第77話 犯罪者の生き直し
マッスル体操を終えた後も清掃活動だ街の雑用だと様々なことに駆り出され、ホーキンはヘトヘトになっていた。
ホーキンは体を酷使することは得意だが、普段と違う筋肉を使う上に気疲れも相俟って疲労感が酷い。今から帰って二度寝をしたいくらいである。
しかしまだ怪我人の枠に収まっている体を危険なほど使わされることはなく、静夏の一言により適切なタイミングで休憩が入れられていた。
それがなんだか憎たらしい。
しかしリハビリと気分転換になっているのか、双子たちとリバートの表情は晴れやかだった。仏頂面をしているのはホーキンだけだ。
(お前ら暢気すぎるだろ……!)
本当にまともな生き方をできると思っているのか。
街の人間だって今は自分たちを受け入れているように見えるが、住み着いたら陰で色々と言うに決まっている。疎外されてきた今までの経験を三人は忘れてしまったのだろうか。
そうホーキンが歯痒く感じていると、再び袖をくいくいと引かれた。
「おじちゃん、はいこれ!」
マッスル体操の際にホーキンを誘った女の子だ。
リリアナよりも小さい五歳ほどの少女。両手も小さく、そんな未熟な手で水のなみなみと注がれたコップを持って差し出している。
「うんどうしたあとは、おみず! のむんだよ! しってた?」
「ああ……」
またホーキンの知らないことを教えているつもりなのだろう。
張り切った様子に少々うんざりとしつつも断る気になれず、ホーキンがコップを受け取って飲み干すと女の子は嬉しそうに笑った。
「おかわりもあげるね!」
「いや、そこまでは――」
背を向けて走っていく少女に制止は効かないらしい。
やれやれ、と見送っているとホーキンの視界にとんでもないものが映った。
現在は使われていない古びた店。
その出入口の上に掛かった木製の看板がある。鎖で繋がれたそれは雨風に晒され腐食し、鎖は無事でも看板側がダメージを蓄積させていた。
それが女の子が下を通ったタイミングで限界を迎えたのである。
ばきりと腐った木片が散り、重力に従った看板が落下する。
固い異音に上を向いた女の子が不思議そうな顔をし、周囲の大人も異変に気がついたが――どうやっても間に合わない。
ホーキンは大人たちの愚鈍さを忌々しく感じながら、思わず鋭い息と共に魔法を発動させる。
そして女の子の目前まで迫っていた看板を凄まじい勢いで『押す』ことで弾き飛ばした。魔力の大半を使ってやっと攻撃レベルになる些細な魔法。しかし、だからこそ確実に己から発されたものだとホーキンに自覚させる。
(……なんで助けた?)
魔法を放った直後、そんな疑問が湧いて自問自答する。
この魔法は仲間を救うことには使えども、こんな一般人の少女を助けることに使ったことはない。住む世界の異なる人間を助けても良いことなどないからだ。
それなのに咄嗟に使ってしまった。
答えが出ないまま、駆けつけた女の子の母親から礼を言われる。
その声をどこか遠くに感じながら、ホーキンは自分の手の平を見下ろした。
***
病院の裏手にある公園。
そこにあるベンチに再び腰掛けながら、ホーキンは何をするでもなく空を見ていた。西の空はそろそろ暗くなりつつある。
住処へ帰る鳥が群れを成して群青色の空を飛んでいるのが見えた。
自分も病室に帰らないと看護師長にうるさく言われるかもしれない。
ホーキンはそう思うも、なかなか腰が上がらなかった。
「ここが好きなのか?」
大きな影が近づく。
再びゆっくりとした足取りで現れた静夏を見て、ホーキンは視線を下ろした。それは地面を見るためというよりも、考え込んだことで自然と下がってしまったような仕草だった。
そして朝とまったく同じ声音で言う。
「病室よりはマシってだけだ」
ホーキンはそのまましばらく考え込み、迷った末に口を開いた。
「なあ、聖女。俺はなんであの時ガキを助けたんだ?」
「それをおかしなことだと感じているのか」
「……ああ、自分でも驚くくらいな」
静夏はホーキンの隣に腰を下ろした。
その途端にベンチがぎしりと悲鳴を上げてたわむ。
全身でそれを感じたホーキンはドッと冷や汗をかいて立ち上がろうとしたが、静夏が「座ったままでいい」と引き留めた。違うそうじゃない。
「おかしなことだ、と感じるということは……今まで自分が信じていなかったことが起こった、ということだとは思わないか」
「……」
言いたいことはわかる。
自分は自分が思っていたような人間じゃなかった。
だがもしそうだとしても、ここでやっていけるという保証にはならない。ホーキンがそう呟くように言うと静夏は肩を揺らして笑った。
「ホーキンよ、この世界には保証などどこにもないぞ」
「だが」
「お前は保証がなければなにも出来ぬ幼子ではない。……私はここにいる間、出来得る限りの道を敷き、街の皆々にも事情を説く」
静夏は自身の大きな手の平を見下ろす。
「しかし完璧な道ではないだろう。きっとお前たちを快く思わない者たちとも衝突する。そこに保証は存在せず、そんな世界でこれからの道を切り拓いてゆくのは他ならないお前たちだ」
「……スパルタ教育なことだ」
「あの時、私の位置からではあの子を救えなかった。お前がいてくれたからこそ怪我もせず助かったんだ。その事実はなにがあっても変わらない」
静夏なら凄まじい勢いで地面を蹴れば少女を掻っ攫うことはできただろう。
しかしその衝撃は年端もいかない子供に耐えられるものではない。
看板を狙ったところでその場で木っ端微塵になれば散弾の如く散った破片は多くの人間や建物を傷つける。あの場で最適解を出したのは、看板が砕けない勢いで退けたホーキンだけだ。
ホーキンは公園の外を見遣る。
真っ当に生きようと思うなら他者との衝突は避けられない。
それを自分の力で乗り越えなくてはならない。
そんな苦しい目に遭うなら、いっそ元の生活に戻ったほうがいいのではないか。
誘惑は強い。
その誘惑から逃れられるほど強い理由がなくてはやり遂げられないだろう。
(……)
なんとなく、今日助けた女の子の顔が浮かんだ。
ホーキンが何者かも知らず、汚れのない世界で生きるきらきらとした存在。
あれと同じ世界で生きることができるのだろうか。そんな思いを抱いた瞬間、ホーキンは衝動的に口を開いていた。
「――俺は変われるのか?」
「『保証』はできかねる。しかし試すことはできる」
「今日みたいにか」
頷く静夏を見てホーキンは溜息をつく。
「人生諦めた人間にそんなチャレンジさせるなよ、まったく。……わかった、ここでもう一度生きてやる」
「ホーキン、……よくぞ考え直してくれた」
「まずは俺たちの魔法の有用性を街の人間に教え込んでやるよ。元悪党でも魔導師は重宝される。それが恐怖や忌避感を上回れば万々歳だ。ジェスたちにも伝えておけ」
自分は自分のやり方で馴染んでやろう。
そう決意したホーキンの言葉に、静夏は心から嬉しそうに笑みを浮かべた。





