第435話 影の正体
バルドがアイマンに求めたのは「今まで水場で黒い影を見た者がいたかどうか」と「水かさの変異はそこまで顕著だったか否か」の情報、そして水場の調査に適していそうな人材の派遣だった。
水属性の魔法を使える者はいないため、単純に水場についての知識の有無と泳げるかどうか等が基準となっている。
魔獣の仕業でなければいいが、こういった不可解な現象には付き物である。警戒しておいて損はない。
(それに……ここまで水が枯れたのはまだ最近のことみたいだしな。魔獣は突然湧くし、侵攻が待機型なら隠れてて今まで見つけられてなかった、って感じでもおかしくはない)
魔獣はどんな場所であっても『居る』とわかったなら倒す。
静夏ならそうするだろう。そう考えてバルドは残り少ないナイフを研いだ。
アイマンによれば黒い影の目撃証言はゼロ。
ただしそれは例の水場に限った話で、しばらく前に一度だけ似たものを見たという男性が現れた。
なんでも夜中に井戸へ水を汲みに行ったら中で何か黒いものが動いたらしく、しかしすぐに見えなくなったため波紋が月明かりでそう見えたのだろうと今まで思っていたのだという。
それに加えて干上がった井戸に何もいなかったことが大きい。
水かさの変異はあの水場では多少はあったものの、そこまで大きな変化ではなかったそうだ。恐らくバルドが見たのか一番初めの変異だったのだろう。
当日中に数名の男性と共に再度水場へ向かったものの、減った水かさはそのままだが黒い影は無し。
そうこうしている間に日が暮れ、夜間は危険ということで集落へと戻った。
翌日は暑くなる前の朝早くに向かい、アイマンの許可を貰って潜ってみることにしたが――水の透明度が高くないため成果はなかった。
ただし。
「……やっぱり昨日より減ってるな」
水から上がったバルドは服に袖を通しながら水面を見る。
明らかに昨日よりも水の量が減っていた。集落に撤退する前に付けておいた目印を確認しても同様だ。
アイマン曰くここは湧き水により出来た水場らしく、その湧き出るポイントが自然的な理由で塞がった可能性はある。しかしそれを確認しようにも視野が悪い。
ステラリカにも指導を中断して協力してもらうべきか。
そう考えていると――再び水面に黒い影が浮上しているのを見つけてぎょっとした。
「な、なんで今出てきた?」
南ドライアドの男性たちと身構えるも、黒い影は何もしてこない。
しかし完全に静止しているわけではなく、周囲に波紋が広がっていた。
「……」
「もしかして……呼吸しに上がってきた、のか?」
最初に目にした時も何の意味があって浮上してきたのか謎だったが、元からあれは定期的に水面へと上がってきていたのかもしれない。
バルドは男性たちを下がらせつつナイフを握る。
そしてそれを黒い影に向かって思いきり投げた。
『――ギ!』
短い鳴き声のようなもの。そんな声を発して黒い影が跳ねる。
それは――
「お、おたまじゃくし!?」
――人間より大きな、カエルの幼体だった。
ナイフは刺さらず弾き飛ばされ、黒い影――もとい人間より大きなオタマジャクシは再び水中に消えていった。
同行した男性たちに訊いても住民でさえあんなものは初めて見たという。
アイマンにも報告したものの、何か引っかかるのかしばし首を傾げていたが「やはり魔獣でしょうか?」と不安げにしていた。
その後も観察していたが息継ぎは一日に一回程度らしく、武器も弾かれることから即時対応は難しいとして一旦退いて対策を練ることとなった。
その日の夜、バルドから直接そのオタマジャクシについて聞いたステラリカは「砂漠にカエルなんているんですね……」とそこに感心していた。
「魔獣かもしれないけどな。でも元から砂漠に生息してるカエルもいるみたいだぞ」
さすがにあんなに大きくはないけど、とバルドは遠目に見ても巨大だったオタマジャクシを思い返す。
「とりあえずあいつをどうするかだよな、干ばつの原因とは言い切れないが現時点で怪しいのはあれしかない。ただ……」
「狙えるチャンスが短い上に武器の攻撃が通らない、ですか」
「ああ。さすがに水場の水がすべて無くなれば狙えるかもしれないが、それは手遅れが過ぎる。水に毒を混ぜるのも駄目だ。ステラリカの土魔法はどうだ?」
ステラリカは自分の口元に指を当てつつ考える。
「泥になってもある程度は操れますが、水中での攻撃に使うとなると難しいですね……固めた土を投擲する方法もありますがナイフを弾く強度だと効くか怪しいです。……あの、強化魔法を目いっぱいかければ少しの間なら水の上を走れると思うんですけど、直接捕獲に行ってみましょうか?」
いや、とバルドは首を横に振った。
「もし暴れられて水中に落ちたら不利どころじゃない。機動力が削げる水中、しかも視界がほぼゼロだからな」
バルドが深追いしなかったのもこれが理由だ。
不死性のあるバルドなら溺れようが何をされようが一戦交えること自体はできるが、恐らく決定打に欠ける。そんな状況で無策のまま突っ込んで時間を消費するのは無駄だと判断したのだ。
「まあ詳しい方向性を決めるのは後日アイマンたちとの会議で、だな。……そっちはどうだったんだ?」
バルドに訓練について問われたステラリカは笑みを浮かべる。
「皆さんとても覚えが早いですよ。アイマンさんだって話していたような駄目さはありませんでした。絶対に伸びます」
「あはは、頼もしいな。先生に向いてるんじゃないか?」
「先生? ……ふふ、もしそうだとしても出来の良い生徒あっての先生ですよ」
そう言いつつも嬉しかったのか、ステラリカは耳をぱたぱたと動かした。
――その後、バルドたちは調査と話し合いを、ステラリカは訓練を続けて二日経った。
オタマジャクシは攻撃などは行なわず、水場の中央付近に陣取っては時折呼吸に浮上している。水かさは徐々に減っており、やはりあのオタマジャクシが原因であろうことは明白だ。
しかし魔獣ではないかもしれない。
そんな説が濃厚になったのは、水場のオタマジャクシを直接見に赴いたアイマンが呟いた言葉がきっかけだった。
「もしかしたら、という憶測の話をしてもよいでしょうか」
「……? ああ、もちろんだよ」
何でも聞かせてくれ、とバルドが先を促すとアイマンは古い記憶を漁るような表情で言う。
「……幼体のままあそこまで大きくなるとは聞いていませんし、そもそも我々南ドライアドの間ですら目撃証言がほぼない伝説のような生き物なのですが……サバクミズハミガエルかもしれません」
「サバク……ミズハミガエル?」
アイマンは頷いた。
「数千年に一度現れて周囲の水を飲み干し、しかし成体になると恵みの雨をもたらすとされるものです」





