第897話 集合体の盾
リータの矢は遥か上空を飛ぶ魔獣を悠々と射貫く。
しかし彼女が狙うのは上空の敵だけではない。
地上を我が物顔で駆けてくるシマウマの群れ。
しかしそう思えたのは遠目に見た時だけで、近づけば近づくほど異形であることが際立ち、我は魔獣だと強く主張していた。
白と黒の模様は鱗の色である。それも爬虫類ではなく魚類の鱗だった。
たてがみは細かな筋の入った背びれであり、尾の代わりに吸盤の付いたイカの足が束になって下がっている。
その足で獲物を捕らえて強烈な蹴りを見舞うのが主な戦い方のようだが――もちろん、それを可能にするほどリータが近づけさせるはずがなかった。
「リータさん! 東の空から六つ足の龍が飛来中です!」
「了解です、もう少しだけ引きつけますね」
ダスクからの一報を受け、冷静に六つ足の龍を確認したリータは炎の弓矢を天へと向ける。
その状態のまま微動だにせず静止し、緩い風が薄茶の髪を揺らした瞬間――リータは超ド級の炎の矢を放った。
まるで打ち上げ花火のように空へと昇った矢は緑色の軌跡を引きながら吸い込まれるように六つ足の龍の頭を射貫き、頭蓋骨を貫通すると推進力が残っているにも関わらず矢じり側から炎を吐いて減速する。
かと思えばそのまま自壊し、数十の小さな矢に変化して地上へと降り注いだ。
空を見上げていたダスクは口を半開きにしたままその光景を見つめる。
火の雨だ。
そんな恐ろしいものに襲われたのはシマウマ魔獣の群れだった。
狙い澄ましたかのように――否、初めから狙ったのだろう。
リータの矢はシマウマ魔獣の大半の急所を貫き、それでもしばらく魔獣たちは走っていたものの、リータたちのもとへ辿り着く前にバタバタと倒れていった。
六つ足の龍も錐もみ状態で落下し、遠くの魔獣を巻き込んで墜落する。
「さ……さすが聖女マッシヴ様一行の魔法弓術士……」
港町でもそうだったが、見事どころの腕前ではない。
ダスクが少しでもリータから技術を学ぼうと目を凝らしても理解すら追いつかないほどだ。目で盗むのが無理な技術なのだろう。
思わず呟いたといった様子のタズクの賞賛にはにかんだリータは「まだまだですよ」と首を横に振った。
「射ち漏らしがあります。乱戦に持ち込まれるとさっきみたいな方法は使えなくなるので、確実に一頭ずつ倒していきましょう!」
「は、はい! 僕も今持てる全力を出して応戦します!」
リータとダスクは並び立つと他の魔法弓術士たちと共に一斉に矢を放つ。
しかしそんなリータたちと魔獣の間にするりと割り込んだのは虫の群れだった。
湿地帯の蚊柱といった様子だが、周囲が暗いため白く硬質な羽がよく見える。一匹一匹が鋼のように硬い羽虫である。
それらが口々になにかを魔獣語で叫び、まるで数百の敵が雄叫びを上げて迫っているような錯覚をリータたちに与えた。
『すむ! すむ! のねけ!』
『すむ! すむ! のねけ!!』
「な、なんだ!?」
狼狽えるダスクの目の前で矢が虫たちの壁に阻まれ消える。
一部は衝撃に押し退けられて穴が開いたが、すぐに他の虫がその穴を埋めた。
「集合体による盾ですか……うーん、水の中を射るより難しそう」
リータは目を凝らす。
先ほど放った矢は小さいものの、六つ足の龍を貫いたものと同等の貫通力を持っていたはずだ。
それを虫たちはお互いで弾き合って失速させ、穴は開いたものの向こう側のシマウマ魔獣に届く前に消し去ったのである。
「かといって溶けてる様子もない、――もう少し火力を上げてみますね。ダスクさん、皆さん、準備している間の対応を宜しくお願いします」
「や……やってみます。総員、一ヵ所に集中して攻撃開始!」
穴が塞がる前に一本でも通ればそれだけでもシマウマ魔獣への攻撃になる。
ダスクは的となる位置を伝えると、全員で呼吸を合わせ矢を放った。
その間にリータも緑の炎を矢の形へと練り上げる。
昔、リータの作る矢の強度や大きさ、特性などはすべて均一だった。
それがヨルシャミたちと旅をし、魔力操作のコツを学び、自分でアレンジを繰り返すうちに細かく調整できるようになったのだ。それは薬の調合に似ていた。
なんとなく薬を煎じるサルサムの姿が脳裏に浮かび、口元に笑みを浮かべたリータは一発目の矢を放つ。
(さっきよりは……よし、溶けてる! でも一瞬で融解させるくらいでなきゃすぐ補われちゃう。もう少し範囲も欲しいな……)
だが、それを実現しようとすると今後の魔力残量に不安が出てくるだろう。
リータは虫たちの様子を凝視した。
先ほどの攻撃、そしてダスクたちの攻撃で揺らめく壁のように動いている。
「あれは威力を殺すためだけじゃなくて――風圧に負けてる?」
どういう素材でできているのかはわからないが、防御力に特化したあの外殻は重くはないようだ。むしろ飛ぶために軽いらしい。
ならわざわざ貫通させるよりはこちらの方がいい。
瞬時にそう判断したリータは矢を射っていた仲間たちを見た。
「火力を上げて地面を射ってください、直接狙うより吹き飛ばせるはずです!」
羽虫たちの羽は風を受けやすい形状になっている。
殺すより先に吹き飛ばし、その間にリータがシマウマ魔獣を掃討する方が確実だ。
ダスクたちは頷くと狙う場所を地面に定め、再び一斉に矢を放ち熱風を巻き起こした。
狙い通り虫たちは意思に関係なくふわりと舞い上がり、シマウマ魔獣の前ががら空きになる。
相当近づかれてしまったが大丈夫だ。
リータは己を落ちつけながら矢を放ち――それは手から離れるなりずらりと並ぶほど枝分かれし、分裂してシマウマ魔獣たちを真正面から射貫いていった。
「よし、やった! あとは――」
高く吹き飛ばされた虫はまだ上昇したままだ。
手間はかかるが、あれを一匹ずつ確実に処理すれば再び遠方の仲間を支援できる。
そう再び矢を番えかけたリータに暗い影が落ちた。
「えっ……」
それは、仲間を盾に倒れたふりをしていたシマウマ魔獣の最後の一頭だった。





