第900話 限界なんか越えて
「ッせ~の!!」
爆発的なスピードで飛び出したミュゲイラは影の針をスライディングして避け、勢いが削げる前に低い位置から地を蹴って単眼の蛇の腹を殴りつけた。
だが驚くほど硬く、体幹はまるで地面に根差しているかのようにしっかりとしておりびくともしない。
「さっき攻撃を食らった時になんとなくはわかってたけど……大岩巻き込んで成長した大木みてぇな奴だな!」
ならば今は弱点と思しき場所を集中的に狙うしかないだろう。
まずは目か口内の粘膜が露出した部分からだ。
ミュゲイラだけでなくシエルギータもそう判断し、手の平を突き出し炎の塊を生み出すとボールのように投げ飛ばした。
炎の剛速球は回転するごとに空気を吸って巨大化する。
そのまま単眼の蛇の大きな白目に激突した――ように見えたが、直前に数十本の影の針がそれを串刺しにして失速させる。
そして、単眼の蛇の顔を振る動きひとつで地面に打ち落とされた。
その隙にミュゲイラが再び右腕でパンチを繰り出す。
単眼の蛇はすぐさま瞬膜を閉じ、ミュゲイラの拳は瞬膜に阻まれて眼球に届くことはなかった。
(っ……けど瞬膜は波打ってる。鱗ほど固くないな)
ミュゲイラは着地するなり飛び退き、一瞬前まで彼女の居た場所に黒い炎がばら撒かれる。これも単眼の蛇が作り出したものだ。
どうやらこの魔獣は魔法を自分の意思で使えるらしい、と全員が互いに確認しなくとも理解した時、単眼の蛇は突如高く跳び上がると魔導師たちの真後ろに着地した。
シエルギータに続いた魔導師たちは剣士ではないものの、肉体を駆使した戦い方ができないわけではない。着地位置を予想し素早く振り返り、次なる攻撃に備える。
しかし単眼の蛇が狙っていたのは新たに現れた魔獣たちだった。
「ゲッ……」
ミュゲイラが思わず声を漏らす。
単眼の蛇は手近な魔獣に食いつくと、丸呑みにするよりも早く口の中から魔獣を吸収した。そしてぱちんとそれが消えた瞬間に大きさが一回り大きくなったのである。
原理は不明だが『同族を吸収して自己強化できる魔獣だ』と一目で理解できる姿だった。
「ってことは、コイツが他の魔獣に近づくのを防ぎながら戦う必要があるのか?」
ミュゲイラたちは知る由もないが、ニルヴァーレとシャリエトが苦心したのもまさにその点だ。
一撃で倒さない限り魔獣を食って回復し、しかも強化までされる。
大きくなればなるほど制止するのは困難になっていくだろう。――今でさえミュゲイラの手でも動きを封じることは出来ないというのに。
思い返せば落ちてきた段階ではもっと小さかった気がする、とミュゲイラは記憶を振り返る。
つまり一手目で巨大スケルトンを吸収された時点でミュゲイラたちは後手に回り、その結果単眼の蛇を物理的に止める手段を無くしたということだ。
(いつぞや戦った赤い目の蛇はあたしが止められたけど……)
静夏並みの筋肉を持ち、鱗は硬く、魔法を使い、巨体による身じろぎひとつで人をすり潰し殺せる魔獣。
そんなものを片手を潰された状態でどう封じられるだろうか。
今でさえ動きを封じることはできない、というのはミュゲイラから自身への評価でもある。
幾度となく巨大な敵と戦ってきたことにより、頭と体と筋肉で瞬時に状況を判断できるようになっていた。
この魔獣を相手にするには自分は役者不足だ、と。
(けど――あたしはシズカの姉御みたいになりたいと思ったんだ)
それを静夏の息子である伊織にも語ったことがある。
ミュゲイラにとっての夢であり、目標でもあった。
静夏に追いつくためには、並び立って彼女を支えるためには、ここで『静夏並みの筋肉を持つ敵』から逃げるわけにはいかない。
だが、彼女は理想を追うために危険から目を逸らすことを勇猛とは呼ばないことも理解していた。
ミュゲイラは深呼吸するとシエルギータに向かって口を開く。
「魔石で増援を呼んでくれ、アイツは数で勝負しないとヤバい」
「ミュゲイラ」
「あたしはなんとか動きを封じられるか試してみる。シエルギータは蛇の注意を引いた後、他の魔獣を近づかせるなって仲間のみんなに伝えてくれるか?」
「――わかった、だが命を第一に考えろ」
止めたかったのだろう。
しかしその言葉を飲み込み、シエルギータは「姉様も交えてお前と筋トレしたいからな」と笑みを浮かべると走り出した。
そのまま目眩ましだと言わんばかりに大きく派手だが攻撃力を持たない炎を単眼の蛇の顔目掛けて打ち出す。
花火を目の前で炸裂させられたような眩さに単眼の蛇の瞳孔が収縮した。
とはいえ大きな隙はできなかったが――それは単眼の蛇が大きな隙ができないように最大限の注意を前方に向けていたからこそである。
ミュゲイラはそのタイミングで単眼の蛇の背後に回ると、細い尾の先を前に腕を大きく開いた。
赤目の蛇の時もこうして尾の先を掴んで止めたが、目前にあるのは同じ部位とは思えないほど巨大だ。
しかし単眼の蛇の中で一番細いのもここで間違いなかった。
(しかも左腕は未だに使いものにならないときたもんだ。……でも、うん)
挑み甲斐があるというものだ。
ミュゲイラは己の筋肉に呼び掛ける。力試しをするなら今だぞと。
「姉御もオルガイン様も、きっとやろうと思えばできる。それをあたしができないなんて、そんなのは情けない。なあ、あたしの筋肉」
右腕を捻り、音がするほど力を込めながら筋肉を膨らませる。
「限界なんか越えて、もっと強くなろう」
そのためのトレーニングは山ほど積んできた。
静夏と出会う前も、そして出会った後も。
ミュゲイラはすっと呼吸を止めると、単眼の蛇の尾先を右脇に抱える形で力を込めた。凡そ巨大なものを抑え込むには不向きな体勢だ。
掴まることができる部分は鱗の僅かな凹凸だけであり、しかも鱗は光沢のあるもので滑りやすい。
それでも大きく膨らんだ筋肉はがっちりと尾の先を捉え、そして。
「お前は、ここから、動くんじゃねぇーッ!!」
ミュゲイラの雄叫びと共に、単眼の蛇の体はその場から前進する自由を奪われた。





