第59話 人騒がせな大きい迷子
ウサウミウシが再び「ぴい?」と鳴いて顔を覗き込んでいる。
伊織は引っ繰り返った状態でそれを抱き上げ、ああようやく捕まえた、とホッとしながらズキズキと痛む背中に鞭打って起き上がった。
「……」
そして完全に伸びているバルドを見つけ、冷や汗をたらりと流したのだった。
***
「いやァ、マジで死ぬかと思った。窒息と頭蓋骨骨折どっちもありえたぞ」
「その、すみません……」
口調を敬語に戻しての本気の謝罪である。
伊織はあれから程なくして目覚めたバルドと共に路地裏近くのカフェで席を取っていた。
あの時、伊織は医者を呼ぶべきかオロオロとしていたが、そんな伊織の目の前でむくりと起き上がったバルドに『詫び』として好きなものを奢ることになったためだ。
伊織は早く静夏たちにウサウミウシの無事を知らせたかったが、ここでバルドを放置していくのも気が進まない。
バルドは無理やりの協力だったとはいえ、すぐにウサウミウシを見つけただけでなく伊織の不注意で気絶までしたのだ。
しかしバルドはけらけら笑って言った。
「いやいや、べつにそこまで謝るこたぁねぇだろ。ああは言ったが俺は丈夫が取り柄だからな!」
「といっても限度が」
「前に十メートル越えの滝から落ちても無傷だったし、鉄砲水に吹っ飛ばされて下流に流されても無傷だったし、魔獣に蹴っ飛ばされて崖から落ちても無事だったしさ」
「限度があるよな!?」
どこまで本当かわからないが、どうやらバルドは気に病んでいる伊織をフォローしているつもりらしい。
伊織は頬を掻きつつメニューを差し出す。
「とりあえず、なんでも好きなものを選んでよ。お金ならある程度は余裕あるから。それにもし後から診察が必要なことになったらその代金も――」
「そこまで気にすんなって! メシでチャラだ、チャラ。それに俺は約束を守ってくれるだけでいいんだからな」
約束、と伊織はごくりと喉を鳴らす。
ウサウミウシを見つける約束を果たしてくれた以上、やはりこちらも約束を守らなくてはならない。
ここまでしてもらって反故にしてさようなら、というのはさすがに伊織も自分で自分が許せなくなりそうだ。それすらバルドの狙いだったのではと思わなくもないが、気絶は本人にとっても予想外のことだっただろう。
もちろんちゃんと守るよ、と言う前にバルドは再びカバンの中に大人しく収まっているウサウミウシを指した。
「そういやそいつさ、急に暴れだしたって言ってたよな?」
あれからウサウミウシが失踪した理由も簡単にだが話してある。
伊織はこくりと頷いた。
「うん、もしかしたら色んなウサギのモチーフが気になったのかもって……」
「周りに似た奴が多いから自分の群れにでも見えたんじゃねぇのか?」
伊織は目を瞬かせてウサウミウシを覗き見た。
ウサウミウシが自分に似たものを見つけて反応した、としか思っていなかったが、たしかにそうだ。簡単なことではないか。
ウサウミウシは群れからはぐれた孤高の個体である可能性が高い。
なら似たものに囲まれていれば「もしかして自分の群れでは?」と気もそぞろになっていてもおかしくはなかった。
「そうか……こんな予想すらできなかったなんて情けないな……」
「マジでな」
「返す言葉もない……」
落ち込む伊織を前にバルドはニッと歯を覗かせて笑った。
「まあこれから知ってくキッカケになったならいいだろ。相手が人間だろーが人外だろーが、ちょっとしたキッカケからそいつのことを知ってくのはみんな一緒だ」
「……」
――酷く軟派で突飛な人物だが、こういう考え方は嫌いじゃない。
伊織はそんなことを思ったが、なんだか照れくさくて口には出さなかった。
そこでバルドが身を乗り出して伊織に訊ねる。
「ところでもうひとつ訊きたいことがあるんだけどよ」
「もうひとつ? なに?」
「お前、この辺の地図持ってねぇ? 相方と店で待ち合わせしてたんだけど、場所が全ッ然わからなくてよー」
「マジで迷子だったのか!?」
伊織はあの時耳にした会話をナンパの建前だと思っていたが、真実だったわけだ。
嘘はつかない主義なんだ、などと言いながらバルドは快活に笑った。
かと思えばそこで突然店員を捕まえてローストビーフのホットサンドを頼む。どこまでも自由な男だ、という感想を伊織は持ち、それは大方当たっていた。
「その待ち合わせの場所って? 地図はないけど案内できるかも」
「えーと、たしか人気店で……ロスバル! そう、ロスバルだ」
案内できる。めちゃくちゃできる。
探す間に少し離れてしまったが、まだどの道をどう通ったか伊織は覚えていた。
やった! と子供のように喜んだバルドは届いたホットサンドを見て再び喜ぶ。その姿はやはり大きな子供のようだった。
バルドは一口が大きいタイプであり、カフェに滞在していた時間はそう長いものではなかった。
伊織も場所賃代わりにオレンジジュースを頼んだが、それも飲み干すのにそう時間はかからなかったのは走り回ったため喉が渇いていたからだろう。
魔獣情報の聞き込みはまだできていないが、まずは仲間と合流するのが先決だ。
(ってことは、この人を連れてみんなを探すか、宿の場所を教えてから一旦別れて後で来てもらうかになるわけか……)
合流した時になんて説明しよう。
そう伊織が考えを巡らせていると、聞き慣れた声が耳に届いた。
「伊織?」
「母さん……!」
カフェから出た先の道、そこで鉢合わせたのは静夏だった。
鉢合わせたといっても実際には数メートルほど離れていたが、静夏は他の通行人から頭ひとつ分は飛び出ているため一瞬でわかる。
頭頂部すらほとんど見えないが、どうやら隣にリータもいるらしい。
静夏は人波をものともせずにズンズンと進むと伊織の目の前まで辿り着いた。
「各々の方角を探した後に合流したんだ。そっちはどうだ、見つかったか?」
「あっ、うん! 洗濯ロープに引っかかってたんだ、ほら」
伊織は慌ててカバンの中を見せる。
その中を覗き込んだ静夏とリータは安堵の表情を覗かせた。
「イオリさん、すぐ見つかってよかったですね!」
「はい、騒ぎになる前でよかったです。もし魔獣に間違われていたら今頃どうなっていたか……」
もしも路地裏より人目のある道に落ちていたなら、もっと大きな騒ぎになっていた可能性もある。
そうリータに笑いかけていると、静夏が「そちらは?」と伊織の後ろに立つバルドを指して訊ねた。
そうだ、こういう場合はどうすべきなのだろうか。
言葉で伝えるどころか引き合わせてしまった。
もしかしたらこのまま怒涛のマシンガン口説きトークが目の前で繰り広げられることになるのかも、と伊織は冷や汗を垂らす。
息子としてそういう光景はあまり見たくないなと思いつつバルドを見上げると――彼はぼーっと静夏に見惚れていた。無言で。なにも言わず。
「……」
これはこれで複雑だ、と伊織は口を引き結ぶ。
しかしバルドは心ここにあらずといった様子でもしっかりと静夏の姿を見ており、この反応を見るに本気で恋をしているのだろうということが伝わってくる。単純なナンパ目的ではない。
これはバルド本人に気持ちを確認しておくべきかもしれない。
そう考えた伊織はバルドの袖を引っ張った。
「無言はないだろ。ほら、ちゃんと自己紹介――」
「あッ!」
突然声を上げたのはリータだ。
きょとんとしている伊織と静夏の目の前でバルドを指さして言う。
「この人、ニルヴァーレと一緒にいた人じゃないですか!」
「へ……?」
寝耳に水だ。伊織は慌ててバルドを見る。
バルドはバルドで伊織にそっくりな顔をしていたが、ハッと事態を把握すると「うわッ、ヤッベ!」と背を向けて走り出した。
その脱兎の如き様子は周囲にモチーフとして溢れるロスウサギたちよりウサギである。
「悪ィな、えーっと……伊織! 俺はズラからせてもらうぜ! あと麗しい筋肉のご婦人ー! 俺はバルド、また会おうなー!」
「逃げながら自力で目標達成してった!?」
一瞬で逃げ去ったバルドを追うこともできないまま伊織はその背中を見送った。
そして名乗り忘れていたが呼ばれた名前。
どうやら静夏が呼んでいたためそれを聞いて把握したらしい。ヨルシャミたちと異なり細かな発音までばっちりである。
しばし無言になった後、三人は顔を見合わせて考えた。
「……なんで追ってきたんでしょう。もしかして敵討ち?」
「彼があの時の様子を陰から見ていたのなら、我々がニルヴァーレを殺したように見えたかもしれない。……しかし実際に手を下す覚悟は決めていた。もし恨まれているなら受け入れよう」
「あんまりそういう感じじゃなかったけどなぁ……、あ」
伊織はもう一度バルドが去った方向を見る。
「どうした?」
「いや、その……」
バルドは迷子だったのではないか。
ロスバルに案内する前に逃走してしまった。
しかも走り去ったのはロスバルとは真逆の方向である。
今から走っても追いつくのは難しいだろう。逃亡の意思を持って逃げている人間がウサウミウシのように簡単に見つかるとは思えない。
「……迷子ってほんと人騒がせだよな」
伊織は我が身を振り返りつつ、どうしようもない現状も見ながらバルドと待ち合わせをしているという相方に同情した。





