第519話 炎のシミター
暗い部屋には火の魔石によるランプが吊るされており、ゆらゆらと揺れるその光に照らされたアズハルは若い容姿だというのに疲れ果てた老人のようにも見えた。
グレーの髪にリオニャの面影を見たバルドは思わず二人の隠れている方向を見そうになったが「ここで存在がバレるのは得策ではない」と思い至り、寸でのところで視線を動かすのを堪える。
今は一人で訪れた暗殺者を演じるべきか。
そうアズハルを至近距離で見上げたバルドはナイフを抜いた。
「そうだ、と言ったら?」
「……お前に私を殺せる力があるのか見たい」
なんだその返答は、とバルドが思っている目の前でアズハルは背を向けて部屋の中へと引き返す。
その足取りは落ち着いており、命の危機を感じて逃げる人間には見えなかった。
(さっきから何なんだコイツ……!?)
しかし落ち着いたふりをして逃げる算段かもしれない。王の使う部屋なら脱出用の隠し通路があってもおかしくはないのだ。
バルドはアズハルを追うように部屋の中へ入る。
「……?」
真っ先に目に飛び込んできたのは机と床に散らばった細かな石の破片だった。
宝石のように美しく、ランプの光を反射している。近くには石を砕くための道具がいくつも散乱しており、豪奢な作りの部屋に対して違和感と異質感を放っていた。
アズハルは机の引き出しから何かを取り出す。
それは刃物の柄の部分のみで、身構えていたバルドは目を瞬かせた。護身用の何かにしてもお粗末ではないか。
するとアズハルは流れるような動きでそれを振り、その動きで柄から流れるように炎で出来た曲刀の刃が現れた。シミターのような武器のようだが何故炎で形作られているのか。魔法を用いてこういったものを作る技術はベレリヤにならあるが、少なくともレプターラにはなかったはずだ。
どこからか仕入れたか――と、うっかりそこまで考えてしまったところで、アズハルが眉を顰めて言った。
「背を向けた時点で斬りつければよいものを」
「なっ――」
タンッと床を蹴るなりアズハルはバルドに斬りかかる。
熱源が頬を掠めるのを感じながら後方に飛び退いたバルドだったが、その頃にはアズハルはすでに次の行動に移っていた。二撃目は襟を裂いて喉元を薄く切り、どういう理屈なのか切り傷と火傷を同時に与える。
アズハルの容貌からは予想もしていなかった洗練された動きだ。
廊下に出たバルドはナイフを構え直してアズハルの手元を狙い、炎のシミターを弾き落そうとしたが小指を掠めただけだった。
アズハルはマントでバルドのナイフをいなすと低い位置から炎のシミターを突き上げる。
「っぐ……!」
首を傾け狙いを逸らすも頬から右目にかけてを斬りつけられ、バルドは低く呻いてたたらを踏んだ。
焼けるような痛みは火傷によるものだろうか。瞼が引き攣り右側の視界が悪くなる。喉の傷はすでに癒え、新しいこの傷もすぐに治るだろうが一瞬の隙がどうしても出来てしまう。
刹那に見たアズハルは何故か残念そうな顔をしていた。
そのままバルドに肩からタックルし、よろめいたところを再度斬りつけようとした――が、突如割って入ったメルカッツェが風の盾でそれを防ぎ、アズハルは怪訝そうな感情を目元にのせた。
床に敷かれた石がばきりと割れる音。
それが耳に届いたと同時に、一瞬前に床を蹴ったリオニャがアズハルに蹴りかかる。
「ええっ!?」
ぎょっとしたのはリオニャだ。
アズハルはハーフとはいえドラゴニュートの蹴りを腕で受け止めたのである。
それでも衝撃で二メートルほど吹っ飛んだアズハルは赤い目を三人に向ける。
「三対一か、悪くはない」
「さっきから命知らずだなお前……!」
もしや罠なのか。
だが考える間を与える気はないのか、アズハルは再び炎のシミターを構え――そして、今一度リオニャの顔を見て動きを止めた。
丸く見開かれた目に何らかの感情が垣間見えたが、どんなものかまではわからない。
アズハルは乱れた前髪を払いもせずに呟く。
「――リーネリレーヴァ? いや……ああ、そうか」
何かに納得した様子のアズハルを前に、今度はリオニャが目を瞬かせ動揺した。
リーネリレーヴァはリオニャの母の名前である。
まさか顔を見て一瞬でその名が出るほど覚えているとは思っていなかった。父にとっては気紛れに得た異種族の妾であり、興味を失った後は手酷い扱いをし最終的には『純血のドラゴニュートだというのに』死ぬような目に遭わせて捨てた、ただそれだけのものだったはず。
リオニャも逃がしてくれる奇特な人間が居なければ嬲り殺されていただろう。
なのになぜ一番初めに名が出るのか。
そう思っている目の前で、アズハルは炎のシミターの柄に触れた。――柄には小さなスイッチが付いており、近くの細工を弄るとストッパーが外れるようになっているのか、散々握っていたというのに今ようやくカチリという音をさせて押し込まれた。
シミターの炎が消える。
刃はすでにないというのに、アズハルはその柄をバルドたち三人に向けて言う。
「なら手は抜くまい。私の相手をしてみせよ、リオニャ」
「なんで、名前――」
リオニャが問う前に視界が眩い光で覆われる。
柄から炎の刃の代わりに放たれたのは、一瞬で周囲の酸素を食らい尽くすほどの巨大な炎の球だった。





