第913話 世界心中 【★】
かつてシァシァが伊織とヨルシャミに語った話は彼が稀少な観測データと転移者や転生者から寄せ集めたデータで組み立てたもので、予想の域は出なかった。
シェミリザは世界の狭間にいた魔獣の記憶から直接得た生々しい情報をもとに話している。
今こうしている間にも内側からふつふつと湧き上がる魔獣としての本能。
これは裏返せば生存本能だ。
元から生者もどきだというのに、死にたくないと足掻く『平穏な生』への渇望だ。
それにより穴を閉じようとも未来的にもたらされる終末をわかっていながら、今この時に幕引きをしようとしているのはなぜか。
――問わずともわかることか、と静夏は口元を震わせた。
「お前は、この世界が最悪な死に方をする前に終わらせたかったのか」
世界の穴が広がり、侵略されて世界が終わるのも酷い結末だ。
しかしその後に待ち構えているものと比べれば天と地ほどの差がある。
そして猶予があるとはいえ、長命種も命は有限だ。
これから起こることをわかっている者がシェミリザだけだとすれば、己の手で幕引きをすると決めたなら今こうして行動に移したのも頷ける。
「……しかし志を共にする者を募り、持ち堪えられる境界線まで延命することは叶わなかったのか」
『あなたのように簡単に信じる者ばかりではないわ。世界の全員が予知を使えるなら話は別だけれど、それはそれで問題が起こったでしょうね』
手を取り合うのは喜ばしいことだが、あまりにも大規模な危機を知った者たちが全員で力を合わせ、別世界へ移住する計画を立てたかもしれない。
移住といえば響きが良いが、つまりはこの世界の住人がどこかの世界にとっての第二の魔獣になる可能性もあったということだ。
シェミリザは暗い目で地面を見る。
『それに、今現在すでに苦しんでいる者に死ぬギリギリまで持ち堪えろなんて言うのは、ひどく酷なことでしょう?』
「……私はかつてそう思われる側だった。皆がそうであるとは言えないが、自分が苦しくとも少しでも長く生きたいと願ったことがある」
静夏はシェミリザを見上げたまま一歩前へと出た。
「世界の神が救世主を呼んだのは少しでも長く生きたがっているからだろう」
『――そうなんでしょうね。でも無理やり延命させることが最善で正しく真っ当な正義だなんて思えないわ』
もちろんわたしにも言えることだけれど。
そう続けながらシェミリザは己の下心を吐露した。
『わたしも足掻くのに疲れてしまった。そして世界の穴を逃したらこの世界を殺す術がなくなるかもしれない。だから、一緒に死にたかったのよ』
「シェミリザよ、お前がこの世界をそうまでして苦しみから解放させたがっているのは……」
『わたしだって人並みの感情はあるわ。この世界はわたしにとって大切な相手。大事なひと。――恋焦がれる大いなるもの』
シェミリザがずっとずっと愛情を向けてきたのはこの世界そのもの。
それは伊織や静夏たちをこの世界へ呼び入れた、世界の神だった。
姿形が定まっていなければ性別の概念もない相手だ。
しかしそんなことはシェミリザにとっては些細なことだった。問題として扱ったことすらない。
初めて存在を認識した時から、シェミリザにとって世界の神はかけがえのない存在だった。
『世界の神は自分の中に生きるものを全て慈しんでいるわ』
シェミリザは予知の中で何度となく目にしてきた世界の神の姿を反芻する。
世界の神は自身の中で思考し自立する生き物を気味悪がるどころか慈しみ、愛していた。
『悪足掻きも自分の延命のためだけじゃなく、自分の中にいる生き物たちがより長く生き永らえられるようにしたかったから。予知の中であの人を見て、わたしは――わたしは初めて、自分を大切にしてくれる人がいたと知った』
その愛情はシェミリザが初めて感じるものだった。
生まれ育った故郷からも、血の繋がった家族からも与えられたことのないものだ。
個人に対するものでなくとも気にならないほどの満足感はまるで天啓のようで、沁み込むその感情に自然と涙が流れる。
その涙の帳が上がる前に、シェミリザは世界の神の凄惨な死に様を見た。
初めは回避する方法を探ったがどうにもならず、時折勝手に見せられる未来に疲弊し、苦しみ、摩耗し、最後に辿り着いたのが世界と共に死ぬこと。
世界との心中である。
そう言い終えたシェミリザは蛇の体をくねらせ、静夏に顔を寄せて言い放つ。
『愛するものに気が狂っても狂い足りない地獄を見せるくらいなら、自分の手で殺してあげたい。そして自分も一緒に死ぬ。こんなのは歪んでいるけれど、ありふれた感情でしょう?』
「――私にお前の想いは否定できない」
『あら、嬉しいわね』
「だが私自身の想いも否定できない。……酷であろうが私もこの世界の延命の方法を考え、その時が来る瞬間まで足掻きたいからだ」
シェミリザに罵倒されることも予想した上での言葉だった。
シェミリザの行ないは看過できないが、内に秘めていた想いは理解できる。
その上で、己の想いは曲げない。
視線にそんな考えを込めた静夏を見て、シェミリザは胸元に両手を添えて言った。
『その想い、わたしも否定しないわ』
「理解して尚、相容れぬなら――」
『戦うしかないわね』
絶望の道連れにはできなかったが、理解者は得られた。
最期に楽しい思い出をありがとう。
そう呟くように言ったシェミリザの周囲に、円を描くように圧縮されぎちぎちと音を漏らす黒炎の塊がいくつも現れる。
それはかつて静夏を燃やし、噛みつくような痛みを伴う酷い火傷を負わせた消えない炎だった。
シェミリザ(絵:縁代まと)
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