第534話 真実の結末
――悪辣な環境で育ったわりには純粋な子供だった。
そんなリオニャの名前を付けたのはアズハルである。
今までの子供のように早逝せず、きちんと育っているか確認する他は関わる気はなかったが、リーネリレーヴァが名付けを望んだのだ。
アズハルは名付けに悩む性質ではない。その時ふと思い浮かんだ「とても長生きをした」と伝えられる過去の王、オボルニャとリーネリレーヴァの音を合わせてリオニャとその場で付けた。彼女は気に入ったらしい。
アズハルはそれが不思議だった。
いくら協力すると言ったとしても、このような環境で暮らし子供まで産んだというのに――なぜこのようなことで喜べるのか。
その理由を問う機会は終ぞ訪れなかった。
そんなある日、しばらく様子を見に行けない期間が続いた。宰相たちが母子が軟禁されている敷地にアズハルが赴くのを好んでいないため人目から隠れて訪れる必要があったのだが、タイミングが悪さが続くとこういったことがままある。
しかしこの時は特に長く、気づけば三ヶ月ほどが経っていた。
恋しいわけではない。
目を離している隙にまた死んでいるのではないか、と不安だった。
確認だけなら他の人間を使いにやればいいが、アズハルは王宮の人間を信用していない。邪魔な二人を始末したにも関わらずアズハルに「元気に暮らしていますよ」といけしゃあしゃあと報告してくる可能性がある。
なら自分の目で確認するしかあるまい、ということだ。
そうしてようやく様子を見に行けた時、リオニャは五歳の誕生日を迎えていた。
見に行くたびに大きくなっている気がする。これといって感慨はないが、死なずに育っているなら僥倖だとアズハルは何度も思った。
この小さな子供は自分の身代わりだ。
リオニャがしっかりと育ち、他に子供がいなければ宰相たちも渋々認めるだろう。――きっとその頃には前王の息がかかった者も寿命を迎えて減っているはず。それなら自分でも説き伏せられるかもしれない、という不安や恐怖からくる楽観視もあった。
もっとしっかりとした計画を練れたかもしれないが、そのためによく考えることそのものが恐ろしかったのだ。
自分が縋っているものの儚さに気がつきたくなかった。
――そんなことを考えていると、珍しくリオニャの方から足下に寄ってきた。
恐らく何か意図があったわけではないのだろう。
ドラゴニュートの血が混ざっている証でもある角がちらりと見える。
しかしそれが気にならないほど伸びた髪は灰の色。自分と同じ色だ。この色は前王である父からではなく母からの遺伝である。そして自分の中で最も父に似ていない部分でもあった。
この色だけが、父の呪縛を受けていない。
そう感じた瞬間、同じ色を持つリオニャが――初めて、自分の娘に見えた。
そして何故そうしようと思ったのかはわからないが、アズハルは衝動的にリオニャの頭へ手を伸ばしたのだ。赤い双眸でしっかりと見据えながら。初めて触れた髪は色だけでなく髪質までそっくりだった。
顔はリーネリレーヴァそっくりだというのに。
(あの時は何故、と思わず疑問を抱いてしまったが……謎でもなんでもない。私とリーネリレーヴァの子だからに決まっている)
当たり前のことだというのに疑問に感じてしまうほど馴染みのない思考だったのである。
当時のことを思い返しながらアズハルは目前に立つリオニャを見た。筋肉に恵まれながらも美しく育ったその姿は健康体そのもの。先ほどまで激しく争っていたダメージも回復しつつある。これこそ過去の自分が望んでいた我が子、身代わりの姿だろう。
そんな我が子は王になるという。
願ったり叶ったりだが、アズハルは自分の罪も理解していた。
そして――リオニャとベンジャミルタが言っていることも。
「……」
アズハルは霞む視界を瞬きで誤魔化し、しばらく逡巡したが、一度大きく息を吸ってから答えた。
「……甘すぎる。私を使うなら十年は待て」
「つまり――」
「十年はレプターラの……お前たちの作る国の糧となる知識をほうぼうの国々で学ぶ。私はこの土地以外を知らなさすぎる。そのために財産を剥奪の上、罪人として国外追放とせよ」
そこまでしなくても旅費くらいは、と言いかけたベンジャミルタをアズハルが制する。
「直接手を下しておらずとも、宰相たちを制御できなかったのは私の罪だ」
これは揺るがぬ事実だとアズハルは言った。
「もちろんこれで手打ちに出来るとは思わぬ。永久追放でもいいくらいだ。だが多少なりともリオニャ、お前の交渉材料にはなろう」
「……もう、交渉じゃなくて説明ですってば」
ここでリオニャは初めて明るい笑みを覗かせる。
「死んで逃げるのはナシです、お父さん。十年でも二十年でも待ちますから、ちゃんと生きて償ってくださいね」
「――ああ」
頷き、アズハルはベンジャミルタを見た。
「しかしテン・レシャウはこれで納得するのか」
「あー、俺が報告を良い感じにマイルドにすればいけるかな。それにもう戦争する必要もなくなるわけだよね、リオニャさんが王になるなら。多分うちの国にはいいことばかりだ。だからひとつくらいお目溢ししてもらおう」
テン・レシャウもさすがにレプターラの王が交代する事態は想定していなかっただろうが、ここまで来て今より悪い態度は取るまい。その新しい王がベンジャミルタの妻なら尚のこと。
もちろん政治的な圧力はあるかもしれないため、それを予想しベンジャミルタも独自に動くつもりだった。
「一応義理は通すけど、俺はリオニャさんみたいにアズハルに関することを正直に伝える気はないから。ただ攫った人間については後でもう少し詳しく教えてほしい」
うちの組織に行方不明者の身内がいるんだ、とベンジャミルタは口角を下げる。
もしかしたら既にナレッジメカニクスで酷い仕打ちを受けた後かもしれない。それでも遺品だけでも回収できれば、と思ったが――どうやらここしばらくは人体実験の材料を他からも融通してもらっていたらしく、レプターラからはかなり小出しにしていたという。
監禁場所の情報もアズハルはベンジャミルタに伝えた。
「これならレネーシャの妹もまだ生きてるかもしれないな……」
「レネーシャさんの!?」
「ああ、リオニャにも伏せていたが彼女はテン・レシャウ騎士団の騎士団長なんだ。力技で同行するために形だけ俺の嫁になったわけだね」
「えぇっ!?」
驚いたリオニャは手で口を覆いながら言う。
「てっきり好き合っているものとばかり……」
「あ、ええと……俺が好いて結婚したのはリオニャさんだけだ。とはいえ君の持つ重婚の文化にはちゃんと納得して――」
「へ? よかったぁ~……ベンジャミルタさん、わたし女性のパートナーが出来たので後で紹介しますね!」
「ぱ」
口を「ぱ」の音の形のままに硬直したベンジャミルタはそれ以上言葉が出て来ないようだったが、影がクエスチョンマークをいくつも作り、そして数秒経ってから「!?」に変わって彼がリオニャの言葉の意味を理解したことが見て取れた。
「あっ、その、もしかしてわたし側も重婚するのは嫌なんじゃ……」
「あああいやっ違うよ! びっくりしただけ、びっくりしただけ!」
あたふたしながらベンジャミルタは真っ赤になる。
「俺だって何人も奥さんがいるわけだしね! それにそうやって愛に境界のないリオニャさんが好……ううぅん、俺はこのシチュエーションで何を言っているんだ」
前髪越しに眉間を押さえるベンジャミルタの姿に、ずっと静観していたアズハルがここで初めて穏やかに口元を緩めた。
「奇妙な婚姻を結んでいるようだが、やはりお前たちは夫婦か」
「はい、そうです。ベンジャミルタさんのおかげでわたしは生き残れたんですよ」
「リオニャさん……」
「ならば……話が纏まったなら早く私を連行し、子供のもとへ戻るがいい」
連行の際には部屋の魔石を持ってきてくれ、でないとお前の仲間と合流する前に私の命が尽きるぞ、と。
アズハルがそこまで言ったところでベンジャミルタの背後の壁が真っ黒になった。――否、影が爆発でもしたように広がっているのだ。本人はまだ真顔だったが、口を半開きにした後にリオニャを見て「子?」と問う。
問いというより鳴き声である。
リオニャは満面の笑みで頷いた。
「ベンジャミルタさんとわたしの赤ちゃんですよ~。さっき生まれたんです!」
「さっきだと?」
「さっき……?」
「はい、あっちの建物に隠れてる時に!」
壊されたけどきっと皆と一緒に逃げてくれてます、とリオニャは力強く言い――さすがに生まれたタイミングまで知らなかったアズハルは今まで見たことのないような顔で固まり、衝撃の連撃を受けたベンジャミルタはその場に尻もちをついたのだった。
――そんなリオニャの視界の端に砂埃が見えた。
高出力の風魔法で移動している誰かがいる、と理解したところで、それが背の高いベルクエルフに担がれたメルカッツェと小脇に抱えられたバルドだと気がつく。
同じくそれに気がついたベンジャミルタが「俺の仲間だよ」とリオニャに伝えた。
まずはバルドとメルカッツェの二人と合流できそうだ。
その後はミドラたちを探して合流し、アズハルの件を伝え、説明や今後の指示に奔走することになる。
忙しくなりそうだという予感がしたが――それは胸を圧し潰すようなものではなく、リオニャはいつも通りの笑みを浮かべて三人に手を振った。





