第426話 死にゆく愛するもののため 【★】
――それが予知なのか夢なのかよくわからなくなることがある。
大抵は目を閉じようと思っても閉じられないので、シェミリザは黙って無表情のままやり過ごすことにしていた。
予知であれ夢であれいつかは終わる。
そう数え切れないほど経験してわかっているからこそ冷静でいられた。
初めの頃はそれはもう酷かったのだ。何十何百何千回と絶望した。
なぜわたしの愛したものがこんな目に遭わなくてはならないの、と。
いくら自分が優秀な魔導師でも回避できないことがある。
その最たる例を何度も見せられ疲弊し、予知の魔法を御するすべを得てからも苦しみは続いた。
見ないでいることも可能だが、その間に不安は降り積もり、そこに「もしかしたら未来が変わっているかもしれない」という淡い期待が混じるともうだめだった。
自ら予知をしては変わらぬ未来に絶望し、それを幾度となく繰り返しながら生きてきたのだ。
そんなある日、シェミリザは転生者や転移者が関わると未来が変わる可能性があると知る。
微々たる変化のためシェミリザの愛するものの運命を変えることは難しいかもしれないが、試す価値はあると行動を起こしたのが数千年前。
最初に協力を得た転移者は人間だったため、すぐに死んでしまった。
寿命としてはこの世界の普通の人間よりはやや長かったが、長命種から見ればあっという間だ。
転移者は必ず人間であり、それは元の世界に人間以外の種がいないということを指していた。そしてその後多く現れるようになった転生者もなぜか人間ばかり。
転生者は人間ではあるものの神の遺伝子を混ぜ込んである影響か、これも通常よりは長生きする傾向にある。もちろん使命のために危険も冒すため老衰以外で死ぬことは多かったが。
この遺伝子が人間以外の肉体を作るのに適していないのかもしれない。たしかに何でも作れるなら初めから魔獣を殺すのに特化した生き物なり何なり作り出しているだろう。
そうして新たな絶望感を味わっていた頃のことだ。
シェミリザは自分の目標にとても適した人間を見つけたのである。
「……」
絶望の塊のような映像が薄らいだのは、希望を見つけた時のことを思い出したからか。
しかしその希望も今やほとんど絶えている。
故にシェミリザの目標も変わっていた。
死にゆく愛するもののために自分が出来る最大限のこと。そのために生きている。
(今日のあれは普通の夢だったみたいね、……たまには未来の確認をしてもいいけれど……)
絶えかけた希望に縋るのは新たな絶望を生むとシェミリザは知っていた。
もうこのまま見ない方がいいのかもしれない。昔はできなかったけれど、今ならできるでしょうと自分に言い聞かせていると――真横で気配がした。
一対の金色の瞳が間近でこちらを見ている。
「ッきゃ……!?」
完全に素だった。
小さな悲鳴を上げたシェミリザは解いた黒髪を揺らしてベッドの上から上半身を起こしたが――その過程で目の正体がしゃがんだ伊織だと気がついてクールダウンする。
両耳を下げたシェミリザは小さく息をついた。
「びっくりしたわ……一体どうしたの? 何か用事?」
「うん、姉さんが起きてこないから呼んできてって父さんが」
「起きてこない? ……ああ」
時計の時刻は朝食の時間を過ぎている。
普段はそう守られる時間ではないが、伊織が来てからは違うのだ。それを失念していた。
伊織は心配げな顔をする。
「それで起こそうと思ったんだけれど、姉さん凄くうなされてたからどうしようって迷ってたんだ」
悪夢を見ている時の自分の様子を聞かされたのはシェミリザにとって久しぶりのことだった。
そうか、未だに見ている最中はうなされているのか、といらぬ発見をしてしまう。
「そう……心配かけてしまったわね。大丈夫よ、ちょっと怖い夢を見ていたの」
けれど夢は夢でしかないわ、とシェミリザは伊織に微笑んだ。
――本当はただの夢ではない。これからきたる未来を見た夢だ。
しかしそれは伏せ、シェミリザは悪夢による寝汗を拭く。そこへ伊織の手が伸びてよしよしと頭を撫でた。
「夢でも怖かったんでしょ? 大丈夫、ここに怖いものは何もないから」
「……あら、ありがとう。それにしても……」
シェミリザは口元を手で覆って笑った。
「あなたに撫でられると凄く擽ったいのね?」
***
その日の勉強はシァシァ担当で、副担当としてシェミリザも立ち会っていた。
ある程度の魔法の衝撃に耐えられるよう加工を施した部屋で、今日はここで今の伊織の実力を見ようと考えたのだ。
意気込む伊織にシァシァが「その前に」と折り畳んだ白いものを差し出す。
「コレ、伊織君用ネ」
「……? なにこれ?」
「白衣だヨ。そう厳密に決まってることじゃないケド、ココでは制服代わりになってるんだ。わりと機能的にも悪くないからオススメで――」
「ぼ、僕の分の白衣!? 本当に!? ヤッター! よし着てみたよ見て見て!」
「はッやい!」
受け取るや否や白衣を羽織った伊織はくるりと回ってシァシァに白衣姿を見せた。
丈は少し長いがオルバートと違ってこれから成長することを考えれば直すことはないだろう。
シァシァが「似合ってる似合ってる」と頷くと伊織は飛び跳ねて喜んだ。じつに子供らしい。
「さァて、今日は風の魔法で攻撃に適したものを教えようか。伊織君が風で攻撃すると聞いて浮かぶカタチはあるかい? それに近いものを選べばイメージを反映しやすいからネ」
「風で出来た鎌!」
「即答だなァ……!」
風の鎌といえばニルヴァーレも得意としていたものだ。
同じ風属性同士、発想が似通うのかもしれないなとシァシァは考えながらそれに近い魔法を探す。
風の鎌そのものは魔法の応用が可能な者なら使えるが、伊織はまだその元となっている魔法すら使えないはずなので、まずは風の凝縮とそれを使い対象を切りつけることから始めよう。
そう決めたところでシァシァはハッと顔を上げた。
「――っよ!」
そして軽くジャンプするなり何かを手刀で切るような動きをし、片目を開けて周囲を警戒しながらシェミリザに小声で言う。
「認識阻害の魔法をかけて」
「もう使ったわ。……逆探知かしら、何かを辿られたわね」
シェミリザは窓もないのにどこか遠くを見る。
伊織はいくつかの契約の証を持っていた。それらは現在シェミリザが封印しており、契約から辿ることは難しくなっている。
それでもか細く続く契約の繋がりと、そして何か別のしっかりとした繋がりを辿られたのだ。
「十中八九ヨルシャミでしょうけれど……嫌ね、折角こんな辺鄙な場所に隠れたのに早速見つけられたら」
「完遂する前に切ったから大丈夫だと思うけどネ。一応後でオルバに報告しとこうか、どの道最終的な判断を下すのは彼だ」
僅かに痺れた手を振りながらシァシァは短く息を吐いた。
「とりあえずこの子に限定した逆探知妨害用の装置を作るヨ、四六時中使ってるのはシンドイでしょ、それ」
「ふふ、ラタナアラートではずっと使わされていたから慣れっこ……だけれど、イオリのお勉強に集中したいからお願いしようかしら」
そこへ伊織の声が届く。
「どうしたの、何か居た?」
「あァ、気にしなくていいヨ! ただの虫、だ……から……」
シァシァは折角作った笑みをゆっくりと削ぎ落す。
伊織の背後には一対の大きな風の鎌ができていた。
数は違うが、ふと少年だったニルヴァーレが作り出した風の鎌を思い出す。
ニルヴァーレは覚えていないようだが、あれをスカウトしたのはシァシァだ。その時目にした風の鎌とそっくりだった。
即席のイメージでここまで似るものだろうか。
「安定させるのめちゃくちゃ難しいなぁこれ……でも他の魔法より凄く使いやすい気がする」
「……伊織君、前にそういう魔法を見たコトがあるのかい?」
「? ……うん、どこかで……あー……どこだっけ……」
伊織は眉根を寄せて考え、そして手を叩く。
「聖女一行じゃないかな、あの……なんて名前だっけ、強い魔導師がいたでしょ」
「ヨルシャミ?」
「ヨ……ル、シャミ、そうそれ!」
なるほど、とシァシァは考える。ヨルシャミはニルヴァーレの弟弟子であり幼馴染だ。そして彼自身も魔法を見ただけで真似るのが上手い。
旅の最中のどこかで過去にニルヴァーレから見て学んだ風の鎌を使ったことがあったのだろう。
その記憶だけ洗脳後もうっすらと残っていたのかもしれない。伊織の仲間の記憶は一人一人塗り替えたり封じたりと様々な処理がされているが、ヨルシャミは伊織に魔法の手ほどきをしていたようなので、体が覚えていてもおかしくはないだろう。
そう考えシァシァはにっこりと笑って手を叩く。
「凄い凄い! 伊織君ってまだ14歳でしょ、凄い才能だ!」
そうラキノヴァで10歳だったニルヴァーレを褒めた時のように言うと――ニルヴァーレはまったく感情を動かされた様子はなかったが、伊織は満面の笑みを返して嬉しそうに拳を握った。
半袖シァシァ(絵:縁代まと)
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