第447話 子離れできない 【★】
「――イオリの魔力操作、上手いけれど持っているものが大きすぎるからやっぱり完全にコントロール出来るようになるのはかなり先になりそうね」
「このままだと、だろう?」
薄白い湯気の立ち上るコーヒーを啜りながらオルバートが言う。
その向かいに腰掛けていたシェミリザは頬杖をついて歯を覗かせた。
「そうね、対策を講じればどれかが当たりになる可能性は十二分にある。あの子が魔法を使いこなせるようになれば、きっとあなたの計画にも活かせるはずよ」
元々、藤石伊織の洗脳の主目的は『聖女マッシヴ様に揺さぶりをかけること』のみだった。
しかし今はそこにもう一つ目的がある。
オルバートが予てより進めている計画には膨大な魔力が必要になるため、それに活かせるのではないかというものだ。ナレッジメカニクスでは仲間になったからには役目が与えられる。伊織の役目はこれである。
ただしこの魔力は供給するにも繊細な魔法を使うため、まずはその分野を伸ばす必要があったのだ。
「実験の勉強には魔法が付き物。そこから自然な流れで魔法の勉強に持ってこれたのは良かったわ」
今なら伊織も自主的に学びたがっている。
それにナレッジメカニクス側としてもその確信が得られたからこそ更に大胆に動けるというものだ。伊織に怪しまれることなく魔法技術強化に際して様々なことを試すことができるのだから。
「まあ、これからその方法を一つ一つ試しながら伊織の成長をサポートしていこうか」
「ええ、そうね。……あら?」
食堂のドアが開き、うきうきしながら入ってきたのは伊織だった。
手にノートを持っている。
「あっ、いたいた! 父さんと姉さん、これ見て!」
「なんだい?」
「ヘルベールじいちゃんと作ったキメラの記録!」
どうやら自分の成果をお披露目に来たらしい。
オルバートは差し出されたノートをゆっくりと捲る。初歩的な簡易キメラだが、これを作るために魔法で器具を動かしたと思うとなかなかの成果だ。
「キメラはじいちゃんが持ってっちゃったから、とりあえずノートを見せようと思って」
「よく出来てるじゃないか。どうだい、楽しかったかい?」
「うん! すっごいね、生き物を『作る』って発想はなかったから……なんというか、目から鱗だった」
キメラは元々居る生物を掛け合わせて作ったが、その説明の過程で伊織は『一から生き物を作る』という概念を初めて得た。それが面白いらしい。
「よかったじゃないか、気づきというものは人生で大切にすべきものだ。よし、じゃあお祝いに何か甘いものでも――」
「あっ、この後セトラス兄さんのリハビリのお手伝いすることになってるんだ。次の機会でもいい?」
「そうなのか、……」
普段ならオルバートはこういった類のことはすぐに諦める。興味を失うと言ってもいい。
しかし今回は少し残念そうな顔をすると、名残惜しげに「では今度ね」と付け加えた。
伊織は嬉しそうに手を振って食堂から出ていく。
再びコーヒーカップを手に取ったオルバートにシェミリザが言った。
「まるで親離れしつつある子供みたいだったわね」
「……ああ」
「洗脳も馴染みつつあるし、そこまで大人になったというわけでもないから支障はないけれど……ヒトは手を加えてもああして成長するから厄介だわ」
再び「ああ」と生返事したオルバートにシェミリザはじっと視線をやる。
やはりどうにも様子がおかしい。
(あなたはまるで子供離れできない親のようね、なんて)
そんな感想は口にできないなとシェミリザは唇を閉じた。
***
セトラスのリハビリといっても肉体は健康そのものである。
それでも視界の片側が闇に包まれているため、動きがどうしてもたどたどしくなる。いざという時に転ばないために訓練をしよう、というのがコンセプトだった。
シァシァがそれを見ながら指示をする。
――前述通り肉体は健康そのものである。
故に訓練はシァシァの作った小さなロボたちからの攻撃を避ける、という少々スパルタなものであった。
「セ、セトラス兄さん、大丈夫かなぁ……」
「大丈夫大丈夫、攻撃っていっても水鉄砲だからネ」
セトラスのいる大きな空間からガラスで区切られた先にある小部屋。その中に立って伊織は心配げにしていたが、シァシァは飄々としたものだった。
「今のままじゃ本部からの外出許可すら出せないレベルだ。それは君たちもわかってるよネ?」
「うん……よく何もないところで躓いてるし、それに左側ばかりよくぶつけてるから」
そのたび伊織とパトレアがフォローに入っていたが、何よりセトラス本人が不便そうなのだ。できるなら早く慣れる手伝いがしたい、とシァシァに相談した結果のリハビリもとい訓練である。
「結局僕は見てることしかできないんだよなぁ、……」
「アハハ! それだって大切な役目だ。最後まで全うするといいヨ。あとは応援してあげるとかネ」
「……! うん、もちろ――っわ、わ!」
伊織たちの見ている目の前でセトラスが人型のミニロボに追い詰められた。
伊織は慌てながら前のめりになる。ガラス越しでも声は届くようにしてあるヨ、とシァシァが背を押すと伊織は大きく叫ぶように言った。
「兄さん、頑張れ!」
「……イオリ」
「自由に動けるようになったら一緒に外に遊びに行こう!」
『兄弟』からこんな言葉などかけられたことがない。
不思議な感覚に頬が熱を持つのを感じながら、セトラスはこくこくと頷く。その陰から別のロボが躍り出て伊織は思わずそちらを指さしかけた。
しかしその前にセトラスは機敏な動きでしゃがんで水鉄砲を避け――何かを構える仕草を見せたが、手に何もないことに気がついてハッとした顔をする。
そのまま慌ててロボから逃げ回る様子を見ながら、シァシァはじっと動きを観察した。
(今のは弓か銃を構えようとしたな……やっぱり退行してても体が覚えているコトはいくつかあるのか)
上手くそれをきっかけにすることが出来れば元の精神に引っ張り戻すことができるかもしれない。何事も踏み台は大切だ。
しかし今はまだそこまで望めないようだった。
(まァ……今後この子たちと過ごすコトで新しい刺激を受けていけば、きっと機会は巡ってくるはず)
シァシァはいわばセトラスの上位互換。
セトラスの『他人の魔法を無機物に植え付ける』という技術以外は自分の方が上だと豪語できる。
しかし彼がいないといないで難度の高い仕事が回ってきやすくなるため、回復するならさっさとしてほしいのが本音である。
だが急がば回れ、今はゆっくりと回復を待つだけだ。
(ある程度動きがマシになったら弓でも持たせてみるか、……アッ)
思考の最中にセトラスが顔面からスッ転び、鼻水を垂らして涙を堪えているのが見えた。
シァシァは無言で腕組みをする。
次の段階に移るのはまだ先になりそうだな、と思いながら。
精神退行セトラス(絵:縁代まと)
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