第884話 影が溢れ出る
風の障壁を広範囲に展開させ、四散する硬質な殻から仲間たちを守ったニルヴァーレは障壁を解くなり臨戦態勢をとった。
守ったといっても全域ではない。そこかしこに転がる怪我人を前に、しかし状況を確認せず駆けつける余裕はなく、ニルヴァーレは異様なオーラを放つ『それ』の情報を少しでも多く得ようと凝視する。
それは赤い色の単眼を持った、巨大な蛇だった。
卵にみっしりと詰まっていたのだろう、全長は数十メートルにも及び、頭は大岩のように大きい。
それを「ウロボロスだ」と思ったのは生まれ出た瞬間に己の尾を食んでいたからだろうか。
しかし蛇にとっては刹那の時だけ安らぎを得るための手段にすぎず、周辺にこの上ない獲物が溢れていることに気がつくと牙を晒しながら口を離した。
単眼は血のように赤く、瞳孔も虹彩もヒトのものだとニルヴァーレたちは感じ取る。それは自分たちにとって見慣れている器官だからこそだろう。
しかし同族のパーツを持つその姿はあまりにも異形だ。
血走っていた白目の色が徐々に落ち着くにつれ、単眼の蛇はずるりと頭をもたげて黒い舌を覗かせた。
巨大な魔獣も、蛇型の魔獣も今までに何度も現れている。
しかしこの単眼の蛇は今までの魔獣と比べて明らかに異質だった。
「卵を経て生まれただけでもおかしいっていうのに……、ッ!」
突然、単眼の蛇の周囲に闇色の牙が無数に現れる。
蛇が己の牙を模して作ったものだ。がちん! と、その場で空気を噛んだ動きを合図に闇色の牙がニルヴァーレたちに襲い掛かる。
オーラを発しているということは体内に魔力があるということだろう。
ニルヴァーレは舌打ちすると炎と風のマントで闇色の牙を受け流しながら叫ぶ。
「――ッ注意しろ、この魔獣は魔法を使う!」
仲間たちはざわめいたが、それが広がりきる前に闇色の牙への対処に追われた。
まだ不安定なのか牙自体の耐久力は低く、普通の剣でも叩き落として壊すことができる。ただし、それでも避けきれずに牙が刺さった者は青褪めて血を吐くと次から次へと倒れていった。
「出血性の毒入り? 器用な魔獣だな……!」
ニルヴァーレは再び風の鎌をぞろりと生やすと単眼の蛇に向かって走り出す。
「解毒魔法を使える者は解毒を優先しろ! 攻撃は僕が試す!」
「は、はい!」
第二波が来る前に片付けられるか、とニルヴァーレは鋭い視線で見据えた赤い目に風の鎌を振り下ろした。
しかし単眼の蛇は素早い動きでそれを回避し、全身の筋肉をしならせて体ごとニルヴァーレに体当たりする。巨大な鱗が擦れ合って硬質な音を響かせた。
巨体の隙間を縫うようにそれを避けたニルヴァーレだったが、土煙の向こうて蛇の筋肉が再びしなったかと思えば――次の瞬間には天高く跳び上がり、頭の上に大きな影を落としていた。
「おや、魔法だけでなく筋肉の使い方も熟知してるみたいだね! じつに将来有望じゃないか!」
ニルヴァーレは光り輝く蝶の群れを召喚する。
それを数秒だけの堅牢な盾にし、落下してきた蛇の腹を擦りながら接近した。
傍目から見ればすれ違っただけに見えただろうが、実際にはニルヴァーレの体には大きな負荷がかかっている。
しかし本人はそんなことは気にも留めず、強化魔法を施した拳で鱗と鱗の境目を思いきり殴りつける。
手が鱗に当たった瞬間、空気を震わせるほどの音が響き渡った。
手の先、二の腕、肩へと走り抜けた衝撃にニルヴァーレは目を眇めたが――ヒビひとつ入らない。
巻き付かれる前に単眼の蛇の懐から脱したニルヴァーレは騎士団たちの隣に着地し、手の甲で汗を拭って言った。
「随分と硬そうだ。これから僕が色んな方法で攻撃を加えてみるから、効果的なものがあるか見極めてから君たちも攻撃を開始してくれ」
「え、援護は」
「良い攻撃方法がわかってから宜しく頼むよ」
この場の面子では攻撃を加えながら弱点を探れる者は僅かしかいない。
ニルヴァーレは金の髪を揺らして微笑むと、騎士団たちに手を振って地面を蹴った。
「いたずらに君たちが傷つくと、僕の大事にしてる子が悲しむからね!」
勇み立つのは万全の態勢で頼むよ、と言い残してニルヴァーレは再び単眼の蛇へと向かっていく。
それを見送った騎士団員たちは一瞬惚けていたものの、我に返ると各自回避と回復に専念しながら魔獣を観察し、それに加えて従来通りの魔獣が近づかないよう攻撃と牽制をするよう指示を飛ばしあった。
魔獣の正体がなんであれ、世界の穴を閉じる邪魔をするなら止める他ない。
必ずや、と決意するのと、上空をニルヴァーレの風の鎌が舞い飛び空気中に溶け消えたのは同時だった。
「……っまだまだ!」
単眼の蛇の一撃を受けたニルヴァーレだったが、鎌のひとつを自ら切り離し突風に変換することで一気に前へと出る。
強化魔法による物理攻撃は先ほど確認した。
次は、と残った風の鎌三対で一ヶ所を切りつける。
鱗の表面は剥げたが致命傷どころか負傷にも入らない。ならばと赤く大きな目を狙ったが、瞬膜の展開が恐ろしく早かった。その瞬膜も膜とは思えないほど硬い。
噛みつかんとする大きな口を視界に収めたニルヴァーレは口内に向かって直接火の球を投げ入れる。
しかし単眼の蛇は口の中で風を作り出すと、火の球をしゅるりとまとめ上げた。
――魔法によるものだ。
器用で知能も高い。
ニルヴァーレは「次!」と自らに号令をかけると白いワイバーンを二体召喚した。
リーヴァより下級のワイバーンだが、巨体を持つ魔獣を相手にするならサポートとして持ってこいだ。
ワイバーンの片割れに魔獣の頭部を執拗に狙わせ、もう一体の背中に乗ってニルヴァーレは鱗の一枚に狙いを定めると手の平で炎を小さく圧縮する。
「固い鱗で守るってことはその下は相応の防御力だろうし、炎もわざわざあんな対応したなら得意ってわけじゃないんだろう?」
集中力を総動員し作り出した片手大の炎。
それを一枚の鱗、先ほど傷を付けた鱗の根元に向かって打ち出す。
炎はまるで接着されたかのように鱗に纏わりつき燃え上がった。
それに気づいた単眼の蛇はワイバーンから目を離し、再び風の魔法を展開させようとしたが、その前にニルヴァーレが燃え上がる鱗のもとへとダイブする。
魔導師の作り出した炎はコントロールされている限り魔導師本人を燃やさない。
溶けた鉄のようにどろりとした鱗に強化魔法で保護した両手をかけ、ニルヴァーレはその一枚を力一杯引きちぎった。
鱗の生え際から黒い血が溢れ出る。
それはまるで体内から影が漏れ出たかのようだった。
「目立った弱点がないなら作ればいいんだ。あとはこれを足掛かりに……、……」
ニルヴァーレは目を瞬かせる。あまりにも不意打ちだった。
単眼の蛇の体内から溢れた血液からもオーラは発されている。それは表に出ている歪みに歪んだものよりわずかに整ったものだった。
それが、なぜかシェミリザのオーラに似て見えたのだ。
「一体何が――、!」
一瞬の隙を突いて蛇の尾がワイバーンごとニルヴァーレの体を打ち付ける。
風を裂いて吹き飛ばされたニルヴァーレは何十回も回転しながら地面を転がった。
それを水の壁で止めた騎士団員や仲間の魔導師たちが慌てた声を漏らす。
「だ、大丈夫ですか!?」
「……っ勢いは殺したから大丈夫だよ。ありがとう」
頭を振りながら起き上がったニルヴァーレは自身の魔力残量を確かめた。
まだ危険な域には達していない。
(しかしさっきのは何だったんだ……いや、だが思案は後回しだな)
ニルヴァーレは風の鎌を手足代わりに起き上がると、ワイバーン相手に暴れ回る単眼の蛇の胴、鱗の剥がれた部分を指さす。
「……君たちは無防備な部分を集中攻撃! 僕は他の鱗も狙うよ」
お互い毒には気をつけよう。
そう言って、ニルヴァーレは再び地面から足を浮かせた。





