第587話 オルバートの変化
「なるほど、伊織の気分転換としての観光か」
ナレッジメカニクス本部内の通路にて。
伊織の勉強に使う資料を片手に歩いていたオルバートはそう呟くと隣を歩くシァシァを見上げた。
「良いかもしれないね、夏休みを堪能した時も伸び伸びと遊んでいたし」
「あァ良かった、許可が下りてホッとしたヨ」
「はは、もし許可が下りなくても君なら自己判断で連れ出しただろう?」
シァシァは片側の口角を上げて言う。
「前ならネ。今は……まァ……ホラ、あの子にとって気がかりが少ない状態で遊んでほしいなって思ってるから」
「気がかり?」
「父さんがダメって言ってるのに出てきちゃった、とかそういうヤツ」
シァシァのそんな言葉を聞いたオルバートは片側だけの目をばちくりさせ、そして何やら感じ入った様子で何度か頷くと「なるほど」と最後にもう一度頷いた。
「学びが多いな。やはり君とパパ友になったのは正解だったようだ」
「ウ、ウーン、なんかそれ未だにムズムズするなァ……。まあとりあえずそういうワケで、伊織が喜びそうなトコロをいくつか探しておこうヨ」
「そうだね、わかった。……ただ観光は一つ用事が終わってからでいいかい?」
用事? と今度はシァシァが聞き返すと、オルバートは何てことないことを話すようにそれを口にする。
「そろそろ一度ヨルシャミと接触させてみようと思っていてね」
「――それは……その、なんともリスキーな……」
「洗脳の安定性をこの目でチェックしておきたいし、それに勝つことは無理だろうが伊織も強くなった。何か得るものがあるかもしれない」
「この目で、ってコトは君も同行するのか」
そうだよと肯定しながらオルバートは資料を持ち直す。この資料もこれからの伊織の力になる。実際にヨルシャミと接触する時は更に強くなっているだろう。
「聖女たちが分散している今だからやっておきたい、っていうのもあるけれどね。さすがに一丸となって迎え撃たれるのは避けたい」
「ケド……また負けたら伊織が落ち込むんじゃないかな」
「そこにも一応対策を考えてある。伊織に目標を与えるんだ、ヨルシャミに勝つって目的じゃなくて『これは訓練の一環である。ヨルシャミの髪を一房手に入れれば成功とする』みたいなね。実際にはもう少しゲーム性を高くしようと思っているけれど」
高すぎる目標ではなく伊織が達成出来そうな目標を第三者が与える。
そこにゲーム性を加味することで、失敗した時の心理的負担を軽減する。
それがオルバートの言う対策だった。その上でオルバート自ら伊織がかつての仲間と直接対峙した際の反応を見てデータを取り、今後の方針に活かす。そういうことらしい。
「観光は息抜きになるから、出来ればこの計画の後に持って行きたいんだ」
「なるほど、ならその方がイイね。……それ、ついて行くのは君だけ?」
「まさか。ヨルシャミひとりじゃなさそうだから、こちらも戦闘要員を少し連れていくよ。シェミリザは送り迎えだけしてもらう予定だけれどね」
むしろ大きな戦力になりそうなシェミリザを何故戦闘要員にしないのか。
シァシァはそんな疑問を抱いたが深入りせず問わないことにした。――しかし表情から察したのかオルバートから答える。
「シェミリザはヨルシャミとゆかりがあるから、その場にいるとヨルシャミが伊織より彼女を狙うかもしれないんだ」
「……ゆかり? 同じエルフノワールってコト……あァ、攫った時に居たからか」
それなら同じくその場に居たオルバートが同席しても同じことだが、一旦納得したシァシァがそれに気づく前に伊織の部屋の前に到着した。
時刻は朝。少し早い時間だがそろそろ起きている頃だろう。
そう考えながらノックをすると、部屋の中から眠たげな声で返事があった。起きてはいるがついさっきの目覚めだったらしい。
「目覚め後の微睡みを邪魔してしまったようで申し訳ないね」
「……」
そう言って笑うオルバートにも随分と見慣れたが、やはり未だに違和感がこびりついている。
今まで想像すらしたことがないが、何千年も変わらないオルバートのような人間でも『子供』に親と慕われられればこうなるのだろうか。今まで同種の子供を山ほど実験体にしてきたというのに。
それに対して罪悪感があるなら、今こうして自分の命令で洗脳した子供に慕われ懐かれる状況にも同じものを感じているはずだが、彼がそういった感情を覗かせることはなかった。
(ワタシが言うととんだ棚上げになるケド……やっぱり人間は不気味だ)
これからも様々な変化を見せられるのだろうか。
だがこれ以上のものはなかなか見ることが出来ない、シァシァはそんなことを考えながらドアを開く。
ベッドから顔を出した伊織が眠そうにしている。隣には金髪の頭。家具を新調した際に「ニルと二人で寝るからベッドは一個でいいよ!」との進言から少し大きいサイズのベッドとなり、そこで毎日二人で寝ているらしい。
仲良し兄弟という設定なのだろう。
そうシァシァが眺めていると金髪の少年――伊織曰くニルがむくりと起き上がった。
全裸であった。
「ほらイオリ、起きて支度しないといけないよ」
「うー、わかった」
ニルに起こされた伊織が渋々ベッドから出る。
全裸であった。
シァシァは細い目で一旦天井を見た後、ああそっか、と納得した。恐らくニルは全裸で寝る性分なのだ。そういう習慣を持つ者がいることは知っている。
そして伊織には元々そういった習慣はなかった。きっと弟の習慣に倣ったのだろう。
「いやァ、子供って真似するのが好――」
「ぼ、僕たちが雑談している間に伊織が大人の階段上った……!」
「は!?」
シァシァは素でその一音を発した。
オルバートが目を丸くし見たこともないような表情で固まっている。しかも予想もしていなかったセリフを吐いて。
それだけ驚くようなシチュエーション――ではある。驚きはする。しかしこんなリアクションをするとは思っていなかったシァシァは何度か「あー……」と言いつつオルバートの肩を叩き、先ほどの予想を伝えた。
着替えながらそれを聞いていた伊織がそうそうそれ! と同意したのを聞いてオルバートも納得と安堵したようだったが、シァシァは思う。
これ以上のものはなかなか見ることが出来ない、これに関しては脳内でのこととはいえ前言撤回しておこう、と。





