルハは頷くような動作を見せた後――特に意味もなくミドラの肩をがぷりと噛んだ。
ドラゴニュートの血の影響か、タルハは生後三週間から立派な歯が生えてきたためなかなかに痛い。
やっぱり赤ん坊は赤ん坊だな、とミドラは笑う。
そうやって気を緩めた時だった。
「……!? どうした、舌でも噛んだのか?」
タルハが突然体を震わせたかと思うと大声で泣き始めたのである。
リオニャと同様にタルハは丈夫も丈夫であり、二階から落ちても怪我ひとつしない。しかし自前の歯で噛んだ場合はどうなのか。
ミドラは慌ててタルハの口を確認したが、特に傷らしきものは見当たらなかった。
安堵したもののタルハは泣き止まない。
(……普段と泣き方が違う?)
なにかに怯えているような異常な泣き方だった。
ミドラに魔導師の才能は無いが、タルハはベンジャミルタの血を継いでいるため一般人には見えないもの――もしくは感じ取れないものがわかるのかもしれない。
タルハの視線の先は南を向いていた。
ミッケルバードのある方角である。
ミドラに言い知れぬ悪寒が走った瞬間、血相を変えたメリーシャが廊下の先から走り寄ってミドラの手を引いた。
普段の彼女からは想像もできないほど混乱と焦りが混ざり合った表情をしている。
「ミッケルバードの多重契約結界が壊された!」
「なっ……」
「最悪すぎるなこれ! 急いで避難の最終確認とセラームル外の避難区への連絡をしてくる。他国への連絡は今ミロンドたちがやってくれてるから、ミドラはタルハを連れて地下に避難してくれ!」
手筈通りだ。
しかし実行するような状況にはなってほしくなかった。
ミドラは下唇を噛みながら頷くと「気をつけろ」とルースト時代からの仲間であるメリーシャに声をかけて走り出す。
その背に鼓舞するように明るい声がかかった。
「任せといて! メルカッツェにーちゃんも戦場で頑張ってるんだ、こっちもなんとか持ち堪えてみせる!」





