第47話 鮮やかな闘気
静夏は木の幹にぶつかる直前で踵を地面に埋めるようにして静止する。
ニルヴァーレの攻撃の一撃一撃は重みがなく斬撃に特化したものだったが、ひと際大きな風の鎌だけ性質が異なっていた。
他が刃物を孕んだ突風なら、それは巨大な台風のような暴力的な風である。
体全体、風の当たる面すべてをハンマーで叩かれているかのような衝撃に静夏は歯を食いしばった。
ニルヴァーレはとんでもない人物のようだが、今までとは違い人間相手の戦闘だ。
昔、野盗を相手にしたことはあるがその時は静夏の圧勝だったため、難なく捕縛することができた。
しかしニルヴァーレは強い。
彼を無力化するためには今より更に強い力を振るわなくてはならないが――加減を間違えれば、今まで戦ってきた魔獣のような死に方をさせてしまうかもしれない。
静夏には使命のためなら人間を相手にする覚悟もある。
しかし覚悟があるなら酷い死に方をさせていいかというと、そうではない。
避けられるものなら避け、命を奪うことがあっても尊厳は守りたい。そんな想いが静夏の中にはあった。
もちろんそれは有効打が入ればの話だ。
油断をすれば逆に返り討ちに遭う可能性も高かった。甘いことを言っていられる時間は限られているということもまた、静夏はよくわかっている。
そう思考を巡らせていると、モゾモゾと動くものが静夏の視界に入った。
「む……!」
それは野生のタヌキだった。
静夏たちにほど近い場所に現れたタヌキはぎょっとした様子で固まる。
茂みを抜けた先で筋骨隆々の女性と美青年が超人的な戦いを繰り広げているとは思ってもいなかったのだろう。
ニルヴァーレの作り出した風は静夏に集中しているものの、彼を中心に斬撃の余波が広がっていた。
現在の進行方向ではタヌキを巻き添えにしてしまうかもしれない。
野生動物は食べるためならば狩るが――今は違う。
静夏は再び足をアンカーのように地面に埋めると大きく息を吸い込み、今までの中で最大の力を出して拳の風圧を風の鎌に当てた。
「おっと……!」
ニルヴァーレが目を瞬く。
鎌のひとつが拳圧により散り散りになって消滅したのだ。
「なんてことだ、ただの風じゃなくて魔法による風だぞ。それをパンチで消すなんて面白いじゃないか!」
しかしダメージにはならない。あっという間に代わりの鎌が生成される。
このままではジリ貧というものだ。静夏は密かにタヌキを逃がしながら、音が鳴るほど強く拳を握り締めた。
――ごうごうと吹きつける風の音が己の耳の存在を際立たせてくる。
その音を掻い潜るように届いた声はヨルシャミのもので、静夏は風の鎌の脇を擦り抜けるように回避しながらそちらを見た。
「シズカよ! 周りの被害はすべて私がどうにかする。存分に暴れろ!」
「ヨルシャミ……?」
怪訝そうな声を出したのはニルヴァーレだ。
どういう意図の発言なのだろうか。彼はそう二秒ほど考えて合点する。
「聖女、もしかしてお前は周りの生き物まで守ろうとしていたのか? この僕を相手にしながら?」
「争いに関係のないものを巻き込むのは本望ではない」
「綺麗ごとをここまで実現している奴は初めて見たよ!」
ニルヴァーレは瞳を爛々と輝かせた。
それは静夏が全力で戦っていたわけではなかったと知っての怒りからではなく、興味深いものを見つけた子供のような目だった。
今までも骨のある人物はいたはずである。ヨルシャミを除いても、だ。
だがここまでニルヴァーレの興味を引いた者はいなかった。ニルヴァーレ自身も把握しきってはいないが、ただ強いだけでなく内面にも惹かれなくては記憶するに値しないということなのかもしれない。
「まさか僕にまで気を遣っていないだろうな?」
「……人間を傷つけるのは避けたいと思っている。ニルヴァーレよ、手を引く気はないか」
まさかと付けたのに当たってしまった、とニルヴァーレは眉を歪めた。
「お前たちが大人しくヨルシャミを渡してくれるなら手を引こう。それが嫌ならちゃんと全力で戦え」
そのまま瞼を緩く下げ、ニルヴァーレの瞳の輝きが翳る。
「自分で言うのもなんだが、僕はこの千年間に数多のことで手を汚してきた。僕にとって必要なことだったからだ。ひとつひとつ説明してやりたいよ、お前のような優しい人間はきっと看過できないことばかりだろうからね」
「……だから傷つけられてもいい人間だと?」
「いいや! 君が僕を誅する理由になるって教えてあげただけさ! さあ全力で戦え、聖女。僕を殺す気で来い。でなければ――」
ニルヴァーレは周囲に魔法陣を生じさせ、そこから虎に似た獣を何匹も召喚した。
虎たちは尾先に黄色い炎が宿っており、呼吸と共に口からも同じものを吐き出している。ニルヴァーレの風がそれを更に強化し煽った。
「――この一帯を更地にして戦いやすくしてやろう」
静夏は橙色の目を見開く。
初めから、この旅を魔獣や魔物以外を相手にしないままやり過ごせるとは思っていなかった。しかし甘い考えでもぎりぎりまで持ち続けようと思ってきたのだ。
ついにそのタイムリミットがきた。
ならばここで戸惑い、迷い、そして仲間や無関係な者を不要な危険に晒すのは愚かというものだ。
体を横に回転させるようにしてニルヴァーレの攻撃を避けた静夏は一度だけ目を閉じる。戦いの最中でする仕草ではなかったが、一瞬の闇の間で考え、そして改めて覚悟を決めることができた。
「……任せたぞ、ヨルシャミ!」
静夏はまっすぐにニルヴァーレを見つめて構える。
その目に今まで感じられなかった闘気を感じ取り、身震いしたニルヴァーレは自然と笑みを浮かべた。
じつに鮮やかな闘気だ。
殺意と呼べるほど鋭くもなく、しかし全力でこちらに向かってくるもの。
まだまだ甘いがこれでいい。
そう思いながらニルヴァーレも近接戦闘向きの構えをとる。
先ほどは手慣らしのためにこれを用いて静夏を投げ飛ばしたが、今は同じもので相手との戦闘を楽しみたいとニルヴァーレは思っていた。
渦巻く圧縮された風を拳に纏い、ニルヴァーレは静夏と相対する。
そして、ふたりは再び激しい攻防を繰り広げるため互いに重い一歩を踏み出した。
***
数分前のこと。
とある草陰からバルドとサルサムはふたりの戦闘を眺めていた。
ヨルシャミを確保するまでは荷物番が自分たちの仕事らしい。なんとも情けないが致し方のないことだ、とサルサムは随分前に観念している。
しかし助太刀もせずただ眺めているというのも暇だ。
そう気分転換目的で疑問を口にする。
「それにしてもあいつが言ってた『ヨルシャミ』って男じゃなかったのか? 完全に女の子だろ、あれ」
ふたりにはナレッジメカニクスの内情はよくわからないが、組織内で起った騒動などはニルヴァーレの協力者という立場を利用し耳にすることができた。古代の魔導師が脱走し処分された者たちがいると聞いたのもそれだ。
だがその話はそこまでで、古代の魔導師が誰だったのかも、なにをどのようにして捕まったのかも知らなかった。
名前や性別を知ったのはニルヴァーレの話を聞いてからである。
しかしこの戦場でヨルシャミとされている人物はどう見ても少女だった。
長命種の外見年齢はあてにならないものの、肉体の性別は遠目に見てもわかる特徴を示している。ニルヴァーレが嘘をついたとは思えないが一体どういうことなのだろうか、と。
サルサムがそんな疑問を口にするも、隣のバルドから返事がない。
雇い主の珍しい戦いっぷりにでも見入っているのだろうか?
そうなんとなく隣を見ると、バルドは眼球が乾くのではないかと思うほど目を見開いて口を半開きにしていた。
たしかに見入っている。
しかし――その視線の先にいるのはニルヴァーレではなく、筋骨隆々な女性だ。どうやら彼女はなにかの動物を庇ったところらしい。
ちらちらと聞こえてきたニルヴァーレの声から察するに、彼女は最近噂になっている聖女マッシヴ様なのだろう。
様々な土地に赴くためサルサムも聞いたことがある。
(聖女というだけあって、無駄に優しいな)
なぜ彼女がヨルシャミと共にいるのかはわからないが、今はニルヴァーレと敵対しているようだ。
バルドは仕事の相方であるサルサムが引くほどの女好きだが、女性であれさえすればああいう人物にも惹かれるものなのだろうか。
(いや、でもこの表情、どこかで見たような――)
サルサムは記憶をまさぐるも、異様な状況のせいかなかなか出てこない。
特定を諦め、代わりにバルドの肩を軽く叩く。
「おい、あの聖女に惚れでもしたか? ちゃんと荷物番をしろよ、それにこっちまで攻撃が届いた時にすぐ逃げられるよう警戒を……」
「サルサムさ」
「なんだよ」
「一目惚れって信じるか?」
「……は!?」
ある程度茶化して言ったつもりだったが、まさかどんぴしゃりだとは。
そう驚いたサルサムは素っ頓狂な声を上げ、慌てて口を押えて草陰に隠れ直す。
「本気か!? この状況で!? お前の女好きは筋金入りだな……!」
「いや、なんか動物を守ったのが、こう、なんかこうな……」
元々ない知能指数が更に下がっているのが本気っぽい、とサルサムは口元を引き攣らせる。
とにかく今あそこに口説きに行くんじゃないぞ、とバルドの頭を押さえつけて草の間から視線を戻すと、いつの間にかニルヴァーレが風の鎌を消し聖女と肉弾戦にもつれ込んでいた。
(なんでだ!? リーチがあったほうがいいだろ!?)
不可思議なことばかりだ。
そう思っている視界の端でもぞりと動く黒く巨大なものがあったが、ふたりの戦いに集中していたサルサムはしばらくの間それに気がつかなかった。
御覧いただきありがとうございます!
評価やブックマークしてくださる方にも感謝を。とても励みになります!
今回は伊織の出番がありませんが、次回は出演予定ですので引き続き宜しくお願い致します。
二章終了まであと少し。また覗いていただけると嬉しいです!





