第883話 災禍の卵
やぐらの上は目立つ。
それ故に飛行能力のある魔獣は真っ先に伊織たちをターゲットに定めた。
しかしふわりと旋回したリーヴァが魔獣たちに突進するような勢いで噛みつき、そのまま口内で燃やし尽くす。
ペッと消し炭を吐き捨てる姿を見てヨルシャミは「雄々しいな」と口元を緩めた。
「イオリよ、良い調子だ。そろそろ次のやぐらへ飛ぶか」
「うん。周囲の魔獣の様子はどう? すぐ突破できそう?」
「リーヴァとネロ、それにやぐら下の前線部隊が蹴散らしている。皆いい動きだ」
ヨルシャミは「心配いらない」と言い重ねると上空のリーヴァを呼び寄せる。
きっとステラリカたちも全てのやぐらを設置し終わった頃のはずだ。世界の穴もこの第一のやぐらで閉じるべき範囲を満たした。
伊織は一旦糸を留めて切ると、自分から離れてもその糸が残っているのをじっと確認し――人工ワールドホールの時のようにしっかりと固定されていると感じ取って胸を撫で下ろす。
あとは魔力を切らさないよう注意しながら閉じきり、縫合した部分が『治癒』するのを待つだけだ。
(……でも人工的に作ったものと違って、オリジナルの世界の穴は凄く長い間開きっぱなしだったものだ)
世界の穴は少なくともヨルシャミたちが生まれた約千年前から――否、更に遡ってオルバートが生を受けた数千年前からあったものだ。歴史を紐解けばそこに桁が変わるような時間が上乗せされるだろう。
開いてすぐの傷口と、長い間開いたままの状態で曝されていた傷口。
その二つの治癒する速度は果たして同じだろうか。
人体と世界そのものを同一視することはナンセンスだが、共通点も散見されるため伊織は無視しきれなかった。
もしも人工ワールドホールのようにすぐには治癒しなかった場合、総力戦で魔獣たちを掃討し、穴が完全に閉じるまでミッケルバードに滞在することになっている。
穴さえ閉じてしまえば新たな魔獣が現れることはないため、ごり押しにごり押しを重ねた作戦だが現状ではこれが一番現実的だった。
もっとはっきりとした情報があればより安全で効率的な作戦を立てられたかもしれないが、こればっかりは致し方ない。
そう、情報が不鮮明なのだ。
穴の大きさも魔獣の出てくる間隔や特徴も大分わかってきたが、それはなにかの気まぐれで変わるかもしれない。
魔獣がこちらの世界の常識に沿って構築された生き物でない以上、世界の穴も常識に当てはめて見るべきではないだろう。
(それに……不安要素はまだある)
あの卵だ。
卵を直接調査に向かう部隊も編成されていた。
とんでもないものが入っていた場合、対処が遅れれば被害は甚大になる。ならば戦闘より優先して調査し、必要に応じて壊すか封じるかを選択しよう、と友好国から申し出があったのだ。
調査系の魔法を得意とする血筋を数多く持つ国だという。
もちろん護衛も多く付け、更には近場でニルヴァーレが戦っているため、なにかあればすぐに駆けつけられるようになっている。
伊織はあの卵が気掛かりだった。
この戦場で謎の卵が気掛かりだと思わない者など一人も居ないだろうが、他のどの魔獣よりも不吉な気配を感じてしまう。
まるで警告色を持つ毒虫を見た時のような感覚だった。
――そう伊織が以前モニター越しに見た卵の姿を脳裏に思い浮かべた、まさにその瞬間である。
一瞬で総毛立つほど異様な振動が地面と空気をびりびりと揺らしながら伊織たちのもとへと届いた。
「……!? ヨルシャミ、一体なにが――」
「集中を途切れさせるな、イオリ! ……爆発のようだが煙は上がっていない」
「あの方向って……例の卵があった方向じゃ?」
やぐらから身を乗り出しながらナレーフカが呟く。
高い位置からであるだけでなく、大部分の木々が世界の穴に吸い上げられたことにより見晴らしが良くなっていたが、地形の問題でここから直接卵の様子を窺うことはできない。
しかし異変があったのは確かに謎の卵が確認された方角だった。
そこでヨルシャミとナレーフカが同時に小さく息を呑む。
「あれはオーラ……?」
「うむ、奇怪なオーラだ。何かあったようだが、……イオリよ、ひとまず移動だ。どのみち第二やぐらはあちら側にある」
第二やぐらからも確認できるかどうかはわからないが、ここで停滞していても仕方がない、とヨルシャミはリーヴァの背中にナレーフカを乗せ、伊織にも影の手で補助しながら傍へ抱き寄せた。
糸の維持を意識しつつも、伊織はちらりと卵のある方角を見る。
――そして、その一目だけでヨルシャミたちが息を呑んだ理由を悟った。
ヒトの発するオーラには大まかな分類はあるが、特徴は個々で異なる。
ヒトではなくただの動物でも目が良い者が見ればオーラの差がわかるだろう。
それは魂の質に左右され、よほどのことがなければ生涯を通して変わらない。
そんなオーラが毎秒ごとに刻々と変化しているのだ。
魔獣にオーラを発する者はほぼいない。これはオーラが発される要因となる魔力が魔獣には入り込まないためだ。
もちろん強大な個体には時折オーラを放つ者もいるが、原理はわからないものの恐らく魔獣側から能動的に魔力を集めるなりアピールした結果だろう。
もう一つのパターンに『オーラに似た別のなにか』を発している、というものがあるが、今回の異様なオーラはあまりにもヒトのものに酷似していた。
だというのに挙動がおかしい。
まるで一瞬の間に新たな命を孕んで混ぜ合わせ続けているような、そして毎秒ごとに生まれ変わっているような、不安定で不確定で不定形でおぞましいものだった。
「……卵からなにか生まれたのかしら」
飛び始めたリーヴァの上でナレーフカが不安げに言う。
伊織はそれに答えることができなかったが、胸の底から疑問が湧き上がるのを感じていた。
もしあの卵が孵ったとして――果たして、生まれたのは本当にただの魔獣なのだろうか。





