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【本編完結】マッシヴ様のいうとおり  作者: 縁代まと
第十章

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第496話 伊織の安らげる場所

 伊織の魔法は未だ不安定である。


 しかし海で暴走した時よりも大分落ち着いていた。それは細やかな魔法の使い方を強いられるキメラ作りが影響しているのだろう。間接的に魔力操作の訓練にもなっていたのだ。

(元から魔力操作はある程度出来ていたけれど、実際に魔法を使用する段階まではいってなかった。ただ経験に偏りがありそうだったから、そうだな……ヨルシャミは仮想世界を作り出せる魔導師だ、そこでシミュレーションでもしていたのかな)

 羨ましい魔法だ、と思いながらオルバートは廊下を歩く。

 実際に召喚魔法以外の魔法を使う経験が薄かった伊織は今、ナレッジメカニクスで毎日のように使用経験を積んで成長していた。ヨルシャミたちがこの段階になかなか至らなかったのは安全を優先していたからだろう。

 この『安全』は周りの者だけでなく、伊織自身のものも指す。

 可能な限り危ない橋を渡らせずに鍛えることを選んだのがヨルシャミたちで、リスクを認識しつつもハイリターンを想定し鍛えることを選んだのがナレッジメカニクスなのである。


 今回の作戦で今の伊織がどこまでやれるのか見ることができるだろう。

 同行者はオルバート、観測者兼万一の際のストッパー役としてシェミリザとシァシァがつく。

 観測ならセトラスが最適だが、彼は未だに精神が元に戻らないため留守番だった。本部に残るヘルベールとパトレアに面倒を見るよう言ってある。


(伊織は今日もキメラ作りだったかな。出発は明日だ、今のうちにもう一度ミーティングをしておこう)


 伊織は新しい生物作りに心のどこかを刺激されるのか、様々な『授業』の中でこれを一番好んでいた。

 洗脳の安定のために伊織の望みは叶えられるだけ叶える、というのが方針のため、ある程度調整をしつつも自由にさせている。今日も朝からヘルベールにひっついて回っていた。

「……」

 最近直接何かを教える機会が減ってしまった気がする。

 オルバートは無表情のままぼんやりと考えた。

(いや……そもそも洗脳から今に至るまでが機会に恵まれすぎていたんだ。それが落ち着けば減るのはおかしくはない)

 キメラ作りもマイブームのようなものなら数ヶ月後には別のものが好きになっているかもしれない。

 もしそれが自分の教えられるものなら、再び一緒にいる機会が増えるだろう。それを待てばいい。

 ――その思考に違和感を感じつつ、オルバートはヘルベールのラボへと辿り着いた。

「ヘルベール、ここに伊織は来てないかい?」

 ノックをし、そう訊ねてみるも返事はない。

 外出の痕跡はない上、訓練室などの使用申請もなかったはず。後者は申請せずとも使えるものの、ヘルベールはそういった申請に手は抜かない性格をしていた。よって伊織の目的を考えるとラボの中にいる可能性が高いと予想したのだがはずれたのだろうか。


(この前に食堂や遊戯室も覗いてみたがいなかった。とすると手を離せない実験中かな、……)


 ここは首魁特権の使用といこう。

 オルバートは「入るよ」とラボのドアを開くと中に足を踏み入れた。

 室内は薄暗い暗室のようになっていたが、これはヘルベールの不在を示すものではない。キメラ作成の際に使う魔法の光、及びそれを扱う器具の観察に際して部屋を暗くしている方がやりやすいのだ。

 培養瓶に入れられた様々な臓器が薄黄色の光に照らされている。

 光は手の平サイズのランプから放たれており、ランプの大きさにしては広範囲に及ぶものだった。その手前に椅子に座ったヘルベールの後ろ姿が見える。

 例えるなら暗い部屋でつけっぱなしのテレビの光に照らされた人間の後ろ姿に似ていた。逆光のせいで余計にそう感じる。

「ヘルベール、……っと」

 横に回って覗き込んだオルバートはかけようとした言葉を飲み込む。


 ヘルベールは珍しく座ったままうたた寝をしていた。

 そしてその膝の上に座った伊織も完全に寝入っている。


 前方の机に並ぶ培養瓶の様子や器具を見るに、臓器を取り出すタイミングを計っている間に寝落ちてしまったのだろう。ここしばらく伊織が入り浸るのでよくヘルベールが授業準備に追われている姿を見かけていた。

(さすがに延命処置済みとはいえ疲れは溜まるか)

 オルバートはヘルベールの顔を見る。

 いつもは厳つい顔をしている彼だが、さすがに寝顔はリラックスしていた。こういった顔は初めて見る。

 伊織は組織の構成員の知らなかった面を引き出すのが上手いな、と思いながら視線を下ろすと、伊織もリラックスした顔で寝息をたてていた。

 その顔を見て不意に思う。


(――逞しい筋肉に安らぎを感じているのか?)


 それも無意識に。

 伊織の母親、静夏は良質の筋肉に恵まれている。体格だけならナレッジメカニクスの中で一番近いのはヘルベールだろう。

 伊織が安らぐことは重要だ。自分も鍛えれば少しくらいは――などと考え、その直後に無駄な思考をしたとオルバートは目元に僅かに力を込める。

 不老不死であるこの肉体は良い意味でも悪い意味でも不変で、老いることもなければ成長することもない。鍛えたところで筋肉はこれ以上つかず、現状が維持されるだろう。新陳代謝はされているため過剰なほどトレーニングすれば少しは変わるかもしれないものの望み薄だ。

 もし何か変動があるとすれば外からよほど大きな影響が与えられた時くらいだろう。

(といっても実証実験などしていないんだが……、……)

 なぜそんな思考に至ったのか考える。

 ヘルベールが羨ましかったのだろうか。

 しかしなぜそんな感情を抱くのかよくわからない。深く考えるほど答えは不明瞭になり、オルバートは頭を振ると伊織の肩をとんとんと叩いた。


「……伊織、起きなさい」

「ん、え……? 父さん?」

「そんな体勢で寝てると首を傷めてしまうよ」


 はっと体を起こした伊織は頬を掻く。

「しまった、寝ちゃってた……このランプの光ってゆらゆらしてて凄く眠くなるんだよなぁ……」

「ヘルベールの筋肉の影響もあったんじゃないかな」

「筋肉の? え? じいちゃんの筋肉って快眠効果があるの!?」

「ああいや、そういう意味じゃないんだが」

 大変な誤解を与えそうになったオルバートは詳しく説明しようと思ったものの、洗脳された伊織は静夏を敵視しているため、その筋肉に似ていて安心していたのでは――と口にするのはご法度だと気がついて「……広いからね、幅が」という訳のわからないことを口走ってしまった。

「うん、幅は広いけど」

「まあそれで安心感を得られるのかもしれないね、ということだよ」

「あっ、それなら他にも理由があるかも!」

 伊織はにっこりと笑って言う。


「じいちゃん、他の人と違うにおいがするから!」

「うん、加齢臭だね」


 ヘルベールを羨ましく思うのはもう少し熟考した方が良さそうだ。

 本人には言わないように、と念押しつつオルバートは伊織をヘルベールの上から下ろした。

「さあ、寝起きで悪いが明日に向けてのミーティングをしよう。……それとも今作っているキメラが出来てからにするかい?」

「うーん、いくつか使用タイミングを逃してダメになっちゃってるからな~……いや、けど」

 伊織はしばらく考え込んでいたが、すぐに「ちょっとやってみたいことがあったけど今度にする!」と頷く。

「よし、じゃあヘルベールを起こそうか。目覚めて伊織がいなかったら驚くかもしれない」

「たしかに!」

 そうして伊織とオルバートは眠っているヘルベールを起こし、経緯を説明すると二人でミーティングルームへと向かった。


 対象と一対一が望ましいが、それ以外の二人も場合により相手をしてもいいこと。

 しかし人間の男性の方はともかく、データの少ない東ドライアドはやや警戒し、場合によりシェミリザかシァシァが介入すること。

 天気の問題さえなければ普段から出歩いて調査をしている三人が人込みから離れたタイミングを狙う。


 それらの作戦の決行を明日に控え、伊織はまるで遠足にでも赴くかのような面持ちでそわそわとしていた。


     ***


 ペグツェからほど近い場所に標高の低い山がある。


 土地としてはペグツェに含まれるらしく、ならばここも調査しておいた方がいいだろうとサルサムたちは足を運んだ。ピクニックに赴いた森と同じ理由だ。

 しかしあの時の森とは違い、娯楽用に管理された場所ではないため悪路が多く木々も間伐されず鬱蒼としていた。

 リータはなんとなく伊織がヨルシャミと約束し、彼を助けるため訪れたリカオリ山を思い出すと目を細める。


(あの時はまさかこんなことになるなんて思ってなかったなぁ……)


 聖女に協力するため、そして故郷たる里への贖罪のために同行し始めた頃だ。

 長い期間ではないが今に至るまでに様々なことがあった。その間にリータは伊織に憧れ、恋をし、そして一度しかない初恋の失恋を得て、それを楽しみながら彼を諦めるべく日々を過ごしてきたのだ。

 リータは今でも伊織に恋焦がれている。

 しかし今伊織を探しているのは自分のためではない。彼を心配する仲間の、母親である静夏の、そしてヨルシャミのためだ。

(ヨルシャミさんの幸せもイオリさんの幸せも両方とも早く取り戻してあげたい)

 頑張らなきゃ、とリータは手をきゅっと握る。

(それに……)

 捜索の旅を始めてから、なんだかサルサムもしんどそうだ。

 慣れないことの上、途中で再びアルコールで失敗してしまったからだろうか。

 浮かない顔をしていることが多く、笑顔を見せてくれてもどこか無理をしているように感じることがある。

 あまり触れられたくないことかもしれないから、と悪酔いの件についてはあまり触れないようにしていたが、やはり落ち着いてからもう少しフォローしておいた方が良かったのかもしれない。


(サルサムさんが元気になることって何なのかしら、……バルドさんが見つかったら訊いてみようかな)


 サルサムが悩んでいる理由を知らないリータはそんなことを考えながら進む。

 と、その時リータたちの前を歩いていたサルサムが足を止めた。

「どうしました?」

「いや、茂みが揺れてな。野生動物かもしれない」

 見ればたしかに前方の茂みががさがさと揺れている。

 普段ならゆっくりと遠ざかるところだが、今は調査中である。怪しいところは念のため確認しておきたい。

 万一の際、リータたちは後衛の方が動きやすいためサルサムが一人で前に出て茂みを確認した。

 尻尾が見える。狸だろうか。

「ああ、やっぱり動物――」


 尻尾の先にあったのは出目金の胴体だった。

 魚。金魚である。

 ともすれば出目金に化け損ねた狸に見えるそれは両腕で抱えるほど大きく、時折口をぱくぱくさせながら跳ねていた。


 なんだこれは、と眉根を寄せたサルサムは右手側、正確に言うなら右手側の上空から殺気を感じて瞬時に飛び退く。

凄まじい勢いで飛んできた何かが地面を抉りながらバウンドし、一回転して着地した。背後から一対の風の鎌を生やしたそれ――黒髪の少年は「惜しい!」と指を鳴らす。

「邪魔者は初手で潰しとこうと思ったのに避けられた!」

「――な」

「イオリさん!?」

 サルサムより先にリータが声を上げる。隣のペルシュシュカが「あれが?」と目を瞬かせていた。


 空からサルサム目掛けて突撃し、風の鎌で切り裂こうとした少年。

 それは見紛うはずもない、藤石伊織本人だった。

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