第901話 彼はもう
救援信号を受けたセルジェスたちベルクエルフの治療班がニルヴァーレたちの元へ駆けつけたのは、ちょうど彼らが群れていた魔獣を潰し終えたところだった。
しかしタイミングが良かったなどとは口が裂けても言えない。
それだけ到着に時間がかかったということだ。
「遅くなってすみません、回復します!」
「来てくれたか、ありがとう! よし、優先度の高い者からセルジェスたちのともへ。余力がある者は周囲を警戒し、魔獣が向かってきたら対処してくれ」
僕に知らせる形でもいいよ、と言いながらニルヴァーレは「最優先の患者はこっちだ」とセルジェスの腕を引き、倒れたままのシャリエトの元へ連れていく。
セルジェスはシャリエトの傍らに座ると彼の様子を見た。
目はうっすらと開かれているが生気はない。
普段は褐色でも血の気があるとわかるというのに、今はそれが見られない肌。
肩の傷は大きく、止血はされていたが相当の出血を伴っていたことがわかる。
一瞬思考停止したセルジェスは言葉を探した。
すでに事切れている仲間の死を認められず、必死になって治療を願う者を何度か見たことがある。
ニルヴァーレがそのようなタイプなのか付き合いの短いセルジェスにはわからない。しかし万一のことを考え、そしてここでニルヴァーレが戦意を失うことを回避するため、セルジェスは慎重に言葉を選んだ。
「ニルヴァーレさん、あの、彼はもう――」
「ふむ、君は治療師であって医師ではないんだったか。ベルクエルフ全体で見るとナスカテスラがイレギュラーなのかな?」
ニルヴァーレはセルジェスの手首を握るとシャリエトの胸の上にトンと置く。
「酸素は僕が送ってる。心臓も僅かながら動いてる。風前の灯火だね。君から見ればもはや七割死んだ死者なのだろうけど……僕にとっては三割生きた生者さ」
「……!」
手の平で、などという生易しいものではない。
集中に集中を重ねなくては感じ取れないほど弱々しい脈だった。
恐らくあと数分放っておけば完全に止まるであろう心臓だが、それでも生きている。
「わかりました。傷は完全に治します」
セルジェスは頷くなり回復魔法を発動した。
ニルヴァーレの付け焼刃の回復では止血止まりだったが、回復魔法を得意とするベルクエルフのそれは同じものとは思えないほどあっという間に傷を塞いでいく。
そこでニルヴァーレがぱちぱちと手を叩いた。
「さすが、回復魔法を得手としているベルクエルフだね!」
「自分は不得手な方ですよ。……もちろん、父の起こした事件の後に基礎から鍛え直しましたが」
ナスカテスラのように肉をも綺麗に生やすような治癒は行なえないが、それでもあの事件を通して強くなることを望んだセルジェスは、あれからいざという時に一番役立つであろう回復魔法を鍛え始めたのだ。
今まで『自分は回復魔法が不得手だ。それなら他の長所を伸ばそう』と水属性の攻撃魔法を中心に鍛えていたが、回復魔法で救える命の大きさと重さに気がついたのが理由である。
そう、まさに今のように。
「――終わりました。後は彼の生命力次第です」
「美しく素晴らしい手際の良さだ。血さえ失ってなければ彼もすぐ戦線復帰できたんだろうが……」
回復魔法に増血効果はない。
そのため、傷を癒しても命を落とした者の一番の死因は失血死だ。
シャリエトも命は繋いだが失血による影響は多数の臓器や脳にも出ているだろう。
「ここで復帰できないことを悔しがりそうだけど、彼なりに頑張ったからいいよね」
そう呟き、ニルヴァーレは大きな鳥を召喚する。
そしてセルジェスの荷物からロープを借り、鳥の背中にシャリエトを括りつけた。
ついでになにかを書きつけたメモを服に挟む。
「船に退いててもらおう」
「ず、随分荒っぽいですね」
「傷が治ったならこれくらいはね。ここで連れ回すよりは安全さ。それに一応気を遣ってるんだよ? ワイバーンやドラゴンよりはふわふわで良いだろう」
ふわふわの大きな羽毛に埋まるシャリエトを横目で見たセルジェスは「まあそれはそうですが」と言いつつ咳払いをする。まるで棺桶の中だ。
――本来ならニルヴァーレの持つ転移魔石を使えばあっという間に戻れるが、その間ニルヴァーレ本人もここを空けることになる。
その一瞬の不在で戦況が変わることがあると考えれば、この方法も悪くはない。
しかし血の気ゼロの状態で巨鳥の背に括りつけられた姿は端的に言って変わった処刑か拷問か生贄に見えた。
無事に着きますように、と心の中で祈りながらセルジェスはシャリエトを見送る。
空の彼方へ遠のいていく姿は――やはり処刑か拷問か生贄に見えた。
そこでニルヴァーレが再びぞろりと風の鎌を生やし、自身に強化魔法をかける。
セルジェスは威圧感の増した彼を見上げかけたが、それよりも先に目視すべきは彼の目線の先だと気がつき、そちらへ顔を向けた。
新たな魔獣の群れだ。
世界の穴は定期的に新たな魔獣を生み出しており、どうも連合軍が上陸してからそのスピードが上がっているようだった。
セルジェスは世界の穴が生きているとは思わない。
しかし、まるで命の危機を前にした生物のような反応だなとつい考えてしまう。
「閉じつつあるとはいえ魔獣が出てくるには十分な大きさですもんね……増援も矢継ぎ早どころじゃないですか」
「そうだね、希望的な見方として生き急いでいると表現しておこう。さて、君は負傷者の治療に専念してもらえるかい? 戦線復帰する者が増えればそれだけ楽になる」
「でも、今ここで戦える人数を考えると加勢をした方が――」
ニルヴァーレは立てた人差し指を左右に振るとウインクしてみせた。
「舐めてもらっちゃ困るな。厄介な魔獣さえいなければ、あれくらいの数なら僕だけでもなんとかなるさ」
「ひとりで突っ込む気ですか!?」
厄介な魔獣については救難信号の後に『難敵が現れた』『逃走された』という簡易連絡をセルジェスは受け取っている。
伊織たちの故郷でいうモールス信号のようなものであるため、詳細まではわからなかったがニルヴァーレが手こずるくらいなので相当だろう。
そんな厄介な相手がいないとはいえ、数の暴力に勝てるのか。
セルジェスはそう懸念し思わず語気を荒げたが、対するニルヴァーレはまったく気にしていない様子で走り出す。
「心配ご無用さ!」
ニルヴァーレは臆することなく突っ込むと風の鎌すべてに再び炎を纏わせ、魔獣の首という首を切り裂いた。
広がる鎌が大きな炎の翼に見え、セルジェスは目を瞬かせながらその光景に見入っていたが、自分に託された仕事を思い出すと背を向けて走り出す。
魔獣が迫ってくる方角へ背を向ける形になるが、不思議と怖くはなかった。
(こんな一瞬で安心させてみせるんだから凄いな……)
まさに心配ご無用だったわけだ。
あんな人間が背後を守っているなら心配すべきことなどありはしない。
だが、ニルヴァーレが負傷した仲間たちをセルジェスに任せたのも同じ理由なのかもしれない。
――そう考えるとやる気が出るな、と回復魔法を展開させながらセルジェスは目元に力を込めた。





