第574話 君の名前 【★】
目を開けた先に広がっていたのは夢路魔法の世界ではなかった。
瞼にさえ重みを感じる。
それを開けたままだと目が乾く。
呼吸が必要で、吸ったら吐かなくてはならない。
現実世界だ。
ということは目覚めてすぐに伊織に憑依したということだろうか。
夢路魔法の世界に行けなかったことからヨルシャミは近くに居ないということになるが、すぐそばに伊織が居たのは僥倖だ。すぐにでも話を聞き、助けが必要なら手を差し伸べよう。
そうニルヴァーレはぼんやりする頭を振り、そして。
「やった、成功した! おはよう、君の名前は何ていうの?」
「……え?」
目の前の伊織を見て小さな声を漏らした。
少し成長したように見えるが伊織は伊織だ。見間違えるはずがない。
そんな彼が現実世界で目の前にいる、ということは、今自分が入っているこの器は一体何なのか。
重い両手を上げて見てみると子供の手だった。胴も足も同様で、どうやら壁にもたれ掛かる形でベッドに足を伸ばして座っている状態らしい。
よろめくが立てる。
妙に使い慣れた感覚のある肉体だ。
並んでみると伊織と背丈がそう変わらないか、むしろやや小さいように感じられた。
「これは一体……?」
「あっ、結構意識がはっきりしてるんだね。なら混乱しちゃうか……ならまずは自己紹介! 僕は伊織だよ、藤石伊織」
それは知っていると思ったニルヴァーレだったが、拭いきれない違和感に口を閉ざして様子を見る。
伊織はにこにこと上機嫌に笑いながら説明し始めた。
「魔石の欠片の中に君の魂……みたいなもの? を見つけてさ、どうやったら話せるかなって考えたんだ。そこで僕の魔力でイメージをそのまま出力して人間の体を作ってみた。まあ正確には魔力で作った人間の体みたいなもの、なんだけど」
「そ、そんなこと出来るなんて聞いたことないぞ」
「たしかにどの資料にも書いてなくて苦労したなぁ……」
伊織は数々の失敗を思い出したのか口角を下げる。
しかしすぐに笑顔に戻ると「だから一からは難しかったから魔力が記憶している僕の肉体をベースにして調整したんだ」と人差し指を立てた。
なるほど、とニルヴァーレはその部分にだけまず納得する。
伊織の魔力で作られてはいるが、その中に魂はないためニルヴァーレも焼かれることなく入ることが出来た。
しかも元から器になるよう調整されているおかげか肉体を形作る魔力も循環しており、自分の意思で多少の魔法を使うことが出来そうだ。ただし伊織から補充してもらわない限り肉体の命を削るも同然だが。
(そして何より……イオリの体がベースになっているなら憑依し慣れていて動かしやすいわけだ。しかし本当にこんなことが出来るのか?)
今まさに完成品を使っているわけだが、ニルヴァーレ個人としても魔導師としても信じられなかった。
だが伊織の魔力量に技術が追いつけば可能なのかもしれない。
なら――その技術は一体どこから得たのか。誰が教えたのか。
なんとなくだがヨルシャミではないような気がした。
「……ここはどこなんだい?」
「僕の部屋。……って、ああ、そういう意味じゃないか。えっと……あ! その前に君の名前だよ、名前!」
無かったら付けようか? と首を傾げる伊織にニルヴァーレは目を泳がせる。
伊織は自分がニルヴァーレだと気がついていないようだ。
しかし魔石の欠片、と口にしていたということは本体である魔石を目にしているということになる。だというのにそれとニルヴァーレが結びつかない。これがおかしい。
伊織なら自分だとすぐにわかってくれる、という自信がニルヴァーレにはあった。それ故の違和感だ。
ニルヴァーレだと理解していない状況なのなら――正直に名乗らない方がいいのかもしれない。少なくとも状況が把握できるまでは。
「……ニル」
「ニル?」
「そう、ニルって呼んでくれないかい?」
しかし元の名前からかけ離れたものを使う気にもなれなかった。なにせ美しい自分の一部である。たとえ両親から与えられたものだとしても自分の一部なら大切にしたい。
苦肉の策で短縮した名を伝えると、伊織は「ニルか~……よし、ニル!」と手を叩いた。
「今日からニルにとってもここが我が家だ、弟として宜しくね!」
「お、弟?」
「うん、弟になってほしくて体を作ったんだ。なんか……おかしな話だけど、君が魔石の中に居る時からニルになら色々話せる気がしてさ。それは概ね正解だったわけだけど!」
好感度が妙に高い。
以前ならニルヴァーレとしても納得できたが、初対面のように接する現状だと少し極端に思えた。
そこへ伊織が鏡を引き寄せる。
「ほら見て見て、君に似合うように髪色や肌質、手足の長さとか色々調整したからあんまり似てないけれど……目だけは僕と同じ色にしたんだよ」
そこに映っていたのは見慣れた緑と青の瞳ではなく、伊織そっくりの煌めく太陽のような金色の瞳だった。
憑依の際に目の色が変わるため、こういったこと自体には慣れている。
しかしどうにもそこにあってはならないものが眼窩に嵌っているようで、ニルヴァーレは思わず目元に手をやった。
その間に伊織は机の上に広げたノートに『ニル』と聞いたばかりの名前を書く。
ノートの隣にあったのは――パソコンだった。よく見れば時計もある。部屋は木製ではなく特殊な加工のされた壁であり、電気による灯りが設置されていた。
「……」
見覚えがある。
この世界には無いはずのものが集結する場所だ。
「よしっ、答えるのが遅くなってごめん!」
伊織はペンを置くと楽しそうに振り返って言った。
「ここはナレッジメカニクスの本部――僕が家族と住んでる、我が家だよ!」
ニル(ニルヴァーレ)(絵:縁代まと)
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