第910話 わたしにも応えてくれるのかしら
よく知った喋り方に静夏は眉根を寄せた。
静夏自身は当時その場にはいなかったが、シェミリザは助かりそうにもない深傷を負った状態で逃げたという。
その時の彼女は魔力もほとんど残っておらず、転移魔法を使ってもミッケルバードから出ることは叶わなかっただろうとヨルシャミは言っていた。
その後に世界の穴が根を下ろし、魔獣の巣窟と化したこの島で瀕死状態のシェミリザが生き残っているはずがない。
高い確率で死んだはずだ、という意見が仲間たちの総意となっていたが――目の前の巨大な単眼の蛇はシェミリザとしか思えない口調で静夏に話しかける。
『あら……魔獣に話しかけられて驚いた?』
「お前はシェミリザなのか」
『そうね、自覚している自我はわたしのものよ。肉体も――どうかしら、多少は元の細胞が含まれているかもしれないけれど』
些細な問題だから気にしてなかったわ、とシェミリザは笑った。
魔獣の身に堕ちてもまったく動揺していないということは、これは彼女が予想済み、もしくはこうなるように自らなにかを仕掛けた結果なのだろうと静夏は察する。
「お前の目的は魔獣になることだったのか……?」
『いいえ。これは手段のひとつ。目的を果たすのに最適だっただけ』
シェミリザは単眼をスッと細め、静夏を凝視した。
『こうしてもう一度わたしとして動けたのは想定外だったけれど……世界を滅ぼす一助になれば、と肉体ごとわたしの知恵を渡したのよ』
そういう魔法を作ったの、と当たり前のように言い放ってシェミリザはにっこりと微笑む。
魔獣の急な知能強化はその影響である可能性があった。
シェミリザは嘘を言っていないと感じ取った静夏は拳を固く握る。
「なぜそんなことをするのか問うても答えないのだろう」
『あら、まず問う理由もないでしょう? 理由を聞いてもあなたが譲歩なんてしないのはわかっているわ。だから』
シェミリザは影の翼を大きく広げた。
暗い大地に更に暗い影が落ちる。
『さあ、戦いましょう。わたしもあなたを殺すのにどれくらいの力が要るか指針が欲しいの』
「データを取るだけのような口振りだが、お前にはここで終わってもらおう」
シェミリザは体を大きくうねらせると粉塵を舞い散らせて羽ばたき、筋肉をしならせて静夏へと飛び掛かる。
静夏はそれを受け止め捕獲しようと両腕を広げたが、その時に異変があった。
シエルギータを含む各所に倒れた人々の傍らに突如として様々な獣が現れたのだ。
魔獣ではない。シェミリザが呼び出した召喚獣たちである。
「……!」
刹那の間だったが召喚獣たちが何をしようとしているのかはわかった。
瀕死の者にとどめを、既に事切れた者にはわざわざ冒涜をしようとしているのだ。
それは明らかに静夏の注意を逸らすためのもので、シェミリザが会話に応じていたのはこの下準備をしていたからだった。
――なんと卑劣な。
そう心を震わせた静夏は険しい表情を浮かべたが、この戦場で卑劣さを糾弾したところで意味はない。
「ならば私も抗うのみだ、……はああああッ!!」
ミュゲイラを守るように立った静夏は自ら前へと飛び出すとシェミリザの鼻先にしがみつき、間髪入れずに首の筋肉と肩の筋肉を駆使して頭突きを食わらせた。
固い音が響き渡る。
それは頭蓋骨によるものではなく、静夏の前頭筋によるものだった。
『……ッ』
鱗があっという間にへしゃげ、生み出された衝撃波が単眼の毛細血管を破裂させながら広がっていく。静夏とシェミリザを中心に据え、ソニックブームと共に衝撃波は召喚獣たちを吹き飛ばした。
数を割くため、そして無抵抗のヒトを殺すだけという役割りのため、召喚獣たちに単眼の蛇のような防御力は備わっていない。
成すすべなくミンチと化した召喚獣の足元には人々が無傷のまま横たわっていた。
『器用ね……仲間に影響が出ないよう調整したの?』
「私の想いに筋肉が応えてくれたからだ」
『相変わらず気味の悪いことを言うわ。けれど……』
シェミリザは己の肉体を見下ろす。
元の体は世界の穴、正しくは世界の穴の向こう側に学びを与えた。
その結果、これまで与えられてきた脅威を己の力として駆使する魔獣が生まれたのだとすれば、この単眼の蛇の体は筋肉への畏怖が籠められている。
目には目を、歯には歯を、筋肉には筋肉を。
そういうことなら倣ってみるのも一興かもしれない。シェミリザはそんな気持ちになった。
『――ねえ、筋肉というものはわたしにも応えてくれるのかしら?』
シェミリザは自身の鼻先に両腕を食い込ませる静夏を見つめた。
彼女には強い想いと覚悟があり、日々鍛錬し身に着けた筋肉がそれに応えて共に戦っているのだろう。
強い想いと覚悟なら自分にもあるわ、と力を込める。
他人からすれば見なかったことにされるような想いでも、シェミリザにとっては一世一代をかけたものだ。
そうでなければ今、このような肉体で世界の爪弾き者として生き永らえていない。
鱗の向こうで筋肉が軋む。
シェミリザは瞼を伏せながらその存在を意識し、頭を振って静夏を天高く放り投げると体をバネのように使って豪速で突き上げた。





