第532話 呪われた肉体
ベンジャミルタはゆっくりとアズハルから手を離し、そのまま両手で顔を覆って唸った。
「あぁ~……本当は今すぐにでもリオニャさんとの再会を喜んではぐれたお詫びと説明をしたいんだけど、けど……! まずは王様のことからだね……!」
「り、両方聞きますから、今はそこからお願いします」
「だよね!」
ベンジャミルタとリオニャは双方うずうずしながら呼吸を整える。
そうしてベンジャミルタは浅い呼吸をしているアズハルを見て言った。
「影武者が知っていることは粗方吐いてもらったよ、あと側近の、ええと」
「リズクか」
「そう! 元は君の側近なんだってね。一度はうちの仲間に捕まったのにわざわざ影武者を助けに来たんだ、おかげで色々聞き出せて良かった」
ベンジャミルタの言葉にアズハルは僅かに表情を動かしたが、もはや抵抗する気力は無いようだった。
「レプターラに住む異種族にとって『アズハル』という王は悪辣で下劣な王だ。俺らの認識も概ねそうだったが――大半は前王と影武者、それに各地を纏めている者たちによるもので合ってるかい」
「……」
「君はまさしく王だったが表舞台に立つことはなく、……いつか影武者たちに成り代わってもらおうとしていた。そうだね?」
成り代わってもらおうと? とリオニャは目を見開く。
アズハルは赤い双眸でリオニャとベンジャミルタを見た。
「そんなことを問わずに影武者もろとも私を消してしまえば良いだろう」
「それじゃあリオニャさんが可哀想だ」
ベンジャミルタは口角を下げつつ言う。
「ずっと疑問だったんだ、なんで純血ドラゴニュートを殺せたのにハーフドラゴニュートのリオニャさんを殺さなかったのかって。……アズハル、君が逃すよう手配したんじゃないか」
「わたしを……この人が……?」
「ミロンドだってなんで殺さず追放という処分にした?」
アズハルは無言だったが、ベンジャミルタを否定する言葉が浮かんでこないことが理由の様子だった。
ミロンドは元はレプターラの宰相であり、国のあり方に反論したため追放された老女だ。今はベンジャミルタの妻の一人として保護され、この王宮への侵入にも一役買っている。
アズハルはここで初めて視線を落とした。
「――そうか、ミロンドはお前の元に居るのか」
「厚遇しているよ」
「あれの言っていることは至極まともだった。否、まともすぎた。この国にとって脅威になるのではなく、ミロンドにとって脅威になるほどに」
ベンジャミルタは前髪の向こうからアズハルをじっと見る。
「君はそれを「まともだ」と受け取れる感性をしているんだね」
「他の者よりは、だ。レプターラ外と比べれば齟齬があるだろうが、私は……」
アズハルは眉間にしわを寄せて拳を握り込んだ。
「異種族が人間より劣っているとは思わぬ」
だが、と言葉を重ねたのもアズハルだった。
「真なる差別は気づかぬからこそ出来るのだ。気づかぬ者の声は大きい。ここに住まう者の大半が「それ」だ」
「……そうだね」
「幼き頃から感じていたことではあったが、王になろうが私はそれに抗うことが出来なかった。……いや、王になる前からその道は絶たれていたが」
どういうことですか、とリオニャが静かに問う。
アズハルは逡巡したものの、もはやここまできて伏せていることに意味を感じなくなったのか天を仰いで言った。
「私の体には特殊な装置が埋め込まれている。先ほどの奴ら――ナレッジメカニクスからもたらされたものだ。これがあれば不老の力を得た上、大抵の傷や病は完治する。代わりに日々大量の魔石を摂取せねば体内の魔力が枯渇し死に至るが」
「そんな装置が……」
リオニャはハッとする。
アズハルがずっと王宮に戻ろうとしていたのは自室にそれがあったからだ。恐らく例のばら撒かれた音は砕いた魔石によるものだろう。
それが机を叩いたが故のものだとすると、アズハルは魔石の摂取を生命維持のために行なうが好んでいる行為ではないということになる。
予想でしかなかったが、それは概ね当たっているようだった。
「この装置を埋め込むようナレッジメカニクスと取引したのは、私の父だ」
「前王か」
「そう。……父は異種族を貶めながら、その中に数多く存在する長命種に憧れてもいた。だがその憧れは恐れと紙一重でもあったのだ」
自分自身に試すことは恐ろしかったのだろう、とアズハルは言う。
更には当時すでに前王は老いていた。装置には不老の機能はあれど若返らせる効果はなく、このように老いた状態で永い時を生きるのは酷なことだと言っていたらしい。
「ならば私に施すのは酷ではないのか、と何度も思ったが……結局当時の私に父へ反論する力はなく、流されるままになってしまった」
今ではあれは『成功率の著しく低い手術』が一番怖かったのだろうな、とアズハルは鼻で笑った。
「そうして得た力だったが、代わりに私が生きている限り永続的な支援を行なうこととなった。秘密裏に実験用の人間を融通したり、土地を分け与えたりといったところだ」
ベンジャミルタがぴくりと反応する。
「……俺はテン・レシャウからの使者、まあ偵察みたいなものだ。その目的の中に行方不明者と小規模すぎる戦争を続ける意味を問う、というものがある」
その言葉にアズハルは肩を揺らして小さく笑った。
「愚かな宰相どもめ。だから言ったのだ、あの国は弱さを理由にやり返さないのではなく強いが故にこちらを無視しているのだと」
「これは別件なのか?」
「いいや、裏では繋がっている。要するに死した我が父の息がかかった者たちが私の生命維持のためにナレッジメカニクスとの契約を守ろうとしたのだろう。実験用の人間を融通はするが自国からは出したくない、故に他国から攫おうといった魂胆だ」
その上領地も広げたいと考えていたため、もし取れたら幸運だ、程度の考えで小競り合いのような戦争を起こした。混乱に乗じて人を攫い、もしくは捕虜をそのまま引き渡したのだろう。
しかもその戦争に駆り出されているのは人間ではなく、徴兵された異種族である。
そう言いながらアズハルは深い息をついた。
「元を正せば私のせいということだ」
リオニャは「違うじゃないですか」と言いたかったが、喉が張りついて言葉にならなかった。
きっとアズハルは王としてそれを止められなかったことそのものを罪として見ている。
そして。
「――私も死にたくはなかった」
だからこそ自由にならない現状を享受し続けていた、と彼は言った。
「でもあなたは死にたがっていた」
「自死出来ぬくせに死を望んでいただけだ。しかも薄汚い欲望を乗せてな」
「薄汚い欲望?」
聞き返すリオニャにアズハルは顔を上げて答える。
「リオニャ。お前に私が今の今まで無様に、そして惨めに生きながらえてきたことの意味になってほしかった、ということだ」
「……!」
リオニャにはアズハルを殺せる可能性がある。
リオニャに殺されれば復讐の糧になれる。
復讐されることで意味ができる、アズハルはそれを望んでいたのだ。
しかしナレッジメカニクスの一員であるヘルベールが居ては、殺されそうになっても助けられるかもしれない。死ねそうになっても『助けられてしまう』危険性まであった。その上リオニャも排除されてしまうかもしれない。
復讐に来た我が娘。
そこに希望を見た父。
しかし娘は復讐ではないと言った。彼女は未来を見ていた。
そんな娘に殺されることにも――意味がある。それも復讐されるより上質な。
それを失うわけにはいかないと、アズハルはあの時退こうとしたのだ。
――王でありながら過去の王の遺志を継ぐ者に縛られ、命令や指示は出来てもすべてが素直に通るわけではなく、しかしそれを自分の目で確認にも行けない。
表舞台に立たないことは初めは誰からも強要されていなかったが、影武者を選ぶ段階でアズハルは敢えて自分とは異なる容姿の者を選んで、それを『アズハル』として自分は陰へと引っ込んだ。
これが不自由さに自ら拍車をかけたのだが、当時のアズハルは勝手に弄られ本来食用ではない魔石を食べ続けないと死ぬ体にされたことで酷く病んでいたという。
王の立場などもういらない。
他の誰かに成り代わってもらいたい。
しかし周りはそれを許さなかった。あくまでレプターラは血縁による世襲制だ。アズハルは逃げるように数人の子を儲けたが、全員別の理由で死んだ。――しかし恐らく理由は共通して自分の肉体のせいだろう、とアズハルは言う。
「私の装置はナレッジメカニクスの中でも特殊らしい。不老の機能は変わらぬが、回復や肉体強化がまるで……そう、ドラゴニュートのように引き上げられている」
その分適合する者は限られており、汎用性の高い従来モデルと違い、今のところ成功例はアズハルのみだという。
アズハルはそれを幸運に恵まれたと見ず、呪われた肉体だと解釈した。
真偽はもはやわからないが、アズハルにとっての真実はこれだけだ。
「そして私は思ったのだ」
アズハルはゆっくりと、しかし確実にリオニャの青い瞳を見る。
「――呪われた肉体でも、この体の如き力を持つドラゴニュートならば子を成せるのではないか、と」





