第421話 南ドライアド 【★】
初めにそれに気がついたのはバルドだった。
砂漠の砂の上に動物のフンが転がっていたのである。
「これは……ラクダのだ」
「野生のですか?」
「専門知識があるわけじゃないから明言はできないが、栄養状態は良く見えるな……」
飼育下のラクダかもしれない、とバルドは周囲を見回した。
目指している集落までまだ距離があるはずだが、人の通りがあるなら早めに確認しておきたい。
すると離れたところで大きな砂の波が立ったのが見えた。ほんの少し遅れて大きな音が耳に届く。
「……な、なんだあれ?」
「予想外のものが見つかっ……あっ! あれ、魔獣でしょうか!?」
砂煙の中から黄色いイルカのような生き物が飛び出した。
――そんな魔獣に追われている子供を見つけ、バルドとステラリカは状況を理解するよりも先に同時に走り出す。
黄色いイルカ型の魔獣は砂に潜ったり、跳ねて外へ出たりを繰り返している。
大きさは実際のイルカより小さく大体大人用の自転車ほどだ。
牙などは持っていないようだが、相手が子供では突進されただけでも即死しかねない。
ステラリカは子供と魔獣の間に割って入ると残り少ない魔力で固い土の壁を作り出した。ラビリンスで作り出した際は地面に接着するようにして固定したが、今回は砂地のため魔獣が激突するなり大きく傾く。
しかしその土壁が倒れた先にステラリカと子供の姿はすでに無く、魔獣は土壁の上に乗り上げる形で止まった。
再び砂の中へ戻る前にバルドが背骨目掛けてナイフを振り下ろす。
「ぅおっと!」
魔獣は背骨を激しく損傷したが、下半身は麻痺することなく尾を激しくばたつかせた。
バルドは一度は弾かれつつも尾の根元を脇に挟む形で捕える。
「――ッステラリカ!」
名前を呼ぶなり子供を安全な場所に逃がしたステラリカが砂を蹴って駆け寄った。そのスピードの速さは足にかかった強化魔法によるもの。
ステラリカは土壁に足をかけて跳ぶなり両足の強化魔法を解き、代わりに右手に集中させた。
「逃がしま……せんッ!」
周囲の砂粒すべてを振動させるような轟音が響き渡る。
繰り出された拳は魔獣の頭部にめり込み、固さと柔らかさの両方を右腕に伝えた。ステラリカは大層嫌そうな顔をしながら手を引き抜く。
「……いや、改めて見ると凄いな。まるで静夏だ」
「マッシヴ様ならクレーターくらい作ると思いますよ」
さすがにそれは、と言いかけたバルドだったが「あるかも……」とすぐに思い直した。
ステラリカは砂ぼこりを払い、岩陰に隠れた子供のもとへ走り寄る。
魔獣に追われていた子供は焦げ茶色の髪と黄土色の目をした少年で、頭に枯れ葉が何枚か付いて――いると思ったが、よく見ればそれは髪と直接繋がっているようだった。
遅れて駆け寄ったバルドは何度かそれを見て安堵の溜息をつく。
「――南ドライアドだ」
「この子が?」
探していた集落に住む種族だ。しかしその集落はあるとすればまだ先である。
バルドは少年と目線を合わせるようにしゃがむと声をかけた。
「大丈夫か、怪我は? なんでこんなところに?」
「……っな、ない。水を汲みに来たら魔獣に襲われて……し、死ぬかと思った」
安心からようやく脱力した少年は涙目になりながらそう答える。
なんでも集落の井戸がほとんど枯れてしまい、徒歩なら片道一時間かかる道を辿って水場まで汲みに行かなくてはならないのだという。途中までは植物もある程度生えているが、残りは見ての通りの砂漠だ。
そんな砂に囲まれた不便な水場しか集落には残されていないらしい。
「風の魔法で移動の補助はできるけど、さすがに魔獣相手じゃどうにもなんなくて……あっ! 肝心の水を置いてきちゃった!」
「よし、俺たちも運ぶのを手伝ってやる。代わりに集落まで案内してくれないか? 仲間とはぐれちゃってさ」
少年はバルドの問いに快諾すると、二人を先導し水場に戻ってから南ドライアドの集落に案内してくれた。
ステラリカも土魔法で簡易的な入れ物を作って水を運ぶ。
多少漏れ出るが固さにこだわったため土が混ざることはないだろう。こういう使い方をするのは久しぶりだ。
こうして日常の続きを始めて少年も落ち着いてきたのか、ここで初めて自己紹介した。
「オレはシャウキー。おじさんとお姉さんは?」
「俺は……」
バルドは言葉に詰まる。
バルドと答えるべきか織人と答えるべきか迷っているのだ、とこの場で察することができたのはステラリカだけだった。
(いつかは自分で決めなきゃならないんだろうけれど……)
ステラリカは助け舟を出すことに決めた。
「私はステラリカ、こっちはバルドさんよ」
「あ、お、おお、バルドだ。宜しく」
「ステラリカにバルド……改めてありがとう、集落に着いたらオレん家に泊まっていきなよ、ボロだけどそれなりに快適だからさ」
外よりは、と言ってシャウキーは笑った。
――そうして一時間ほど歩いたところで白く四角い屋根がいくつか群れるようにして見えてきた。
出入り口で番をしていた男性にシャウキーが事の顛末を話し、ぎょっとした男性が頭を下げて誰かを呼びに行く。
何か許可が必要なのかもしれない。
そう待っているとステラリカが小声でバルドに訊ねた。
「南ドライアドの集落、ちゃんとありましたね」
「……ああ、本当によかった」
「バルドさんのおかげですよ。色々あって混乱してるかもしれませんが……これはバルドさんが記憶を思い出してくれたからこそです」
しかし元をただせばこんな遠くまで飛ばされたのは自分のせいではないか。そうバルドは考えていた。
あのエルフノワールの少女がなぜ、どんな理由で自分を遠ざけようとしたのかはわからないが、ステラリカは完全に巻き込まれた形になる。
彼女は前向きな気持ちで言っているようだが、バルドは自分には相応しくない言葉だと目を逸らした。
そう返答に困っていると複数の足音が聞こえ、シャウキーを伴った大人たちが戻ってきた。
先頭にいた頭に丸いサボテンを生やした老人が深々と頭を下げる。
「魔獣から助けて頂いたそうでありがとうございます……! 私はこの集落の長のアイマンと申し……ま……」
顔を上げた老人、アイマンはここでようやくしっかりとバルドたちの顔を見たのか目を見開いた。
視力が悪いのか数歩近づいて顔を再確認し、そして驚いたように声を出す。
「――オ、オリト様……!?」
バルドは目を細める。
完全ではないにせよ、記憶を取り戻してから初めて織人と呼ばれた。
そして片手を軽く上げて答える。
「久しぶり、アイマン。覚えててくれて嬉しいよ」
短髪バルド(絵:縁代まと)
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