第527話 父さん
――数十分前。
パーティー会場の残骸とも言うべき場所に出たヘルベールは先行させていた狼キメラたちに応戦する人影を発見した。南ドライアドの男と人間の男の二名だ。
先ほど高い位置まで跳んで確認したところ、警備兵は離れた位置で起きている別の騒動で足止めされているらしい。
(多種多様な魔法が使われている様子だった。異種族の反乱か何かか……こいつ達もその仲間か?)
無意識に眼鏡を押し上げつつ、ヘルベールは会場以外の場所に散らせていた狼を笛の音で呼び寄せた。
ヘルベールの専門は生物の創造や改造にまつわるものである。
己の身を使い戦うことも可能だが、体格に恵まれていても戦闘のセンスには恵まれなかったため、ヘルベールの戦闘スタイルは自分が作ったキメラに戦いを一任し、自分は指揮に回るという形だった。
会場の狼は初めに指示したより数が少ない。
見れば各所に戦闘不能になった狼が倒れていた。対象は二人だけだが警戒が必要である、と判断しての増員である。
そこで合流した狼の一部から吠える声とモールス信号を合わせた方法での報告が上がってきた。
一つの建物に王宮側の人間と思しき者と多数の侵入者がいる、というものだ。ヘルベールはこの二人の対処が終わったらそちらへ向かうよう指示する。
そして乗ってきたネコを見上げた。
このネコはただの巨大なネコではない。永続召喚した魅了能力のある召喚獣の両眼を植え付けたれっきとしたキメラである。本来なら永続召喚後五年ほどで死んでしまう召喚獣だったが、ネコに与えた結果十年ももっている個体だ。
ただし元々の魅了より効果は落ちている。使えて気を逸らす程度なので、今ではもっぱら移動や巨体による攻撃のために使役していた。
「……?」
念のため侵入者二名にネコの魅了能力を使用している最中、ヘルベールは銀髪の男の方に見覚えがあることに気がついた。
だが――距離があり、更には彼の容姿と雰囲気を含めた印象が変わっていたことから、自身が身分を偽って接触したこともあるバルドであるとは思い至らない。精々「知り合いに似ていたのかもしれないな」と思った程度だ。
ヘルベールは再びネコに乗ると先ほどとは違う笛を咥えて吹く。
ヘルベールの首には数種類の笛がリングに通され下げられており、これをキメラに合わせて使用していた。吹き方は数十種にわたり、新種のキメラを作った際はこれらを一から設定するのだ。伊織には「調教師みたいでカッコいい!」などという清廉な感想を貰っている。
ネコがぴくりと耳を揺らし、ヘルベールを乗せて会場の上空を跳ぶ。
そして侵入者たちの真上に黒い影を落としながら着地すると、王宮に向かって走っていった。
増援にも押し切られず、バルドたちが必死になって狼の数を半減させる少し前のことである。
***
伊織もまた、その人物がバルドであるとすぐには気づけなかった。
長かった銀髪は肩より短くなり、そのせいか髪に付いていた癖もやや大人しくなっている。
視線は落ち着いたものでヤンチャさは欠片もなく、ただ声にだけ聞き覚えがあったが先ほどまで混乱の渦中にあった伊織には大きなヒントにならない。
むしろ知っている人に似ているんじゃないかという、これもまたヘルベールと近い感想を抱いた。
対してバルド側は振り返った顔を見て「伊織だ」と気がついたらしく、なぜここにという表情を作ったが――バルドは伊織が洗脳されナレッジメカニクスに連れ去られたことを知らない。
もしかして近くに静夏やヨルシャミたちもいるのか?
そう思わず視線を巡らせるが、見覚えのある姿は一向に見当たらなかった。
「い……」
伊織、なんでこんなところに居るんだ、と。
そう問おうとしたところでメルカッツェの鋭い声が飛んでくる。
「オリトさん! 残りの狼がそっち行ったぞ!」
「……おり、と?」
目を見開いた伊織が思考を再開する前に、バルドは彼を抱きかかえると飛び掛かる狼たちから距離を取った。
退きながらナイフを投擲し、頭部に命中したのを確認するなり逆に前に飛び出てそれを引っ掴んで抜き取る。そのまま即座に血振りをして次なる追撃者に投げつけた。
死角から噛みつかれてもまるで痛みを感じてなどいないかのように振りほどき、時には噛まれるままにして次の行動に移る。あまりにも荒々しい戦い方だったが、それは計算づくのようだった。
バルドに狼が群がったところでメルカッツェが竜巻を起こして一網打尽にする。
「しつけぇんだよお前ェら……!」
「メルカッツェ、そろそろ魔力が……」
「はは! 危ないが最後の一滴までにゃまだまだ余裕があるぜ! ……って、その子供は?」
パーティーの逃げ遅れか? とメルカッツェは肩で息をしながらバルドと伊織に近づいた。
伊織は動揺しながらもバルドとメルカッツェを交互に見る。
(あ……そうか、短い銀髪……と、顔つきが父さんに似てるんだ。……でも)
オリト。
織人という名前の響きには覚えがある。前世の情報で手を加えられたのは主に母親の静夏に関することであり、父親についてはほとんどがノータッチだった。
藤石織人。自分の父親。
そう感じた瞬間、
「――父さん?」
伊織は衝動的にそう口に出し、目の前のバルドを見た。茶色い瞳はオルバートとは似ていないが、そう。
織人とはよく似ている。
ふわりと脳裏に浮かんだのは夢路魔法の世界で見た父親の顔だった。それを思い出すと同時に凄まじい矛盾に襲われ、伊織はどっと冷や汗をかく。
夢路魔法の世界。
そんな場所、いつ誰と行っただろうか。





