第568話 なにを今更。 【★】
出先で魔獣に襲われ負傷し、その過程でセトラスの精神が元に戻ったこと。
その話を聞いた伊織はあまりにも突然の出来事にぽかんとしていた。説明を受けた後もどうにも今のセトラスに馴染みがなくてもじもじしてしまう。
伊織のよく知るセトラスはいつも不安げで引っ込み思案で泣き虫な性格で、兄というよりは弟だった。
しかし今はきびきびと動き、敬語ながら思ったことをはっきりと口にし、機械類を弄る手腕もかなりのもの。そして何より視線が鋭い。セトラスはここまで切れ長の目だったのか、と伊織は初めて感じた。
(時期的に僕がナレッジメカニクスに保護されてからも見たことある、と思う……んだけど、なんか見慣れないな……やっぱりあのセトラス兄さんと長く過ごしてたからかな?)
一晩明け、廊下を歩きながら伊織はそんなことを考えていた。
――弟が居なくなったような気分だ。
この気持ちのせいで喜ばしいはずなのに心から祝うことが出来ず、伊織はどうにも上手く眠れなかった。また成長前の自分に戻ってしまったかのような気分だ。
「得たものもあったのにおかしいなぁ……あっ、父さん!」
前方に手を振るオルバートを見つけて伊織は笑みを浮かべる。
オルバートは伊織に歩み寄ると心配げに問い掛けた。
「やあ、おはよう。首の調子はどうだい?」
昨日は伊織の休養を優先したこと、そしてセトラスの件でどたばたしていたこともありオルバートと話す機会がなかなか無かった――のだが、そもそも帰宅時にオルバートはシェミリザと出掛けて不在だったのである。どこか重要な場所へ出向いていたらしい。
事前にシァシァの報告を受けていたため出先でも終始気掛かりだった、とオルバートは伊織の首元を撫でた。
「僕が回復魔法を使えれば良かったんだけれどね……」
「大丈夫だよ、見た目はまだちょっとアレだけど、パパがいっぱい回復魔法をかけてくれたから痛みはないんだ」
「本当かい?」
「うん!」
「それならよかった、肝心な時に――」
そう言いかけ、オルバートはぴたりと止まる。そして片方だけの視線を彷徨わせた後、言葉を継ぐ代わりに「朝ご飯は食べれそうかな?」と問い掛けた。
言おうとしていたことをド忘れしたのだろうか。父さんにもそういうことってあるんだな、と思いながら伊織は「うん」とにっこりと笑って頷いた。
***
伊織が心配だったのは本当だ。
自分で驚くほど作業に身が入らず、わたしの方が大変なんだからシャンとしなさいよとシェミリザに言われてしまったくらいだ。
数日前、オルバートはシェミリザを連れてとある島を訪れていた。
この場所は現在オルバートが進めている大きなプロジェクトで重要な役割を担っている。計画を次のフェーズに移す際には中央、起点となる土地だ。それほどプロジェクトの内容と相性が良い。
その関係上、現在の本部もここから近い位置に構えてあった。
この土地はレプターラの領地内にあり、前王から譲り受けたものだ。
もちろん彼らに重要性は伝えておらず、実験や倉庫代わりに使うからと貰った他の土地と同じようなものだと認識されていただろう。加えて記録に残らないよう伝えておいたので見つかる可能性は低い――が、念のため強めの結界を張ろうとこうして出向いたわけだ。
何百年も前から手入れを始めたが、当時は妙な生物が蔓延っており苦心したものである。
小さい個体ならたった数センチ程度のものだが邪魔は邪魔、しかも試しに何匹か捕まえて実験に使ってみたが特に役には立たなかった。
更には元からいる生物ではなく永続召喚によるものだと判明し、ひとまずその生物を周辺へ破棄。だがそれでも戻ってくることがありキリがなく、ある時一気に捕獲して遠く離れた地――当時の本部近く、ベレリヤのとある地域に放逐し、しばらくの間戻ろうとしないことを確認してから放置した。
その生物の名をウサウミウシ。
この土地を古い名でミッケルバードという。
オルバートがこの土地でやろうとしていることはナレッジメカニクスの中でも一部の者しか知らない。
ナレッジメカニクスは利害が一致した者が互いを利用し合う組織だが、その関係が崩れかねないからだ。しかしそれをオルバートは裏切りだとは感じない。いつだって己のしたいことをするために作った組織だが、その組織が足を引っ張るのでは本末転倒。しかしまだ利用できるのだからぎりぎりまでその状態を保とうじゃないか、という、そんな利己的な考えからだった。
しかしそんな考えが吹っ飛ぶほど伊織が気掛かりだったわけだ。
報告を受けた時はぎょっとしてイスから落ちかけ、しかも手に持っていたコーヒーを天高く放り投げてしまい大惨事だった。その場にシェミリザがいなかったのが幸いだ。
ただの負傷ならまだいい。
しかしその理由が看過できない。
オルバートは『子供がこんな目に遭ってはならない』という価値観も倫理観も持ってはいないが、伊織となると話は別だ。なんてことをしてくれたんだという気持ちである。
はやる気持ちを抑えて本部へ戻り、そして元気そうな様子を見て安堵した。それでも気になって翌朝わざわざ部屋の近くまで迎えに行ったのである。
その時に思ったことを口にしようとした。
しかしそれは理解不能な感覚により叶わなかった。
――肝心な時に居てやれなくてごめんよ。
そう言いかけた自分に思ってしまったのである。
なにを今更、と。
仮面無しオルバート(絵:縁代まと)
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