第514話 潜入中御産 【★】
「水は!?」
「ある。数日潜む予定だったからな……!」
「それを沸かす火は……」
「光源用の火の魔石じゃ足りないよね?」
「あ、ボク火系の魔法も使えるんで湯にする程度なら」
静かに、しかしばたばたとしながら一行は封鎖された一室で慌てていた。
突如産気づいたリオニャを前に迅速に動いたのは治療師ナスカテスラの助手として各地を巡った経験を持つステラリカだった。
治療師の仕事は主に魔法で怪我を治すことだが、ナスカテスラは医学的知識を織り交ぜているため、医師としてトラブルに対応することも多かった。その中には分娩の介助も含まれていたのだ。
この場にあるもので準備を整えたステラリカはリオニャを壁にもたれかからせる。
「生まれるまでどれくらいかかるかわかりませんが、支部に連れ帰るのはリスクが大きすぎるのでここで対応します。バルドさんたちがどうするかはそちらで相談してください」
「わかった」
「じゃあシャリエトさん、私の助手をお願いします!」
ステラリカがそう言うなりシャリエトが奇声を出しそうになって唇を噛んだ。
「ボッ、ボクは薬を作る知識はありますが、出産の手伝いなんて――」
「それでもこの中の誰よりも適任でしょう、シャンとしてください!」
いつになく押しの強いステラリカにシャリエトは乾いた喉をきゅうと締める。
圧の強い言葉を押しつけられるのは苦手だ。どうしても先に体が反応して苦しくなる。
その昔、故郷の国でシャリエトを酷使した人々は威圧と罵声と暴力で制御しようとし、そしてそれは概ね成功していた。彼らが莫大な成功体験を得た陰でシャリエトは擦り切れ、ある日ぽっきりと折れてしまったのだ。
そんなシャリエトを外へ連れ出したのがベンジャミルタだった。
長い年月をかけてここまで回復したが、どうしても手足が震えてしまう。
適任ならもっと他の、何なら女性の方がいいのでは。
そう口にしようとしたところでステラリカと目が合う。
(……いや、これは……)
威圧でも。
押しつけでもない。
これは懇願だ。彼女も追い詰められた末の願いだ。命令ではなく頼っているのだ。
「……」
聞いた話ではステラリカはここしばらく王都ラキノヴァの王宮に居たという。いくら旅の最中に出産を手伝う経験があっても、あくまで助手であり熟練しているわけではない。ブランクもある。
――不安だろうにこうして先陣を切って名乗り出た上、出来る限りのことをしようとしているのだ。
シャリエトは未だ息苦しい喉から言葉を絞り出す。
「……わかりました。わからない部分は指示を宜しくお願いします」
「シャリエトさん……!」
ありがとうございます、と頭を下げてステラリカは土魔法の準備をした。
「産声はどうしても抑えられるものじゃないんで、ここに土魔法でシェルターを作ります」
「……っあ、あの、なら少しだけ時間をくれないか」
青い顔をしたミドラがふらふらと立ち上がって言う。ステラリカはほとんど終わった準備には触れずに「まだ少しかかるのでどうぞ」と頷く。
ミドラはリオニャに駆け寄って手を握った。
「リオニャ、すまない。私は知識がなくて手伝えないし、傍にいてやることもできない……でも応援している。ずっとだ」
「ミドラ先輩……」
大丈夫ですよとリオニャは脂汗の浮いた顔で笑う。
「ドラゴニュートの産後の回復、周りが引くくらい早いんですよォ。わたしもきっとそうです。拍子抜けしちゃうかも」
「でも痛いんだろう」
「先輩の守護花があるから平気です」
リオニャは黄色い花の押し花を見せる。
ミドラは泣きそうになりながら何度も頷き、最後に一度だけ抱き締めてから離れた。
「ステラリカ、頼んだ」
「はい!」
ステラリカは土の壁を何重にも重ね、自分たちを覆うように展開する。
暗くなった視界をシャリエトの火球が煌々と照らした。
「――これは……かなり細かな制御で作られた壁ですね。凄いな……」
「時々目立たない場所に空気穴を作って空気を入れ替えてから埋めてるんで、酸素に関しては心配しないでくださいね」
「お二人とも、すみません……こんなことになって……」
眉をハの字にするリオニャにステラリカはにっこりと笑う。
「悪いのはパーティーの日程です! さあ、状態を確認しますね。声も我慢しなくて大丈夫ですよ」
そう言ってしゃがもうとしたステラリカだったが、何もないところで躓いて壁に手をついた。
シャリエトは三白眼を瞬かせる。
「やっぱりこんな精巧な魔法を使いながらじゃ、……」
違う。
ステラリカの横顔を見たシャリエトは直感した。
躓くというトラブルで笑顔の向こうから一瞬見えた素の顔は、やはり不安いっぱいの顔だった。
「……大丈夫です、羽のある赤ん坊でもきっと無事に取り上げられますよ」
相手が長く生きていようが何だろうが、こんな顔をしている者にかける言葉に迷うことはない。
両肩を支えるシャリエトの手にハッとしたステラリカは短く息を吸い込むと「ありがとうございます」と頷いた。
とんでもないことになったが、今は出来ることをするだけ。
気を取り直して手を洗ったステラリカはリオニャの前にしゃがみ、そして。
「……っこ、これは!?」
大きく驚きの声を上げた。
***
リオニャを今回の作戦に加えること。
それを最終的に是としたのは自分だ、とメルカッツェは次の行動を静かに思案する傍らで思った。
(無理やりにでも置いてくるべきだったか。得た情報の信頼性は劣化するが、要はパーティーに出てきたアズハルも緑目野郎かどうか確認さえ出来りゃよかったんだ)
本物が王宮のほど近い場所にいるかも、というのはたまたま訪れたラッキーな出来事であり、当初の予定ならリオニャを置いてきてもよかった。それをリオニャ本人が嫌がり、ならばとOKを出したのは他でもないリーダーのメルカッツェである。
それを責める者はいない。
しかしメルカッツェ本人はどうしても思うところがある。
そんな時バルドが「よし」と自分の頬を叩いた。
「反省は後だ後! 次にどうするか考えよう」
「オリトさん、……そうだな。オレとオリトさんの二人で行こう、何があっても監視のためにここにも人手は置いてかなきゃなんねぇ」
「わ、私も同行でき……」
「遠視のあるメリーシャはここが適任だ、そしてその護衛にミドラも居た方がいい。ステラリカたちはどれだけあそこに籠ってることになるかわからないからな」
腰を浮かせたメリーシャにバルドは優しく言う。
メリーシャは従兄のメルカッツェが心配なのだろう。人数が減ればその分隠密に適した動きが出来るが、見つかった際の危険度は上がる。なら自分も加勢したい、と思ったようだが――バルドの言葉を受けたメリーシャはツインテールを緩く揺らして頷いた。
「そう、だよな……私の持ち場はここだ。偽者でも何でもきちんと見張って観察しておく」
「あんがとな、メリーシャ。帰ったらまたゆっくり二人で寝ようや」
え、なに二人で寝てんの、という顔をバルドとミドラが同時にしたのを見て、メリーシャが爆発しそうなくらい真っ赤になる。それはもう髪色と相違ないくらいに。
「ここここ子供の時のクセで落ち着くからであってそそそそれに大人になってからはまだ一回だけだしっ」
「一回は寝てたのか……」
「一体いつの間に……」
「うぐぐ……!」
墓穴を掘ったメリーシャはバルドとメルカッツェの背を壁に向かって押す。
ステラリカが作った偽の壁には仕掛けがあり、意図的に飛び出させたブロックを押し込むことでほんの少し開くようになっていた。ここから撤退する際にステラリカ以外の判断で抜け出せるようにするためだ。
そこへ押しやり「は、や、く、い、け」と口パクで伝えてくる。
「いいなぁ、こういう可愛い従妹が居て」
「うぐぐぐ……!」
「オリトさんにゃ居なかったのか?」
「影も形もないね」
「ははは、なら羨ましいだろ」
「だから早く行けってば……!」
揶揄われていると感じたメリーシャはそう唸ったが、二人は本気も本気だった。
そんなメリーシャの様子を見て笑い、メルカッツェは頭を撫でる。
「ありがとな、緊張が解れた。また後で会おうぜ」
「……うん」
「それじゃぁ、行っ――」
ふらり、と。
外に出ようとしたバルドたちの視界に現れたのはステラリカだった。
シェルターに出口を作り、出てきた瞬間にそれを閉じたらしい。リオニャとシャリエトはまだ中だ。
あまりにも早い。そして彼女の両手どころか服すべてが真っ赤に染まっている。最悪の事態を想定した面々は息を呑んだ。
「ス、ステラリカ、リオニャは……」
「あの、その」
ぽたぽたと鮮血が床に落ちる。
そしてステラリカは潤んだ瞳で皆を見た。
「……ものすごく、スムーズに生まれました」
「それで!?」
「いえ、その、切り裂きながら出てきたのでスムーズだったというか」
メリーシャとミドラが同時に自分の耳を押さえる。
なんでも確認した時にはすでに頭が出ていたのだという。ステラリカはその子を取り上げ、今はシャリエトが産湯で清めているらしい。
「泣き声が大きくてヒヤッとしたんですが、今は落ち着いてるみたいです。立派な羽の男の子でしたよ」
「よ、よかったぁ……」
「リオニャの方はどうしてる? それはリオニャの血なんだよな?」
慌てるミドラにステラリカは頷いて言った。
「私もシャリエトさんも凄いことになっちゃって。でも大丈夫、……ドラゴニュートの遺伝子って凄いですね、本当……本当凄いです、縫合する前に自己治癒しちゃって……」
絶対敵に回したくないですね、とステラリカは唾を飲み込んだが、完全ではなかったにせよすでに過去に敵には回していたのだった。
「それでですね、リオニャさんから伝言です」
「伝言?」
ステラリカは咳払いをしてから言った。
「――今着替えてるんで、終わったら同行します、ちょっと待っててくださいね~、って」
「……」
「……」
一行はぎこちない動きで顔を見合わせて思う。
たしかに引くくらい早く、そして拍子抜けどころじゃなかったなぁ、と。
ベンジャミルタとリオニャ(絵:縁代まと)
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今年ラストの更新です。
来年もどうぞ宜しくお願いします!





