第58話 バルドとの約束
自分が母親と行動しているところを目撃されたのだろうか。
それとも人妻好きの変態が当てずっぽうに口にしただけか。
なんにせよ伊織は自分の母親をこんなどこの馬の骨とも知れない軟派な男に紹介する気はさらさらない。
しかし早く腕から抜け出したいのにがっちりとホールドされており、無理やり離れるには骨の一本や二本差し出す覚悟でいかなくてはならなさそうだった。
伊織が足をバタつかせて無意味に空中を蹴っている間に、バルドと名乗った男性は直進していた道から一気に真横へ跳んでひと気のない路地裏へと入る。
今こそ叫んで助けを呼ぼう! と大きく息を吸った伊織だったが、唐突に首根っこを掴まれて「ぐえ」という声だけが出た。
バルドとしては手荒な扱いをしたつもりはないらしく、そのまま猫の赤ん坊のように吊り下げてそっと地面へと下ろすとにこやかな笑みを浮かべて言う。
「ご同行感謝するぜ」
「っげほ……! か、勝手に連れてきただけだろ……!」
敬語をやめて睨みつけるも、バルドはまったく堪えていない様子でばんばんと伊織の肩を叩いた。
親愛を込めているつもりのようだが勢いが強すぎる。
「まあまあ固いこと言うなよ! それよりさっきの話、どうだ? ちょっと母ちゃんに口添えして俺と知り合いにしてくれるだけでいいんだよ。あとはこっちで上手くやるからさー」
「普通そんなこと息子に頼むか!? ……ぼ、僕、やらなきゃいけないことがあるんだ。一刻を争う。だから――」
「一刻を争う?」
伊織の言葉にきょとんとしたバルドはしばし考えると「よし!」と手を叩いた。
「何をやんなきゃならねぇのかわからねーが、それ、俺も手伝ってやるよ!」
「え!?」
「人手があって損はないだろ?」
それはそう。
それはそうだが相手が相手だ。
ウサウミウシを探してもらう代わりに静夏を紹介するなんて、伊織には恐ろしくて出来やしない。せめて金品を要求してくれたほうが救いがあった。
すぐに返事をできないでいるとバルドが無理やり肩を組んできて言う。
「こうしている間にも貴重な時間が消費されてってるぞ、ほらほら早く決めろよ」
「そ、そんなこと言っても」
「なんなら俺の容姿と名前を伝えてくれるだけでもいいんだぜ? これくらいならいいだろ? な?」
本当にそれだけで済むのか怪しいところだ。
きっとその蜘蛛の糸のような繋がりを頼りに言い寄ってくるに違いない。
しかし時間がないのも人手が欲しいのも事実。伊織は頭を抱える。
(そうだ、容姿と名前だけでいいなら要注意人物って情報も僕から付け加えとこう! 母さんなら正当防衛でナンパ師の一人や二人、なにかあれば山の向こうまで投げ飛ばせるはず……!)
どのみち不審者情報は伝えるつもりだった。
ならば、と伊織は頷く。
「わ……わかった。でもそれ以上のことはしないからな」
「やったぜ! で、何なんだやらなきゃならないことって」
伊織は指で空中にウサウミウシのフォルムを描いてみせた。
「ええと……こういう形をした、生き物っていうか……しょ、召喚獣! 知り合いの魔導師が召喚した召喚獣なんだ。もしかすると今はボールみたいな形になってるかも。ウサギに似たウミウシみたいなスライムって感じ。それが行方不明になったから探してる真っ最中で……」
あまり情報は渡したくなかったが、必要最低限のものは必要だ。
古いサモンテイマーが召喚した個体を伊織がテイムしたということはぼかしておいたが、今はこれで十分だろう。
バルドは「妙ちくりんな形してるんだな」と伊織のジェスチャーから形を想像したのか感想を漏らした。
「名前はあるのか?」
「名前……」
知っている『ウサウミウシ』があのウサウミウシしかいないため、今まで種族名で呼ぶことに問題はなかった。
勝手に名前をつけてペットのように接することに抵抗感があったというのもある。
――実際に旅をする過程でペットのような状態になっているのはさておき。
ウサウミウシ自身に名前があるのかどうか、伊織は知らない。
もしあるなら何という名前なのか訊ねられればよかったのだが、今のところ仕草や声からなんとなく言いたいことを察せられても会話と呼ぶには程遠かった。
伊織は視線を落として答える。
「名前は……ないけど、種族名はウサウミウシだよ」
「すげーそのままだな」
「凄くそのままなんだ」
バルドは無精ひげの残る顎を緩く擦り、そのまま伊織――を通り越して伊織の後ろに続く路地裏を見る。
そしてなにか言いにくそうな様子を見せた後、あー、と長く単音を発してから言った。
「それってアイツか?」
「へ?」
バルドが指さす。
その指先につられて振り返った伊織はぽかんとした顔をした。
ウサウミウシが路地裏の間に渡されている洗濯ロープに引っかかるようにしてぶらぶらしている。かと思えばロープに沿ってカタツムリのように這い始め、時折くるんと回ったりわざとロープを揺すったりしていた。
――遊んでいる。どう見ても遊んでいる。
「おっ……お前……! こっちがどれだけ心配したと思って……!」
「迷子っていうのは得てしてそういうモンなんじゃね?」
自由を満喫し、想像の欠片ほども不安がっていないその様子に伊織は脱力したが、無事ならそれでいいとも思う。
どう下ろそう、と悩んでいるとバルドがちょいちょいと自分の肩を示した。
「肩車すりゃなんとか届くだろ、乗れよ」
「い……家の人に事情を説明すれば……」
洗濯ロープは二階の窓から伸びている。
ウサウミウシが乗ることでたわんでいるとはいえ、伊織ひとりでは手が届かない。
そのためバルドの申し出はありがたかったが、穏便に済ませられるならそれに越したことはない、と事情を説明して家に上げてもらう選択肢を選ぼうとした。
しかしそれはすぐさまバルドに却下される。
「そうしてる間に落っこちてまた見失ったらどうすんだ。ほら遠慮すんなって!」
「うわわっ!」
強制的に持ち上げられて足の間に首を突っ込まれる。
そのまま伊織を肩車したバルドはウサウミウシの真下まで移動した。
静夏ほどではないにせよ、バルドの身長もそれなりに高い。ニルヴァーレより少し小さい程度だ。普段より高い目線にくらくらしつつ、伊織はウサウミウシに向かって両手を伸ばして声をかける。
「ほら、おいで。みんなのところに帰ろう」
ぴ? とウサウミウシがこちらに気がついて鳴いた。
「可愛い声で鳴くんだな。と思ったが多分それ声帯からじゃなくてスライムみてぇな体ん中で空気潰して出してる音だな。ちゃんと意思表示に使ってるようだし鳴き声っちゃ鳴き声だが」
「ここでそんな新情報!?」
突然の解析に伊織は思わず視線を下げてバルドを見る。
しかし両手はウサウミウシに向けたままだったため、伊織が視線を外している間にウサウミウシがぴょんっとロープから飛び降りた。
そう、伊織は見ていない。
そのため受け止めるはずだった両手の間を擦り抜け、するりと落下したウサウミウシは手の下のほうにあったバルドの顔面に着地した。
伊織は初めてウサウミウシに這われた時の感触を思い出す。
あの感触はきっと誰もが仰天するだろう。
もしそれを顔面に受けたなら、慣れてきた者でも危うい。つまり。
「っむが!?」
「うぉわァッ!!」
バランスを崩したバルドが転倒し、ついでに伊織も巻き添えを食らうのは避けられないことだった。
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