第501話 伊織の『帰宅』後 【★】
伊織に魔力安定目的の刺青を入れる。
そんなシェミリザの提案はオルバート達による協議の後、伊織本人の希望もあり「試してみよう」ということになった。
シェミリザ自ら準備を進める中、シァシァはイスに座らせた伊織の傷のチェックをする。
「見た感じは大丈夫だネ、叩かれた手は? 動かすのに問題はない?」
「まだちょっとジンジンするけど大丈夫。でもやられた時はめちゃくちゃ痛かった……」
「そういう場所を狙ってたみたいだからなァ……あの男、観察対象外だしあまりよく見てなかったケド、身元洗ったらびっくりしたヨ。ベレリヤを活動拠点にしてるオールラウンダーな殺し屋一族とボルワットで何でも請け負いながら似たコトしてる一族の子供じゃないか」
有能故の自信から身元を隠さない傾向が強い一族のため、データベースを漁ればいくつか情報が出てきた。それを元に探ってみたのだ。
母のアルナはベレリヤの殺し屋一族の長女。請け負った殺し以外はせず、最近は高度な変装技術を活かしての様々な仕事をこなしているという。
父のルーカスはボルワットで主に暗殺を裏稼業とする一族の長男で、表向きは探偵業に近いことをしており顔も広い。また、傭兵まがいのことから迷い猫探しまで報酬が一定額以上なら幅広く請け負う性格をしていた。
その子供たちはまだ一人立ちしている者が少なく、長男と次男以外は目下修行中。
そんな長男と次男は痕跡を消すのが上手く、特に長男は大口の仕事をする時ほど入念に情報を消していたためデータが少なかった。しかも数年前から僅かな情報さえ入って来なくなっている。
ナレッジメカニクスとしてもデータ収集は完璧ではないため漏れがある可能性は高いが、サルサムは本業を休んでいるのだろうか。――と、シァシァたちは考えたが、そこそこ実入りの良い仕事、つまりニルヴァーレの魔石取りの仕事があり『何でも屋のサルサム』として活動する機会が減っていたのが原因である。魔石取りの仕事の合間にも時折元来の仕事をこなしていたものの数は少なく、ナレッジメカニクスの情報網に引っ掛からなかったのだ。
ただの有能な人間なら警戒するに値しないが、血筋と技術を把握した今なら狙う際は単独行動の時にすべきだったなとシァシァも思う。
いくつかのかすり傷だけ治療し、後からどこか痛くなったら言うようにと伝えたところでオルバートが現れた。
「父さん」
「お疲れさま。カフェオレでもどうかな」
オルバートから受け取ったカップを両手で包みながら伊織は眉をハの字にした。
「……二人ともごめんなさい、言うこときかなかったからこんなことになって……」
「気にしなくていいよ。あの時点で十分色々とわかったからね。今回のデータを元に今後出来ることも増えた」
「ほ、ほんと?」
本当だとも、とオルバートは頷く。
「それに僕らは聖女マッシヴ様だけでなく、その一行ひとりひとりにもっと目を向けるべきだったと気づけた。……これは僕らの悪い癖だ。つい観察対象以外を蔑ろにしてしまう」
それと、と伊織を見たオルバートは笑った。ごく自然に。
「伊織、実戦のおかげで君の対策したり鍛えるべき部分が更によくわかったからね。その第一歩が魔力の安定化だ。今までも課題ではあったけれど、どの程度のことをすべきか指針になった」
刺青による安定化も今までならもう少し様子見を、と一旦流していたかもしれない。
それを即実行に移せたのはデータあってこそだ。
伊織は少しそわそわした様子で訊ねる。
「刺青を入れるのはいつ頃? この後すぐ? それとも明日?」
「ふふ、準備はしてるけど少しかかるわよ。染料作りの段階から魔法を使って少しずつ進める必要があるの。普通は一週間くらいだけど、わたしは専門の彫師じゃないからもう少しかかるかしら」
伊織が「えー!」と声を上げるとシェミリザはくすくすと笑った。
「でも今回は一度で広範囲に入れるわけじゃないから、必要な染料も少なくて済むはずよ」
「小さいのしか入れないの? 左腕や胸元とか腰に入れるんだと思ってた……」
「あら、どこかで見たの?」
「うん――どこかで」
どこだったか思い出せないが、世の中には様々な人がいるため過去に目にする機会があったのだろう。
不思議なふわふわとした感覚を感じながら伊織は頷く。
刺青の準備、実際に施す、その後刺青のある状態で再び魔法の訓練。これが今後のスケジュールだ。
ただし刺青が馴染む時間には個人差があるらしく、焦りすぎないでね、とシェミリザは言った。
そう言われても地に足がつかないのはどうしようもない。
そんな感覚を拭うためにも伊織は「あの時の戦闘記録! あったら見せて!」と提案した。映像なり何なり見ながら客観的に分析しようという考えだ。
オルバートたちは映像でもデータを残しており、バグロボにより撮影された映像がノートパソコンに映し出される。
――拙い動きだ。
直線的で魔法を活かせていない。
(そうだ……折角色んな動きを出来る風魔法なのに、こんな動きしてちゃ効果が半減しちゃうよな。あの人ならもっと上手く、……)
あの人、とは誰だったか。
思い出せないが悪感情は浮かんでこない。
(ってことは僕に良くしてくれた人? 思い出せなくて申し訳ないなぁ……)
いつか思い出せるといいな、と伊織が考えていると黒い何かをすり潰しながら画面を覗き込んだシェミリザが「……あら」と声を漏らした。
「椿の東ドライアド……女装していてよくわからなかったけれど、もしかしてシャンチャ?」
「シャンチャ? 知り合いかい?」
「そこまでじゃないわ。ただ遥か昔にちょっと用があって彼の元を訪れたことがあるの。占いの名手よ」
懐かしいわね、とまったく懐かしがっていない顔でシェミリザは目を細める。
彼女のを聞いたシァシァは何かを思い出すように遠くを見た。
「占い……椿、シャンチャ……山茶……あァ、噂だけなら聞いたコトがあるかもしれない」
シァシァは頭の中の古い古いひきだしを一つずつ開けていく。
そして「そうだ」と手を叩いた。
「占術魔法の上手いドライアドがいて、国の上の奴らが欲しがってたケドその時の所有者が頑として手放さなかったって聞いたなァ」
「お気に入りだったのね」
「そんなトコロだと思うヨ。……ははあ、なるほど。ランダムに散ったわりに迷いなく行動してたのはシャンチャの占いを指針にしていたからかな」
シァシァの言葉にオルバートが軽く首を傾げる。
「占いなのにそこまで精度が高いのかい?」
「それが彼の怖いトコさ。国が欲しがるくらいの精度を誇る占術、そして時には予知の域に達する魔法も使ったって言われてる。いやァ怖いネ」
「……そうね、じつに恐ろしいわ」
シェミリザはすり潰したものを一旦小瓶に入れながら呟くように言った。
そこでシァシァはペルシュシュカが映っている場面で映像を一時停止させる。
「ま、占術以外は脅威ではないはずだヨ。彼への対応も次までに考えとこう」
「そうだね。……さて、ではここで最優先事項だ」
最優先事項?
怪我の確認も今後の方針も映像の再確認も脅威の視認もできたというのに、他に何かあっただろうか。
カフェオレを飲み干した伊織がそんな疑問を顔に浮かべていると、オルバートが空になったカップを持ち上げて言った。
「伊織はゆっくり休むこと」
「ええっ!?」
「魔力の消費は微々たるものだけれど、それを休んで回復させる感覚にも慣れておいた方が良い」
「そ、そういうもの……?」
そういうものだとも、とオルバートは頷く。
伊織としてはもう少し自分の短所確認をしたかったが――そうやってオルバートの言葉を無視した結果を思い出し、そういうとこだぞと自分を叱責しながら「わかった」と頷き返した。
「でも、その、代わりに少しだけ我儘言っていい?」
「おや、何だい?」
「……今夜は久しぶりに父さんと一緒に寝たい」
オルバートは片目をぱちくりさせる。
そしてもごもごしながら「だめかな」と言葉を重ねる伊織を前に、オルバートは頭を撫でながら言った。
「ああ、いいとも。……僕も久しぶりに一緒に寝たいと思っていたところなんだよ」
シァシァと工具(絵:縁代まと)
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