第535話 それから、の人々
暑いが風もなく穏やかな日だった。
それでも人々は忙しなく行き交い、中でも特段忙しそうな数名が朝から夜まで様々な場所を渡り歩いている。
――王の弑逆から一週間。
その王が偽りであることは国民には伏せてあるが、ルーストに属する一部の者は当日に知らされていた。
波乱はあったもののリオニャに加えてベンジャミルタが助力したらしく、今は表面上は落ち着いている。ここから本当の意味で落ち着くまでもうしばらくかかるだろうが、ひとまず及第点といったところだ。
シャリエトは元宰相であるスキルを活かし、ミロンドと共に国の整備にかかりきりだった。
国はまだ頭を挿げ替えただけであり、新しい国に生まれ変わったとは言い難い。新たな風を徐々に馴染ませ安定させて初めて生まれ変わったと言えるだろう。そのために彼らは奔走していた。
メルカッツェはルーストを国公認の警備団へと転身させ、各地に配備している。
といっても元から各地に潜んでいたものを明かしただけなので労力は少ない。大変なのは守る対象が異種族だけでなく人間も含まれるようになった変化に皆を慣らすことだった。
理解はしていても自分の手で人間を守ることに拒否反応を示す者はいる。
今はトップが変わろうが虐げられ続けている異種族を守ることの方が多い。慣例化したものはすぐには変わらない。しかしこれからは必ず人間も害されることがあるだろう。
それは復讐であったり「立場が逆転した」と考えた異種族によるものであったり理由は様々だろうが、避けられないことだろうとメルカッツェは思っていた。
これを乗り越えなくては共存の道は先細りしていく。
そう気合いを入れ、彼も日々を過ごしていた。
門前で母であるエトナリカと合流したステラリカはミドラたちと引き合わせ、ベンジャミルタ側の目的を知り仰天した。なにせベンジャミルタたちは影武者の存在を把握していなかったのである。
突入は成功したが、もし影武者に引っ掛かっていたら――と慌てて向かおうとしたのだが、避難誘導から戻ってきた警備兵が新たに現れ対応に追われるはめになった。
警備兵は可能な限り殺さず、捕縛するようにとエトナリカはベンジャミルタから頼まれていたらしい。
「戦場に立ってるみたいでついテンションが上がっちゃったんだよね!」
……というのは追加の警備兵を綺麗に返り討ちにしたエトナリカの言葉である。
過去形にするにはまだ早いんじゃないかとステラリカは思ったという。
その場にはリョムリコをはじめとしたベンジャミルタの組織のメンバーも居り、一段落ついたところで彼らに後始末を任せてステラリカたちは王宮へと急いだ。
そして、なぜか大人しくなったアズハルと共に話す面子と、その中に叔父を見つけて合流したのである。
――あの時、ナスカテスラは召喚獣の思わぬ威力で長距離を吹き飛ばされた伊織を追って移動していた。
水の龍を呼び出せることはわかっていた。しかし実戦で使ったことが少なく、ある程度は飛ばしてしまうだろうが噛みついて捕獲できるだろうと甘めの予想をしてしまっていたらしい。
結果、存外耐えた伊織は勢いが削げないままパーティー会場の方まで飛ばされてしまった。
風魔法による移動でも時間はかかる。
しかも水の龍は死んではいないが見事に斬られたせいかすぐには再召喚できなかった。故に移動速度は据え置きだ。
そうしてようやくパーティー会場に着いた時、ナスカテスラは呆然とするバルドを見つけて驚いた。
ステラリカが居たのだから当たり前といえば当たり前だが、あまりにも第一印象が違ったというのが驚きを加速させたのだ。
ナスカテスラは例のエルフノワールについて問おうとしたが、聞けば王宮で仲間が強敵と相対しているという。なら私情は後回し、バルドと共に居たメルカッツェを回復させついでに担いで移動したというわけだ。
シャリエトについては納得した。
一応納得した。
ステラリカの抱いていた赤ん坊が本当はリオニャとベンジャミルタの子供だったことも理解した。
しかしナスカテスラはあの時のことについてしっかりと話せず、さあどう時間を作ろうともやもやしているのが現状だ。なにせシャリエトはあの後からすぐ大忙しであり、微かに出来たプライベートな時間はずっと――簡単に言うと『撃沈』しているため会話どころではないのだ。
さてどうしよう、と考えつつもようやく落ち着いたということでベレリヤに事の顛末を連絡しておいた。
返事にはしばらくかかるだろうが、あとは待つだけである。
レネーシャの妹は監禁場所にいた。
ただし衰弱しており、初めはレネーシャのことを誰かもわからなくなっていたらしい。
現在は他の誘拐された人々と共にルーストの施設に保護され、徐々に回復しているという。ベンジャミルタも忙しい時間をやり繰りして見舞いに訪れているようだった。
アズハルは追放の準備が整うまでベンジャミルタの組織にひっそりと匿われている。
何度かリオニャと会っているのを見かけたが――バルドにとってはまだ不明瞭な部分の多い人物だった。
それでも今は不器用な父親に見えることもある。
父娘ならばアズハルに関することはリオニャたちに任せ、自分は口出ししない方が良い。そう考えたものの、例えばもしアドバイスしてほしいと頼まれてもまともな答えは出せなかっただろうとバルドは思う。
「……」
現在バルドたちは王宮にほど近い建物で寝泊まりしていた。
その屋上に出て街を見下ろし、しかし頭では景色など見ていない。
(伊織がナレッジメカニクスに洗脳、か……)
ナスカテスラから事の次第を聞いてからずっと考えている。
伊織のあの様子を真正面から見た時は驚いたが、洗脳されていたのなら納得できた。
――しかし、あの時伊織が叫んでいた言葉は偽りばかりではなかったのではないか。
そう思ってしまうのだ。
(僕が死んでから伊織たちに起こったことは……今の僕には想像しか出来ない。いくら考えたってわかった気になっているだけだ)
自分は確かに彼の父親だが、今更父親として出来ることは何もないと突きつけられたかのようだった。その答えは自分だけでは出せない。しかし伊織には問えない。そうしてバルドの思考はずっと同じ場所で足を止めていた。
本当の関係を伏せて波風立てずに身を引こう、などと考えていたのだから尚更だ。
あれは逃げだったのだ。
今の伊織を放って父親でないふりなど出来ようか。
(父親として出来ることがなくても、僕は僕で出来ることを見つけないと。保身は二の次だ、……?)
バルドは背後に気配を感じて振り返る。
そこに立っていた人物は片手を上げて「やあ!」とうるさいほどの大声で言った。
「今日も良い天気すぎるほどに良い天気だね。――五千度くらいかな!」





