第586話 不可解な家族 【★】
「なんかネロがでっかくなってる!!」
翌日の昼過ぎに宿へと戻ってきたミュゲイラの第一声である。
街へ情報収集に出かけた後、昼食とミュゲイラが戻っていないか一旦部屋に戻っていたヨルシャミたちは「もっともな疑問であるな!」と経緯を説明した。
ミュゲイラは世の中不思議なことがあるもんだなとうんうん頷きながら受け入れる。
「そういうお前はどうしたのだ、もしや登り切ったのか……?」
「おうっ、バッチリ! いやー、てっぺん……拳の上からの光景は最高だったぞ、お前らにも見せたかったなぁ」
「下山の時間も考えると恐ろしいスピードじゃないか!?」
驚くネロにミュゲイラはピースをしつつ笑った。
「ちょっとだけ急いだ!」
「ちょっとだけ……」
「あ、ちゃんとナレッジメカニクスの基地がないかとかイオリの居た痕跡がないかとかは調べたぞ、特に変わったところはなかったけどさ」
そう報告するとミュゲイラは両手に持ったチキンサンドイッチを頬張る。
聞けばマッスルマウンテンを夜通しで登り、食事は持参した軽食を摘まみつつ山に生えている果物や野草で可食のものを選別し定期的に栄養補給をしていたらしい。この辺りのスキルはじつにフォレストエルフそのものだ。
「別の山脈も合流してるところがあってさ、全部制覇してみたかったけどこりゃ老後の楽しみかなー」
「お前らの老後っていつなんだ……」
ネロは水を飲みつつぼそりと感想を漏らし、手元に寄ってきたネコウモリにパンをちぎって与えた。
それを眺めながらミュゲイラが問う。
「そういやそいつさ、イオリの匂いを覚えて追跡可能じゃなかったっけ?」
「ああ、それなんだが――」
ミュゲイラが戻るまでの間にそれを思い出し、ヨルシャミとネロはネコウモリに伊織の居場所を突き止めてほしいと伝えていた。
阻害魔法が効いていてもネコウモリの力ならどうだろうと思ったのだが、どうやら魔法に関わる事柄以外にもいくつか対策されているらしく精度が落ちていたのだ。
その対策も阻害魔法ほどの効果はないため大雑把な場所まで絞り込めそうではあった。
しかし。
「……どうやらイオリは長くあやつらの傍に居すぎたせいで匂いが変わってきているらしくてな」
「あー、環境とか全然違いそうだしそういうこともあるのか……」
「でも希望はあるんだ」
ヨルシャミの言葉を継いだネロが言う。
「どうにかしてもう一度イオリに会って、今の匂いをネコウモリに覚えさせれば……もしその時にイオリを取り戻せなくてもナレッジメカニクスの根城がわかるかもしれない」
その言葉に目を輝かせたミュゲイラは自分のチキンサンドイッチをそっとネコウモリに差し出した。
「最高じゃん! その時は頼んだぞ、ネコウモ――」
その動き、神業の如し。
目にも留まらぬ速さでウサウミウシがチキンサンドイッチを掻っ攫い、ミュゲイラはもうひとつ自分の食事からサンドイッチを提供することになったのだった。
***
伊織に異変が起こり、その原因は十中八九ナレッジメカニクスによるものである。
それによる伊織の変化を目の当たりにし、感情が揺さぶられることもあるだろう。しかし彼のためにもしっかりしなくてはならない。
そうニルヴァーレは思っていたのだが――今現在感じている不可解な感情は八割がたが伊織の変化ではなくナレッジメカニクス側の変化によるものだった。
(一体何が狙いなんだ……?)
今日も今日とて伊織の隣でマカロンを齧りながらニルヴァーレは思う。
このマカロンはシァシァが作ったものだ。ニルヴァーレの知る彼はこんな手の込んだものを子供に作る人物ではなかった。しかもやたらと完成度が高いし美味なのが恐ろしい。
(イオリのこの様子、恐らく洗脳か何かを受けている。ということは洗脳した目的があるはずだ。その目的達成のためにイオリの篭絡が必要だった、のなら甘やかすのも必然ではあるけれど……)
ここまでするだろうか。
しかも凡そこんな役に手を貸さないであろう人物までおかしい。
「そういやセトラス兄さん、こないだカメラ付きドローンを作ってみたくて試作機にカメラを乗せたんだけどさ、録画した映像を見たら……」
「激しく揺れていて酔ったと?」
「そうそれ! よくわかったね!?」
「私も同じ失敗をしたことがありますから」
そう伊織の向かいに座って会話しているのはセトラスだ。
つっけんどんな態度ではなく自らの失敗を明かしてまで会話を続けている。しかも伊織と同じくマカロンを食べながら。ニルヴァーレはセトラスが何かを飲んでいるところはそれなりに見たことがあるが、固形物を食べているところを見たのは大分久しぶりだった。
振り返ってみれば二、三回ほど偶然見かけた程度ではなかろうか。
「まずドローン本体の安定性を高めましょう、今度持ってきてくれますか」
「うん、わかった! ありがとうセトラス兄さん!」
どういたしまして、と言いつつセトラスは席を立つ。
「では今日はパトレアの脚の整備があるのでこの辺で」
「いってらっしゃい!」
そう言って手を振る伊織に軽く手を振り返し、セトラスは食堂から出ていった。――どうしてそうなった、と思わずにはいられない。
(僕なんて話しかけたらほとんど無視されてたぞ……! まあ僕が美しすぎて直視できなかったんだろうけど)
話に出ていたパトレアも至極伊織に懐いていたが、彼女は元からそういった気質なので違和感は薄い。
ヘルベールは――いつも通りに見えるものの、人間の子供相手だからか比較的態度が柔らかいように感じられた。例えるならそれぞれ遠方に住んでいた祖父と孫に近い。
そして。
「やあ伊織、今日はマカロンかい?」
「あっ、父さん。そうだよ、パパが焼いてくれたんだ。しかも味が六種類!」
「それは凄いね」
オルバートの変化が一番不可解だった。
なぜ穏やかな笑みを浮かべ、それに見合った声音を発しているのか。
オルバートという人物にそんなことが可能などとニルヴァーレは一度も思ったことはない。この子供の姿をした得体の知れない人間は感情を動かさずに人を様々な実験に使える人物だ。笑みを浮かべたとしても口角を少し上げる程度、そういう人だと認識していた。
「コーヒー味もあるから要る? ほら口開けて!」
「いいのかい? ……ふむ、ならお言葉に甘えて」
そう開いたオルバートの口に伊織は焦げ茶のマカロンを放り込む。
しばらく咀嚼した後、オルバートは鼻から抜けるような笑い声を出して伊織の頭をぽんと撫でた。
「伊織、これは栗味だね」
「あれ!? 間違えた!?」
笑い合う二人にニルヴァーレは口の中のマカロンを無理やり嚥下してから目を瞑る。不可解なことばかりだ。だがいつまでも距離を取り続けているわけにはいくまい。
(警戒されちゃ動きにくくなってしまうしね。それに……うん……イオリは僕のだぞ!)
なんとなく洗脳という意味以外でも伊織を取られた気がした。
ニルヴァーレは伊織の肩をちょんちょんと叩く。
そしてかぱっと口を開いて言った。
「イオリ! 僕にもおくれ!」
ニルの分は手元にあるじゃん! とツッコまれたのは言うまでもない。
オルバートと伊織(絵:縁代まと)
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