第48話 てのひらで戦う
水属性の魔法とヨルシャミは相性が悪い。
これは個人の属性によるが、エルフノワールは元々種族そのものが水属性と相性が良くなかった。
闇の神の加護を受けているとされる種族なら光の属性のほうが苦手なのでは、と思う者も多いが闇と光は双方がいないと存在できないため、存外相性は良いのだ。
回復、防御に関する魔法は水属性が大いに関わってくる。
人を構成するものに水分が多いからかもしれない。
ヨルシャミが準備している大規模な防御及び修復と回復魔法は通常、水属性に愛された種族で更にそれを究めたエキスパートが使うものだった。なにせ人間以外までもを纏めて癒そうというのだ。
ベルクエルフの肉体は風や水属性と相性が良いが――ヨルシャミの脳だけはエルフノワールのため、負荷が一点集中する。
普段気絶しやすいのも脳に直接負荷がかかるからだ。
この肉体はヨルシャミの手足であり、そして血の通った檻だった。
そんな肉体へ脳移植したナレッジメカニクスは狙ってやったに違いない。歯噛みしながらヨルシャミは一瞬息を止めて巨大な魔法陣を展開した。
それが仄かに光る水の粒となり、霧状に変じて半径数十メートルを覆う。
「っぐ……!」
それだけで全身から力が抜けてしまいそうだった。
ヨルシャミは噛み合わせた歯が軋むほど更なる力を込める。
(恐らく魔法の維持をするだけで手一杯になる。召喚もできないし他のサポートもできん。しかし……)
こうして周囲を守ったほうが、よほど静夏のサポートになるだろう。
今のメンバーの中で一番勝算があるのがマッシヴ様である静夏だ。
ニルヴァーレはヨルシャミの記憶にあるより格段に強くなっていた。いくら得意とすることとはいえ、あのように強力な攻撃魔法を使いながら自身の移動にも魔法を用い、更に多重召喚魔法を使用してなんの負荷もないなど不可思議すぎる。
ニルヴァーレが何をしたかはわからないが、今は今ある力を使って戦うのみ。
ヨルシャミはそう自分に言い聞かせる。
このサポートも戦いの一部だ。
***
ヨルシャミの展開した魔法により、静夏とニルヴァーレの戦いで広がった被害は瞬く間に修復され、周囲の森は木の一本すら欠けることはなかった。
その様子を傍らで見守りながら伊織ははらはらとした気持ちを持て余す。
(バイクを援護に向かわせられればよかったんだけど……)
バイクはあくまでバイク。
ある程度の指示はできるが、伊織が乗らなくては細かな動きはできないため撹乱には向かない。下手をすれば静夏の視界を塞いでしまう。
伊織はヨルシャミの傍から離れることができないので、物理的な援護はもっぱらリータとミュゲイラの役目だった。
「……! そういえばヨルシャミ、ニルヴァーレには仲間がふたりいたのか?」
「ああ、荷物番などと言っていたが……奇襲を仕掛けてくる可能性もある」
伊織の問いにヨルシャミは脂汗を流しながらそう答える。
ならばそのふたりが近くにいないか探そう、それくらいなら今でもできる。
そう伊織が視線を巡らせた時だった。
「なっ……!」
黒い巨体が虚ろな目を開いて頭をもたげる。
――気絶していたワイバーンだ。もう意識を取り戻したらしい。
まだふらふらとしているが、巨大な生物が体を起こしたというだけで脅威である。
「ヨルシャミさん、ワイバーンが!」
「まだ夢うつつみたいだけどハッキリすんのも時間の問題だぞ……!」
リータが炎の弓を、ミュゲイラが拳を構えるもヨルシャミはその緊張感に反して笑っていた。
「とどめを刺すには蜘蛛の力が足りなかったか。しかし好機だ」
「好機?」
「イオリ、あれをテイムするのだ」
伊織は一瞬何を言われているかわからなかったが、たしかにワイバーンも魔導師によって召喚されたものだ。
ヨルシャミの呼び出した羽虫の時のように、召喚後に上書きテイムできる可能性がある。
しかしあれはヨルシャミと協力したからこそ。
敵対しているニルヴァーレの召喚したものを契約を反故にして上書きできるのだろうか。――いや、そんな不確定要素があるのは百も承知で「しろ」と言っているのだろう。
そう感じ取った伊織は真剣な表情で頷く。
「……わかった、やってみる。けどヨルシャミが倒れた時に離脱するのは……」
「はははっ! なぜお前に頼んだと思っている? バイクならば離脱が早いだけでなく駆けつけるのも早いからだ」
この距離ならどうにかなる。
そうヨルシャミはワイバーンと自分たち、そしてニルヴァーレとの距離を見て言う。強がりによるものではないと伊織にもわかった。
ならば迷っている時間はない。
「リータさん、ミュゲイラさん、いざという時は援護をお願いします」
「……! わかりました!」
「任せとけ!」
伊織は大きく息を吸うとワイバーンに向かって走り始めた。
ワイバーンは川の中とはいえ、比較的浅瀬にいる。そのため気絶している間も翼に頭がのる形になり溺死を免れたらしい。
ばしゃばしゃと水しぶきを上げながら伊織は全速力で足を進める。
(今のところ僕のテイムは相手の頭を撫でないと発動しない。まずは体を伝って頭のほうに移動しないと)
大きく凶暴な生き物の体に直接取りつくというのは生きた心地がしないが、飛ぶ方法がないのだから致し方ない。
伊織はワイバーンの尻尾から背骨伝いに登っていく。
ワイバーンは人間を乗せ慣れているため、一瞬違和感に気がつかなかったが――今ここが戦場の真っただ中であり、自分が敵に意識を落とされたのだと思い出すとようやくふわふわしていた意識を引き戻した。
「っうわ!」
揺れる胴体にしがみつく。
背中に等間隔で生えている突起に上手く手をかけることができたが、失敗すればそのまま数メートル下の川に落ちるところだった。伊織たちにもヨルシャミの魔法はかかっているため、大した怪我はしないだろうが時間がもったいない。
いよいよ背中の違和感に気がついたワイバーンが異物を払いのけようと首を伸ばす。
「こっちにもいるわよ!」
そこでリータの炎の矢が首の根元の鱗を弾いた。
――敵が他にもいる。
そう認識したワイバーンがリータたちを探している間に、伊織は一気に首元まで駆け上がった。ここからは首の突起を足掛かりに登っていくことになりそうだ。命綱なしのクライミングである。
「ッ!」
鱗の一部に手の平が擦れて血が流れた。
しかしすぐさまヨルシャミの魔法が跡形も残さずそれを治す。凄まじい魔法だ。
(でも、きっとそのぶん負荷が大きいに違いない……)
長時間続けるのは――続けてもらうのは危険だ。
それこそ気絶だけでは済まなくなるかもしれない。こんな恐ろしい場所で瀕死の状態に陥ったヨルシャミの姿を想像した伊織は冷や汗が伝うのを感じた。
伊織は汗で滑る手を服で拭ってから再び首を登り始める。
そこへミュゲイラの溌剌としたよく通る声が届いた。
「よう、ワイバーン! もう片方の目は大切にしろよ、あたしらが強すぎていつ無くすかわからねぇからな!」
ミュゲイラが投擲したナイフは未だにワイバーンの右目に刺さっている。
知能が高いのだろう、己の右目を奪った相手が目の前にいると察したワイバーンは咆哮を上げてそちらに走り始めた。
翼を使わなかったのはこのまま巨体で体当たりし、すり潰し食ってやろうという魂胆なのかもしれない。
激しい振動に伊織は舌を噛みそうになった――というよりも実際に噛んだが、それすら魔法が癒してくれる。
(揺れがヤバイ……ッ、でもおかげでワイバーンは完全にミュゲイラさんたちしか見てないぞ)
首元の違和感など些細なこと、それくらいにしか感じていないらしい。
たとえば視界内を蜂が飛び回っている時に首元に蚊がとまっていても気にしないのと同じことだ。
頭の真下まできた伊織は力を振り絞ってワイバーンの頭の角を掴み、ぐいっと身を乗り出して脳天に触れた。そのまま敵に対してするとは思えないほど優しい手つきで撫でてやる。
硬い鱗の感触が手の平に伝わり、それだけで鱗の分厚さが感じられた。
それを慈しむように、まるで父親のように伊織は撫でる。
ぴたり、とワイバーンの動きが止まった。
ミュゲイラたちの目の前で口を開いたまま、歯から唾液の糸を垂らして固まっている。
ワイバーン自身も混乱した顔をしていたが、伊織がもう何度か頭を撫でると途端に気持ちよさそうな顔をしてその場に身を伏せた。
「……せ、成功した?」
伊織は恐る恐る手を放す。
離したからといってワイバーンが再び凶悪になることはなく、そのまま指示を待つように微動だにしなかった。
低くなった頭から飛び降りる形でワイバーンから降りた伊織は「っはあー!」と大きく息をついて自分の両膝に手の平をつく。
「イオリさん、大丈夫でしたか!?」
「な、何度か危なかったけれど、なんとか……」
駆けつけたリータに笑いかけつつ、伊織はワイバーンを見上げる。
ウサウミウシの次が召喚された羽虫、その次が他人のワイバーンだなんて飛躍しすぎだ。
しかし成功した。
自分の手で成功させることができた。
「よくやった、イオリ」
「ヨルシャミ……」
ヨルシャミはぽたぽたと流れ出した鼻血を手の甲で乱暴に拭う。
口内にまで流れるほどの量なのか、拭った後もまるで唾のように鼻血を吐き捨て、血の気の失せた手でワイバーンを指した。
「早速それに命じてシズカの援護をさせるのだ」
「わかった、……大丈夫か?」
「まだ持つ」
ヨルシャミの短い返答に不安が過ったが、伊織はすぐにワイバーンに静夏の援護をするよう命じた。
元の主を攻撃させるのはワイバーンに対して忍びないが、今は仕方がない。
ひと鳴きしてその場から飛び立ったワイバーン。
その先では、ちょうど静夏とニルヴァーレの拳が何十回目かの邂逅を果たしたところだった。





