第69話 まだ早い信頼と、これからのための信頼
「……しっかしそんな事情があったとはなぁ」
伊織たちが病室から去り、再びふたりきりになったバルドとサルサムは今しがた耳にした話を思い返しながら呟いた。
ニルヴァーレは聖女に負け、そして十中八九死んだのだろうと思っていた。
なにせ激闘を繰り広げた末に地面に倒れ込み、そのまま文字通り消えてなくなってしまったのだから。
しかし実際にはニルヴァーレ本人の魔法で魔石化し、ヨルシャミの夢路魔法を介してでしか交流できないものの『生きて』いるのだという。
バルドもサルサムも魔導師ではないが、今まで魔法による不思議な現象も奇想天外な現象も沢山目にしてきた。
それでもこんな例は初めてだ。
「聖女たちが嘘をついている、って可能性もあるが――」
「メリットがねぇ」
「それだ。俺たちを油断させて何か仕掛けようとしてる、ってことなら納得はするが、そのチャンスがすでに何度もあったのに動きがないのは不自然だよな」
そもそも聖女一行は基本的に善人の集まりのようだ。
サルサムは彼女らと深い交流をしたわけではないが、装った善性ではないと感じていた。むしろヒヤヒヤしてしまうくらいのお人好し軍団に見える。
これは今まで呆れるほど沢山の『悪意を持った人間たち』に接してきたからこその勘なのだろう。
愚かなほどの純粋さ。
それは救世主故なのだろうか。
サルサムに事情はわからないが、彼ら彼女らが自分たちを油断させ害を加えようとしている、という予想は今のところ想像の域を越えない代物だった。
「まぁとりあえず、ニルヴァーレへの伝言の件で真偽を判断できる情報も少しは集まるだろ。お前にしちゃ機転を利かせたじゃないか」
「うん? なんの話だ?」
「……ニルヴァーレ本人に伝言を頼む、って形で探りを入れながら次に会う約束を取り付けたんじゃないのか?」
「俺がそんな頭良く見えるか」
「納得した! 俺が悪かった! あの空気読んでない伝言は素か!」
あの伝言の件はあまりにも突飛だったため、これ幸いとサルサムも乗る形で話を進めたのだが、まさか本気だったとは思っていなかった。
預けられたままのニルヴァーレの私物をどうしようと悩んでいたのは本当だ。ただサルサムはバルドほどそれを重要視していなかった。
そもそも転移魔石を頂戴して私的利用している点で然もありなんである。
その私的利用の際に転移魔石の転移先設定を勝手に弄ったので言い訳はできない。
(転移魔石か……)
本来なら転移先は事前に調べた『魔石の採取できる場所』と、帰還先の『ニルヴァーレの庭園』となっていた。
サルサムは「仕事のたび設定し直すのは面倒くさいなぁ」と言うニルヴァーレから設定の変更方法を学んでいたため、この転移先の変更は自力でできる。
しかし知識があってもなんだかんだで毎回ニルヴァーレが「ここへ行ってこい」と主導して設定していたこと、そしてサルサムもトラブル回避のために勝手に弄らなかったことから、転移魔石を使うとしてもぶっつけ本番だった。
今後もサルサムが知識として行きたい場所を知っていれば一ヶ所ずつ限定だが変更できるものの、本来なら使うたびニルヴァーレの魔力を充電していたため、このまま乱用すれば電池切れのように使用できなくなるだろう。
いっそのこと聖女一行の魔導師――ヨルシャミに充電してもらおうかとも考えたが、この魔石はサルサムたちの大きなアドバンテージだ。
聖女一行を信じきって手の内を晒すのはサルサムとしてはまだ不安だった。
「……」
そう、不安だということはまだ信頼していないということだ。
バルドは目的を達成できるなら気にしないのだろうが、自分は違う、とサルサムは考える。
ニルヴァーレに指摘されて初めて『自由に生きてみたい』と漠然と思った。
そのついでとして、解き放たれた自由の権化のような男――少なくとも自分よりは自由な男に同行し、世界を見て回ろうと思ったのだ。
いわば自分探しの旅に近かったが、もし指摘されれば照れくささから全力で否定してしまうに違いない。
(バルドは……体に問題なしってお墨付きを受けたら、あいつらの旅に同行するつもりなんだろうか)
バルドの主目的を考えると可能性は高い。
一目惚れした相手に近づき、共に旅をしながらアピールするというのは願ってもない状態だろう。
もしそうなったならサルサムは大いに悩む。
まだ信頼しきっていない相手と寝食を共にするのは非常にストレスだ。
(いやまぁ、コイツと旅してるだけでも同じことなんだが)
そうちらりと視線をやると、バルドは伊織から貰った果物を剥いて齧っていた。
話は終わっていないのに隠し持っていた自前のナイフで鼻歌を歌いながら病院内で果物を剥く。――これは自由以外のなにものでもない。
考え事をしているサルサムをよそに果実をもぐもぐと咀嚼したバルドは途端に目を丸くした。
「うっわ、これ甘ぇ! サルサムも食えよ、なんかゴチャゴチャ悩んでるみてぇだし糖分補給しとけ」
「大体お前のせいなんだけどな」
そう言いつつサルサムは差し出された果実を口にし、
「……あっまいなこれ!?」
「だろだろ!」
想像以上の甘さに、諸々重苦しく考えていたことが吹っ飛んだのだった。
***
「えっ、まだしばらく滞在するのか?」
伊織は静夏から伝えられた言葉に目を瞬かせ聞き返した。
静夏はゆっくりと頷いて説明を口にする。
「ああ、街の住民からの要請があった。長くは留められないのはわかっているが、せめて犯人グループが退院し、然るべき処置をされるまで護衛として滞在してほしいそうだ」
「まあ捕まったとはいえ盗賊出身の泥棒が何人もいたら不安だよな……」
しかもその中には魔導師までいるのだ。
一般人からすれば魔石無しに強力な力を操れる魔導師は恐ろしい存在だった。それが魔法を封じる、隠蔽する、物を押す力のみだとしても。
「……でも母さん。出発は住民の不安を払拭してからにしたい、ってこと以外の考えもあるんじゃないか?」
「わかるか」
「わかるよ」
静夏は柔らかく微笑む。
「ロストーネッドの住民たちに、彼らは恐れる対象ではないと少しでも知ってもらえるよう働きかけるつもりだ」
もし彼らが新たな道で生きると決めた時のため、信頼という地盤作りをしておきたいということだ。
伊織は「それなら仕方ないな」と笑う。
「あ、なら僕、その間にやってみたいことがあるんだけど――」
「やってみたいこと?」
伊織は頷き、ずっと考えていたことを口にした。
「この世界で一度、自分の力だけで働いてみたいんだ」





