第78話 過去より今が大切
ネロの様子に首を傾げつつも仕事を終えた伊織は、ニルヴァーレからの伝言の返事を伝えるべくバルドたちとの待ち合わせ場所へと向かっていた。
待ち合わせ場所は街の中央に建てられたロスウサギと少女の銅像。
静夏を通して決めた場所だが、またバルドが如何ともし難い迷子になってはいないだろうか。
そう心配したものの、幸いにもバルドとサルサムは時間通りその場所にいた。
「ええと……元気そうでよかった。退院おめでとう」
伊織の言葉にバルドが片手を上げて「おう」と応じる。
「異常はひとつもなかったんですか?」
「そう。異常がないのが異常だよ」
サルサムは口角を下げてそう言ったが、まあ心配いらずでいいけどな、と付け加えた。その隣でバルドはじつに溌剌とした顔をして伊織を見ている。
「で、ニルヴァーレはなんて言ってたんだ?」
伊織は頷き、夢路魔法の世界で聞いたニルヴァーレの返答をふたりに話す。
屋敷の物も含めて私物は好きにしていい。
売り払うのもご自由に。
特に手鏡は高級品だ。――と、それらを聞いたバルドは「執着心ゼロだなぁ」と感心したように呟いた。
「あ、でも売るなら目の確かなところで売ってほしいそうです。二束三文はさすがに嫌みたいで」
「ああ、その辺は俺に任せてくれ。そこの二束三文で売り払いそうな奴よりは良い値段で交渉できる」
「なんだよサルサム、俺だって超すげー金持ちを見つけてヤバい値段で売りつけることくらいできるぞ? 毎晩ロスウサギ肉を食えるくらいのな!」
「そのふんわりした想定に自信を持ってる奴に任せるなんて自殺行為だ」
ぶーぶーとブーイングするバルドをよそにサルサムは伊織に向き直る。
「じゃあ伝言の件についてはこれでおしまいだな。悩みが解消して助かった、ありがとう」
「いえ、むしろ直接会わせられなくてすみません」
夢路魔法は本来は一対一を想定したもので、多人数を連れ込むのはやろうと思えばできるが――いくらニルヴァーレの魔石があるとはいえ、今のヨルシャミには負担が大きすぎるらしい。
昔ならどうということはなかったが、とヨルシャミは自分で自分にフォローを入れていたが、今使えないなら問題は変わらないだろう。
そもそも伊織とは『すでに夢路魔法で繋がったことがある』という条件で負担軽減されているからこそ連発できている側面もあるため、新規の人間ふたりともなるとまたしばらくヨルシャミが寝たきりになる可能性もあった。
ちなみにニルヴァーレは例外であり、人数にカウントされていない。
自力で存在し夢路魔法の世界に住み着いている不可思議な客人枠だ。
「あと、今後の俺たちの行動についてなんだが……そっちにいる薄茶の髪のエルフ……ええと」
「リータさん?」
「そう、リータさんに偶然会った時に話したんだが、まだ聞いてないか?」
「僕は仕事が終わってすぐここに来たんで、まだですね。でも和解したなら、サルサムさんたちも僕らと同行――」
そこでバルドが満面の笑みで挙手して言った。
「するする!」
「しないしない!」
それを片手で押さえつけ、サルサムは「ちゃんと話し合っただろ」と半眼になる。
「せめて一度くらい欲望を口に出させてくれよぉ~……」
「それが混乱を生むんだ! ……あー、イオリ。とりあえず俺たちは別行動しつつお前たちについてくって形にしようと思ってるんだ」
サルサムはミュゲイラとバルドの仲への気遣いのこと、完全別行動ではないことなどを付け加えるように話した。
納得がいった伊織は「なるほど」と頷く。
「もちろん不快ならやめておくが、許可してもらえるなら必要に応じて協力しよう。聖女が旅をしてるんだ、なにか目的があるんだろ?」
「……わかりました、最終的な判断は母さんに仰ぐ形になると思いますが、たぶんOKを出してくれると思います。目的についても追々話しますね」
事情を理解している人手はあったほうがいい。
伊織と静夏が転生者である、という点まではまだ話さないほうがいいかもしれないが、それも機会があれば伝えてもいいだろう。
もしも混乱を招くなら聖女が救世の旅をしているという情報だけでも十分だが、伊織としては検討したかった。
(正直バルドを母さんに近づけるのは不安だけど……まあ……)
口説いてはくるが性的なことを強要してくるわけではない。
あとは息子として複雑なだけだ。
ならここは譲歩しよう、と引き下がる。ただしもちろん何かおかしな真似をすれば相応の対処はするつもりだ。
ニルヴァーレが話していた人工の転移魔石の件も気になるところだが、これは信頼を得られたら貸してもらえるよう頼んでみよう、というオマケ程度の考えでいた。
(ヨルシャミがなにがなんでも元の肉体を取り戻したい、って願ってたらまた違ってたんだろうなぁ……)
しかし当人は元の肉体にさほど執着がないように見える。そこはニルヴァーレの私物への執着の薄さに似ていた。
そんなことを考えながら伊織は「そうだ」と手を叩く。
「ひとつ問題があって……ええと、僕らって移動時はたまにバイク――凄く早く移動できる召喚獣……? 的なものに乗ってるんです。だから距離を開けてついてくるなら振り切っちゃう可能性があるんですよ」
「あぁ、あいつか!」
バルドは伊織と同じように手を叩くと笑顔になった。
伊織は自分たちを追っていた際に遠目から見ていたのかなと目を瞬かせる。
「シルエットからしてカッコイイよなぁ。たしかにスゲー早いから、俺たちも行き先の予測を立てながら必死に追ったんだぜ」
「まぁ幸いこの辺の村とか街は大体頭に入ってたから、見失わずに済んだが――」
「ぼ、僕のバイク、カッコイイよなやっぱり!?」
「そこに食いつくのか!」
前のめりになった伊織にサルサムは思わずツッコミを入れた。
第一印象の影響か、伊織はバルドに対しては言葉を崩すが、特に今は相棒のバイクを褒められたことで言葉遣いにまったく意識が向いていないようである。
サルサムは『バイク』がナレッジメカニクスの使用しているキカイというものに近い、ということくらいしかわからないが、たしかにあの流線形のフォルムは惹かれるものがあるかもしれない。
この気持ちを何十倍にも膨らませたのが今の伊織の感情なのだろう。
そう予想はできたが、完全な理解には及ばなかった。
一方バルドは理解できるようで伊織のノリについていっている。
「ここに来て更に惚れ直したんだよ、僕の気持ちに応えて凄く技巧的な動きも実現してくれるしサイドカーまで出してくれるし、カッコイイことに加えて愛らしいっていうか……!」
「ど、どうどうどう、落ち着け」
「へえー! サイドカーって何かわかんねぇが、それもカッコ良さそうだな。響きが気に入った! あと走ってる時の音も馬とまた違って良いと思うぜ、風を切ってる感じが強くて――」
「お前も落ち着け!」
同時にふたりを宥めることになったサルサムは無理やり話を引き戻した。
「と、とりあえず! 今までも何とかなってたから大丈夫だ。ただ事前に行き先だけ教えといてもらえると助かるな。いつも行き当たりばったりじゃなくて、ある程度は目的地を決めてから出発してるんだろ?」
「っとと……あっ、はい、着いた先で情報収集をして目的地を決めてます。大抵は魔獣の出没地ですけど、次はちょっと違っていて――」
我に返った伊織はニルヴァーレの言葉を思い出す。
南にあるナレッジメカニクスの施設。
そこへの道のりはロストーネッドを出る際にニルヴァーレから詳しく聞く予定だ。
無事に辿り着ければ世界の侵略を手助けするような研究が進まないよう、施設を完膚なきまでに破壊することになるだろう。
それをふたりに話すと、バルドは「早速俺たちの目的地も決まったな」と笑った。
「俺らも施設の場所は知らねぇが、ニルヴァーレが知ってんだろ? わかったら後で教えてくれ」
「うん。じゃあとりあえず……そういう形で仮決定、ってことで」
「ああ、宜しくな!」
バルドはまたもや伊織の頭をわしゃわしゃと撫でたが、今回はいやにそれが長くて伊織はなんだなんだとあたふたした。
まるで長期出張に行っていた家族と久しぶりに会った時のような気分だ。
目を白黒させる伊織をよそに、バルドがしみじみとしながら言う。
「いや~……息子がいたらこんな感じなのかなぁと思ってよ。新しいお父さんとかどうだ、伊織」
「やっぱどうこうなりたいって下心あるじゃんか!」
「いやいや、これは清く正しい心からだぜ?」
そんなことをのたまうバルドの手の甲の皮をサルサムがつまみ、そのままベリッと音がしそうな勢いで引き剥がした。
「やめとけ。それに本当にいたかもしれないだろ、息子」
「えっ!? こ、この人妻帯者!?」
伊織はぎょっとしてバルドを見る。
妻帯者だというのに母親に言い寄っていたとすれば大問題だ。再度話し合いの必要が出てくる。
しかしサルサムの言う『かもしれない』という部分が引っ掛かった。
伊織がそんな疑問を口にする前にバルドが激しく首を横に振りながら弁明する。
「違ぇ! 多分だが! あれだ……別に隠してることじゃねぇから言うけどよ、俺、記憶喪失なんだわ。ここ数年の記憶しかはっきりしてないんだよ」
伊織は目をぱちくりさせてバルドを見る。
このお気楽な女好きポジティブおじさんがそんなシリアスな状態だったとは思わなかったのだ。
しかし本人は気にしていないらしく、更には重要視もしていない様子だった。
それも図太すぎるのではないかと思ったが、伊織は口に出すすんでのところで思い留まる。こればっかりは人それぞれだ。
「……その……た、旅の最中に手がかりとか見つかるといいな。きっと色んなところに行くことになるだろうし」
「うーん、別にどうでもいいんだが……」
「どうでもいい!?」
やっぱり図太い! と伊織がリアクションに困っていると、バルドはカッコつけて言った。
「俺は過去より今が大切な男なんだ!」
「猪突猛進で今しか見れない単純な男って意味だ」
サルサムがあまりにも大真面目な顔で翻訳するので、伊織はくしゃくしゃになった頭のまま噴き出すようにして笑った。





