第42話 彼らの自由
虫が騒がしく鳴く森は、夜気に包まれると湿気を帯びた匂いを漂わせていた。
焚火に枝を加えながらサルサムは周囲を警戒する。
ニルヴァーレにも一応は『自分は目立つ』という自覚があるのか、ヨルシャミに接近を気取られないよう近隣の村や街の宿泊施設を使用せず野営をすることになったのだが、野生動物はともかく魔獣にでも出られたらと思うと想像だけでサルサムは肝が冷えた。
相応の戦闘能力はあるが、魔獣は固有名詞が付くほど定型的なものから誰もが初見の名無しまで幅広い。
つまり遭遇するたび力量を見定め対応を変える必要があるのだ。
そんなことを命を危険に晒しながら行なうのは避けれるものなら避けたい。
魔石の採取に出掛ける時は「いざという時は転移魔石がある」という安心感があった。しかし今は違う。
ワイバーンを従えているくらいだ、ニルヴァーレなら強い魔獣でも難なく倒せるかもしれないが――その時に自分たちを守ってくれる保障はどこにもないのだ。
サルサムはニルヴァーレを雇い主としては信頼していたが、仲間としては信頼していなかった。
一方、バルドは近場で採ってきたらしいリンゴに似た果実を齧っている。
腹を壊しても知らないぞ、とサルサムが横目で見ていると「半分いるか?」と差し出してきた。違うそうじゃない。
そう首を横に振っているとニルヴァーレが懐から何かを取り出すのが見えた。
――魔石だ。
「……!?」
ニルヴァーレは拳大のそれを魔法で強化した指先でカンッと割り、一口サイズになったところで口に放り込む。
一部始終を見ていたサルサムはぎょっとして目を剥いた。
「なんだ? 凝視されては食事がし辛いじゃないか」
「し、食事?」
「魔力の補給ともいう。延命装置は体内にあるんでね、経口摂取が一番早いのさ。べつに胃腸で消化吸収するわけじゃあないが」
「ああ……な、なるほど」
魔石の破片を咀嚼もせずに丸呑みし終えたニルヴァーレは口元を拭く。
拭く行為に意味があるのかはサルサムにはわからないが、そのおかげで食事という表現がしっくりきた。魔石も今は素手で触れ、口にまで入れていたため洗浄した後なのかもしれない。果実のような扱いだ。
こうして魔力を補給し続けている限り老いることのない体。
それは相当貴重な技術の上に成り立っているものなのだろう。
「……」
そんな人物がなぜ今忙しくしているナレッジメカニクスに積極的に協力していないのかふと気になった。
ほぼ部外者に近いサルサムから見ても人手の足りなさは致命的なほど。
ニルヴァーレがあの地にいることでなにかを守護しているのならわかるが、それにしては簡単に離れてヨルシャミを探しに出た。
気にはなるが不用意に訊くことはできない。そうサルサムが思っていると、
「そういや……人手がここまで足りないのに何でアンタは好き勝手動けるんだ? 組織がなにやってんのかは知らねぇが、本部から手伝えって言われないのか」
バルドが簡単に訊いた。
ぽかんとしているサルサムの前で、焚火に照らされたニルヴァーレは特に気を悪くした様子もなく答える。
「そういう契約でナレッジメカニクスに入ったからだ。僕は僕の自由に生きる。僕ほどの実力者が積極的に手を貸さずとも、邪魔をしてこないってだけで組織には有益だからね」
「へえ……」
サルサムは納得するバルドを「なんてこと訊いてるんだ」と諫めたかったが、その前にニルヴァーレが口を開いた。
胡坐をかいた己の足に肘を置き、片手で頬杖をついて問い掛ける。
「そういうお前たちはどうなんだ?」
雇われたのは本望なのか、そうでないのか。
自由なのか、自由でないのか。
そうニルヴァーレは問い掛けているのだ。きょとんとしたサルサムはややあって頬を掻いた。
「まあ……自由にやらせてもらってますよ」
本心だ。
不便なことは多いが概ね満足しているし、家族に金さえ渡ればそれでいい。
街に遊びに出る趣味もないので、今は急に仕事が入ることで休みが飛んだ嘆きはあれど、人生が嫌になるほどの不満はなかった。
しかしニルヴァーレは目を細めて言う。
「そうか? それは本当に自由か? 僕がお前たちを使っているのは……君は主体性の無さ、そっちは――自由に見えてそれ以前の問題があるように思えるからだ。とても御しやすいんだよ」
「あー、なるほど。俺、昔の記憶ねぇからな」
「初耳だぞ!?」
さらりとバルドが言ってのけた言葉にサルサムが更にぎょっとした。
さっきから驚いてばかりだ。
サルサムはバルドと組んで数年になるが、過去の記憶がないなどという話は今初めて聞いたのである。驚かないはずがない。
なにか理由があって黙っていたなら致し方ないが、こんなにもライトに言うということは理由という理由はないのかもしれなかった。
そう思わせるほどバルドはからからと笑う。
「まぁそういう意味じゃ自由っちゃ自由だが、逆にどうしようもねぇ首輪が嵌ってんのに自分じゃ気づけてないだけ、ってこともあるかもな。だからそれ以前の問題って言ってるんだろ?」
「ははは! そうだよ。記憶喪失とは僕も知らなかったが、君には自由だと思うための足場がないように感じられたんだ。……では再度問おう」
君たちは本当に自由か?
再び発されたニルヴァーレの問いに、サルサムとバルドは押し黙る。
自由とはいったい何なのか、そこから考えなくてはならない気がしたからだ。
サルサムはほとんど家族のことばかりで自分のことは二の次。
これは自由と言えるのか?
バルドは歩んできた道がなく過去に何があったかわからない。
これは自由と言えるのか?
すぐには答えられないふたりを見て、ニルヴァーレはにっこりと笑って言った。
そうして答えられなくなってしまうところを気に入っているんだよ、と。
***
「カザトユアでマッシヴ様一行を探してる人がいた?」
ヨルシャミが目覚めてから四日目の夜のこと。
携帯食料の調達から戻った静夏からそんな話を聞いた伊織は目を瞬かせた。
「ああ。カザトユアからやってきた旅人がいてな。彼が私を見つけて雑談をしていた際に聞いた」
「探してる人っていうのは一体……」
「それが……詳しいことを聞く前に、旅人に急ぎの用があって別れてしまったんだ」
本当に雑談の一部として軽く話していたらしく、どんな人物が、もしくは何人の人間が探していたのかという情報を会話中に得ることができなかったという。
伊織はもう一度その旅人を探して訊ねてみるか迷ったが、どのみち明日の朝には出発する予定だ。ヨルシャミの体調もだいぶ良くなった。
今から出発の準備をするため、結局どう急ごうが村を離れるのは明日になる。
その人物がヨルシャミの言うニルヴァーレなのかどうか。
伊織はそのことを考えると否が応でもそわそわした気分になったが、静夏と話し合い、今は準備に専念しようということになった。
しかし、この翌々日に伊織たちはニルヴァーレと遭遇することになる。
それはカザトユアとは正反対――即ち、伊織たちがこれから向かう方角でのことだった。





