第548話 かわいそうな王様
ああ、ここまで整えられていない道を自分の足で歩いたのはいつぶりのことか。
一歩進むごとにじゃりじゃりと音がする。
そんな些細なことに新鮮味を感じながら歩き続け、気づけば日が沈み夜の気配が周囲を包み込んでいた。空の彼方に見える僅かな群青混じりの橙色だけが日中のレプターラの面影を残している。
気温を気にしなければ美しい景色だ。
しかしアズハルはどこか断頭台に向かう罪人のような雰囲気でしばしそれを眺め、そして再び歩き始める。
首都を出てからどれほど経っただろうか。現在は砂漠にほど近い道を進んでいる。
道といっても舗装されておらず、ただここを頻繁に通り道にしている人々の轍や足跡により道になっているだけの場所だ。
乾いた風は冷たい。
アズハルはそれを意に介さず足を進め続ける。
彼は野営する気がなかった。眠るくらいなら早くレプターラを出るために進もうという算段だ。
体力に関しては特殊な延命装置による肉体強化のおかげで今はまだ気にしなくていい。気温差もダメージにはならない。それが保たれている内に、迅速にレプターラから出たかった。
「……」
辺りはどんどん暗くなっていく。
夜目が利くため問題はない。アズハルは何度も地面を踏み締めて進み、そしてとっぷりと日が暮れて月と星々が姿を現した。夜気は冷たく、体に籠っていた太陽の熱を徐々に奪っていく。
そんな中、アズハルは足を止めずに周囲に目を走らせた。
野生動物を警戒しているわけでも、魔獣を警戒しているわけでもない。
初めから予想し、そして現れるならこういったタイミングを狙う可能性が高いだろうと予想したものに対しての警戒である。
しばらく無言で歩いたのち、足を止めたアズハルは風にマントを遊ばせながら闇に向かって口を開いた。
「隙を窺っても無駄なこと。早く出てくるがいい」
僅かな風が吹き、アズハルの言葉に応えるように暗闇の向こうから足音が近づく。
周囲の闇を払い除けるかのような銀髪、そして白衣が視界に入った。
アズハルも数度だけだが会ったことがある。あれは――ナレッジメカニクスの首魁、オルバートだ。
「やあ、アズハル。随分久しぶりだね」
オルバートは感情の籠っていない目でアズハルを見つめ、しかし友人にでも挨拶するかのような口ぶりで片手を上げた。アズハルはその姿をじっと見る。
「……孤立すれば来ると思っていたが、存外早かったな」
「予想してたのかい? ああ、君の体に埋まっている装置にはGPS機能があって……って、そう言ってもわからないか」
そう頬を掻くオルバートから視線を外さず、アズハルは服の上から己の胸元に触れた。この下には忌々しい装置が埋まっている。
「私はお前たちの情報を持ち、私自身も情報の塊のようなもの。協力関係が途絶えようと……お前たちにとって私に利用価値がなくなろうと消しにくると思っていた」
「情報? ……あぁ」
オルバートは至極興味のないといった様子で言う。
「情報漏洩か、そういうのは別に気にしていないよ。大したことじゃない」
「……」
「いくら僕たちのことが漏れようがどうとでも対処できるからね。むしろ日々にメリハリが出来て楽しいかもしれない。僕はただ回収に来たんだよ」
オルバートはアズハルに向かって手を差し出した。
「君はサンプルとして面白いからね。適合格率が著しく低い代わりに成功すれば肉体は強化され不老になる。魔石を摂り続けなくてはならないデメリットはあるけれど、ほとんどメンテをしなくても生き永らえるその姿は……まるで人工的な長命種だ」
だから野放しにするくらいなら持って帰ろうかと思って、とオルバートは言う。
まるで物扱いだ。
いや、初めからオルバートにとっては協力者であり物だったのだろう。
アズハルはゆっくりと息を吐くと「断る」と短く言った。
「だが断ったところで強行するのは目に見えている」
「理解があって助かるよ」
「お前の存在はこれからのレプターラにとって害となるだろう」
これからのレプターラは、リオニャの国だ。
アズハルは一度だけ目を伏せるとシミターを抜いた。あれから何日も経ち、再び刃の代わりに現れるようになった炎が周囲を煌々と照らす。
「ならば、本懐を遂げられずともお前をここで排除する」
「相打ち狙いかい? ――無理なことに命をかけるものじゃない。それは無理なことだよ、アズハル」
思い直さないかい、と。
そうオルバートが言い終わる前にアズハルは地面を蹴って彼に向かっていく。不動の構えでこちらを見るオルバートは余裕があるのか、それともアズハルの動きについていけないでいるのか判断がつかないが、炎の刃はあっという間に彼に迫っていた。
「あら……だめよ、抵抗しても何の得もないわ。お互いにね」
しかしその直前に真後ろから少女の声と吐息が聞こえ、アズハルは反射的にそちらへと炎のシミターを突き出す。振り返りざまの一撃は闇を掻くばかりだったが、直前までその場に居た少女が飛び退いて着地したところだった。
何もかもが黒い中、瞳だけが緑色をした少女だ。
彼女はにっこりと笑うと周囲の闇を従えているかのような圧で言う。
「さあ、こっちへおいでなさいな。かわいそうな王様」





