第564話 奇岩戦
奇岩は遥か昔に黒い山が噴火し、その際に飛んできた岩だと言い伝えられている。
黒くでこぼこした奇岩は視界にさえ入ればすぐにそれとわかるほど個性的で、この周辺で人を呼び出すならもっとも適した場所だった。――とはいえここで待ち合わせをする人間など今まで一人もいなかったが。
魔女の退治を使命と掲げる男たちは少し離れた物陰から様子を窺っていた。
もちろん身を隠す魔法は使ったまま。呼び出しに応じた魔女たちが罠にかかるのを悠々と見学するためだ。
奇岩には爆薬が仕掛けてあった。
もし即死しなくても手負いになるのは必至、そこを全員で袋叩きにすれば容易い。
点火は魔法で行なう。念のため仲間に弓矢を構えさせ、リーダーの男は魔女の到着を待った。
奇岩の周りには他にもいくつかの岩があり、奇岩よりは小振りだが人間が身を潜めることは可能だ。魔法があれば見晴らしの良い場所に居ても何ら問題はないが、念には念をである。
しばらく待機していると草原の向こうから歩いてくる人影が見えた。
「魔女っていうからには魔法で飛んでくるのかと思ったが、存外人間くせェんだな」
「もしかして魔法が不得意な魔女様だったりして」
「ハハハッ! そりゃ酒場でウケそうな話だ」
そう盛り上がっていると人影の姿形がはっきりとしてきた。片方は筋骨隆々の男、もう片方はフード付きのローブを着込んでおり性別はわからない。高身長だがあれが魔女だろうか。
「片方は誰だ? 護衛か?」
「まぁ巻き添えにしちまえばいい。いくら筋肉があっても爆発を受けちゃひとたまりもねぇよ」
二人組は奇岩に向かって真っすぐ歩いてくる。
しかしあと少しで良い頃合いだ、というところでその足を止めた。男が思わず舌打ちしそうになった瞬間、フードの人物が両腕を広げる。
ぽとり、と。
袖から落ちた丸い鉄色の何かが地面に転がり、表面のレンズが真上を向いたと同時に眩い光が周囲に広がった。それは男たちの元にも届き、目くらましかと身構えたもののそれにしては光量が弱い。
(……いや、それならなんでここまで届いた? 魔法の一種か?)
男がはっとして懐のナイフを握った時だった。
距離があるというのにフードの人物がはっきりとこちらを指さしたのである。
ぎょっとした男たちは伊織とナレーフカを抱え、即座に場所を移動しようと考えた。
危ない橋を渡っている最中にもう一つ新たな危ない橋を渡る気はない。身を隠す魔法を使っている魔導師を中心に立たせてその場から離れる。
しかし筋肉質な男が何か小さなものを吹くなり凄まじい勢いで数頭の虎柄馬が駆けてきた。それらは奇岩やその近くの二人組ではなく、隠れている男たち目掛けて迷いなく突き進んでくる。
(なんだ!? バレてるのか!?)
伊織を抱えた男はもっと速度を上げて進むよう指示した。
すると虎柄馬たちは一瞬前に男たちがいた場所で足を止め、周囲を探るように唸りながら視線を巡らせる。見えてるわけじゃないのか、と男たちは安堵したが、今度は一瞬目を離した隙に二人組が姿を消して大いに慌てた。
再び笛の音が響く。
一斉に頭を上げた虎柄馬たちが見えないはずの男たちに突進し、このままでは踏み殺されると焦った全員が思い思いの方向へ逃げた結果、魔導師の魔法効果範囲外に出てしまった男が二人いた。
「な、何してる! こっちへ戻れ!」
「わかっ……ひいッ!」
分断された男たちの間を虎柄馬が駆けていく。
Uターンして戻ってくる姿を見て男たちは二手に分かれて逃げることを余儀なくされた。
しかし隠れる場所といっても点在する岩くらいしかない。少し離れれば森になっているが、姿が見えている場合あそこまで逃げられるかどうか。しかしそれは隠れたままなら逃げおおせるかもしれない、という希望でもあった。
自然と範囲内に居る者は森を目指し、範囲外に出た者はその場で隠れようとする。
慌てふためく足音、離れていく複数の反応を確認し、静かな声が風にのって流れた。
「――ヘルベールは留まった連中を。ワタシはあっちを追うヨ」
***
知覚可能になった対象を追うのは簡単だった。
今まで隠されていたものがすべて露わになり、男たちを守ってくれるものは本人の実力のみ。
岩の間を逃げ隠れしていたものの、基本的に数の差がありすぎることは男たちもわかっていたようで、しばらく逃げ回ると囲まれる前に応戦の体勢を取った。
「この野郎……さすが魔女の使いだな、こんなおぞましい化け物を従えるなんてよ!」
「おぞましいのはお前たちの方だ。……なぜ我々をそっとしておけない?」
ヘルベールは虎柄馬たちにいくつかの指示を送りながら男たちに近づく。
「土地を奪っているようなものだ、取り返さんという気持ちはわかるが――何十年にもわたって愚かな攻撃を試みる、そんな価値のある土地ではないだろう。少なくとも人間にとっては」
「たしかに俺だってそう思うさ、他に良い土地は有り余ってるし開拓したって手に余る。でもなァ……気味の悪い奴が同じ国に住んでるってだけで怖気立つお偉いさんも山ほど居るんだよ」
「……」
「お前ら、この国の奴らからどれだけ出て行けって思われてるか知らねぇのか?」
それでもヘルベールにとってここは離れがたい土地だった。
正式な許可を取ろうとしたこともある。一時的だがそれが成功したことも。しかし約束は反故にされ、集団で草原を焼いて回られたこともあった。
ヘルベールたちに理解を示した人間も時間が経てば老いて力をなくし、最後にはこの世から居なくなる。理解者の子供から刺された経験も、思い出そうと思えばすぐ思い出せる記憶だ。
次第にフレフェイカやナレーフカは行ったことのない土地も含めて『外の世界』を恐れるようになった。
そんな二人が唯一安らげる場所がここなのだ。
「――この国の人間への期待は捨て去った。故にどう見られようが気にはしない。いいか、我々に手を出すなら俺は家族のために何でもするぞ」
なんでもだ、と重ねて言い、ヘルベールは男たちに近づく。
しかし男はにやりと笑うと視線をヘルベールの真横にある奇岩へと向け――その場から飛び退いて身を低くすると小さな魔石を叩いた。
これは魔導師が男に与えた、爆薬へ火をつけるための火魔法を起動させるスイッチだった。
ごく一部の魔導師はこうして魔法を遠隔で操る技術を持っている。それは各人によって微妙に仕様が異なることが多く、付与という形で物体に魔法をくっつけることが可能な者もいた。
セトラスの植え付け技術はこれとは性質が異なる。
だが『似たようなもの』としてヘルベールは見慣れていた。
故に魔導師が傍に居なくても警戒していたのだ。
すでに初めの段階でシァシァの感知装置により把握していた罠の軌道を。
赤黒い炎の発生と共に爆発した奇岩。
その破片が降り注ぎ、砂埃が辺りに舞う中で男二人は笑いながら立ち上がった。
「……っははは! すげぇ爆発だ、耳がイカれそうだぜ!」
「今のうちにズラか……る、ぞ……、……?」
草原を突っ切ってきた風が砂埃を消し飛ばす。そうして姿を現したのはそこかしこが煤まみれになり、白衣まで焦げたヘルベールだった。しかし被害といえばそれくらいだ。
シァシァの残した防御魔法に加え、キメラ数体が自分の身を盾にしたのである。それはヘルベールが出した指示だった。
焼け焦げて地面に転がる虎柄馬を見て男たちが震える声で言う。
「た、盾にしたのか」
「そうだ。……なんだその顔は。俺の作ったものを俺がどう使おうが勝手だろう」
「被害者ぶって……あんなこと言ってたが、マジでどっちがおぞましい奴なんだよ……」
「俺に関してだけ言うなら、そうだな、知っている」
随分前からな、と呟いてからヘルベールは笛を短く吹いた。





