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【本編完結】マッシヴ様のいうとおり  作者: 縁代まと
第十章

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第417話 伊織の目覚め 【☆】

 ――懐かしい匂いがする。


 自然の香りでも生き物の香りでもない。

 ぼうっとした意識の中、伊織はその既視感を探ろうとして唐突に思い当たった。


(……これ、機械を通した風の匂いだ)


 それも掃除機などの排気ではなく、新品のパソコンの冷却ファンから吹き上げる風の匂いのようなものだ。

 酷く久しぶりに嗅いだ気がする。

 その感覚すら夢の中のような気がしたが、起きているという確信がほしくなった伊織は上半身を起こした。

 難なく起き上がれたことを確認し、柔らかなベッドに寝ていたことも確認する。

 腕に違和感があり目をやると、何らかの薄いデバイスがフィルムで貼り付けられていた。


「何だろこれ」

「それはあなたのバイタルデータを取るためのものよ、イオリ」


 ベッドサイドから突然声をかけられて伊織はぎょっとして跳び上がったが、声の主を見るとほっとした顔をした。

 イスに座ってこちらを見ていたのは黒髪に褐色肌のエルフノワール――シェミリザだ。


「びっくりした! いつからそこにいたの?」

「ずっと居たわよ、起きた時に一人じゃ困ると思って」

「え、そうだったんだ……ごめん、なんかまだぼーっとしてて気づかなかった……っていうかなんで僕はここに?」


 伊織の問いにシェミリザはくすくすと笑いながら着替えを用意する。

「そうね、調査に行った先で聖女一行と出くわして気絶させられてしまった……ってところかしら」

「聖女一行……」

「それよりお腹が空いてるでしょう? デバイスを剥がして着替えたら何か食べましょう」

 シェミリザの言葉に頷いたと同時に腹が鳴り、伊織は真っ赤になっていそいそとデバイスを剥がすと用意された着替えに袖を通した。

 シンプルなグレーのシャツと黒いズボンだ。なんとなく調査に出向いた時は別の格好だった気がする。


「ねえ、元の服は?」

「あなたの部屋に置いてあるわ」

「わかった、後で見てみる」

「……やっぱりその辺りは覚えてるのね」


 小さな声で呟かれ、聞き取れなかった伊織は不思議そうに振り返る。

 しかしシェミリザが笑みを返すと聞き間違いだったのかなと笑い返した。


「さあ行きましょう、皆も食堂よ」

「へー、なんか珍しいね、そこに皆がいるのって」

「あなたの快気祝いだと思ってちょうだい」

 快気祝いと聞いて伊織は喜んで食堂に向かう。シェミリザは微笑んでついて行きながら彼をじっと見た。


(――記憶の根底に大規模な改変を加えたから些細なことは敢えてそのままにしたけれど……何を覚えているか後で書き出しておいた方が良さそうね)


 洗脳に含まれる記憶の改竄はシェミリザが事前に改竄先を指定し、それを魔法にのせて魂の傷跡から注ぎ込む形で行なわれる。

 シェミリザ本人が記憶を覗いて弄り回すわけではないため、どうしても把握しきれないことが出てくるのだ。

 大規模な改変はまず伊織自身が聖女一行だった記憶の隠蔽、及び聖女一行メンバーとの関係の上書きである。


 静夏が母親なのはそのままに『生前は尽くしてきたが母のせいで自分は死亡し転生、その先でナレッジメカニクスに拾われた』というものに、他のメンバーは確認できている五名とウサウミウシ、ラタナアラートで出会ったナスカテスラとステラリカを対象に『任務のたびに邪魔をしてくる奴ら』であり『親しくはない』という情報を上書きした。

 その他の友好関係は悪感情を植え付けるべき対象か判断できないため、ひとまずその場その場で伊織が納得できる関係や感情に誘導するよう指定してある。

 これだけ規模が大きいとその分負担も大きいため、敢えて他は触らずそのままにしたのだ。


(まあ……もし厄介なものがあればその時に修正を試みてみましょう)


 洗脳も万能ではない。しかし手間暇かければそれなりのものになる。

 そう考えていると食堂に着き、幹部メンバーとオルバート、そして調理担当に引っ張られてきたパトレアが伊織を出迎えた。

 セトラスだけは治療は済んだものの現在も昏睡状態であり、この場にはいない。


「みんなおはよう! 心配かけてごめん!」

「あ……ああ、おはよう」

「おはよう、伊織」


 ヘルベールはぎこちなく返し、オルバートは片手を上げて返す。

 ――ナレッジメカニクスのメンバーに関しての記憶も植え付けておいた。今の伊織は全員を仲間と感じており、親しみを持っているだろう。

 ここに集まったのもその試運転と様子見といったところだ。

 笑みを浮かべて駆け寄った伊織は当たり前のようにオルバートの隣の席に座った。

「……! イオリ、そこは」

 普段はシェミリザが座る席である。

 それを諫めかけたヘルベールをシェミリザが「いいのよ」と止めた。

「わたし、席にはこだわってないわ」

 ヘルベールは何か言いたげだったが、それを飲み込むと代わりに小声で訊ねた。


「……あれとは一度直接会っているが、どうにも……今は幼すぎないか」

「ふふ、ええそうね、少し子供らしく振る舞えるよう調整しておいたの。子供の精神の方が色々と刷り込みやすいのよ」

「酷なことを」


 思わず出たヘルベールの本音にシェミリザはスプーンを用意しながら笑う。

「ヘルベール、それはあなたが子煩悩だからこそのセリフでしょうけれど、子供以外ならあなたも『酷なこと』を山ほどしてきてるでしょう?」

「……わかっている。今更だった」

 ヘルベールがそう押し黙ったところで伊織が「シチューだ!」と目を輝かせた。

 シチュー鍋を運んできたパトレアはそれを各人の皿に注いでいく。


「パトレア特製のニンジンシチューであります、熱いのでお気をつけください」

「ありがとう! ……ええ、っと、なんか元気ない?」


 伊織に首を傾げられたパトレアはハッとして馬耳をぷるぷると振った。


「わ、私の上司が、その」

「セトラスさん?」

「……はい、セトラス博士がお怪我をされまして、それが心配なのです」


 怪我、と伊織は口を半開きにし、しばしなにかを考え込んでいたかと思えば腕を伸ばしてしょげるパトレアをよしよしと撫でる。

 パトレアは今度はくすぐったそうに馬耳を揺らした。


「僕も心配だから今度お見舞いに行こう! 一緒に!」

「……! はい、行きましょう!」


 そのためにも腹ごしらえしなきゃですね、とパトレアはいそいそとシチューを注いでいった。

 シチューと呼ぶにはあまりにもオレンジ色をしていたが、香りは良い。

 全員にそれが行き渡り、手を合わせた伊織はふーふーと吹いて冷ましてから美味しそうに口に運んだ。


「……? シァシァは? 食べないの?」


 考え事をしていたらしいシァシァはスプーンすら手に持っていなかった。

 不思議そうな顔をする伊織にシァシァは「アー……えっと」と声を漏らす。いつものすぐに取り繕える陽気さがない。

 シァシァもセトラスが心配なのだろうか。でもなんか違う気がする、と考えていた伊織はひらめきを得た顔をする。


「あ! もしかしてニンジン嫌い?」

「そっ、そうだったのでありますかシァシァ博士!?」

「ンンッ!? いやいやキライじゃないヨ! ちょっと実験で失敗しちゃってネ~、でも落ち込んでても仕方ないから切り替えてこう!」


 いただきます! とシァシァも食べ始めたのを見て伊織とパトレアはホッとしたようだった。



 そうして食事は終わりを迎え、伊織は食べ終わった皿を集めて回る。

 途中、オルバートの顔を見た伊織は美味しかったねと声をかけるべく名前を呼ぼうとし――


「?」


 ――なんとなく、呼び捨てにするのが嫌で言葉が喉に詰まった。

 首を傾げているとオルバートの方から声がかかる。


「久しぶりにお腹いっぱい食べたよ。伊織はどうだった?」

「えっと、美味しかったしパンも食べたからお腹いっぱいかな!」

「それはよかった。この後は部屋へお帰り。明日は実験の勉強でもしようか」


 勉強、と伊織は目を見開く。

「……教えてくれるの?」

「ああ、僕や他の皆がね」

「! やる! 僕頑張るから見ててよ!」

 凄い食いつきだね、とやや驚いた様子のオルバートから食器を回収し、伊織は急いで食器を洗うと自室へと走っていった。


     ***


 伊織がいなくなった食堂で腕を組んでいたシァシァはシェミリザを横目で見る。


「――随分と弄ったようだケド、聖女たちのコトは忘れてるの?」

「いいえ、覚えているけれど上書きしたわ」


 そこへ自身もラボへ戻る途中だったオルバートが言葉を継いだ。

「聖女を、母を憎むよう仕向けてある。聖女は強靭でちょっとやそっとじゃ揺らがないだろうが、これなら揺らいだ聖女の純粋なデータが取りやすいだろう?」

「……憎むように」

 シァシァは口を引き結んで二人を見下ろす。


 それは子供に洗脳を使い、親を憎むよう仕向けたということか。


 ――シァシァは人間が嫌いである。

 別にいくら死のうがこれといって心は痛まない。


 しかし人間であれ子供や素直で純粋な者に対しては情がある。

 それはかつて子を持っていた者としての情であり、本当なら人間など恨みたくなかった本音からの情だ。愚かだと切り捨てる前に人間に対して持っていたのは、たしかに愛情だった。

 特に伊織は精神的にも肉体的にも年若い子供として気にかけていたのである。


 そんな『子供』がかつて我が子を追い詰めた『洗脳』で親を憎む気持ちを植え付けられている。

 それは心に爪を立てられるような容赦ない不快感があった。


「あら、シァシァもヘルベールみたいにこれが嫌なの? 子供もいないのに?」


 シェミリザ、それどころかナレッジメカニクスにもシァシァは己の過去を話してはいない。

 茶化され思わず母国語で反論しそうになったが、それを堪えてシァシァはからからと笑った。

「子は国の財産だからもうチョット大切にしなよ~って思っただけ! まァ上書きについてはわかったヨ、スッキリした。あとはー……明日からお勉強するならメカニック関連はワタシが受け持とうか?」

「それは助かるな、セトラスがあんな調子だからね。宜しく頼むよ」

「了解、じゃァ準備だけしてくるネ!」

 そう片腕を上げてシァシァは足取り軽く廊下へと出て歩みを進め、角を曲がるなり笑みを拭い捨てる。

 吐いた息は随分と熱かった。


「……どいつもこいつも、馬鹿しかいないのか」


 収めきれなかった感情に任せてそう零し、しかしすぐに溜息をつく。

 シァシァ本人もわかってはいるのだ。その馬鹿には自分も含まれるのだ、と。


     ***


 自室に戻った伊織は部屋に入るなり「初めて見る部屋だ」という気分になり頭を振った。


 まだ気絶させられた影響が残っているのかもしれない。さっさと休もう。

 そう備え付けの洗面所で歯を磨きながら考える。


(僕を気絶させたのって誰かな、……やっぱり母さん……聖女か)


 前世で散々苦労をかけられ、そして最後は彼女のせいで自分は死んだ。病院からの呼び出しなんてなければこんなことにはならなかったのだ。

 眉根を寄せていた伊織は「でも」と前を向く。


(おかげでみんなに会えたんだもんな。悪いことばかりじゃないか)


 そんな『みんな』に含まれるセトラスは大分加減が悪いようだ。

 パトレアも元気付けたいし、明日は千羽鶴でも折ろうか。三十羽くらいで打ち止めになりそうだけど。そう考えながら伊織はベッドに向かいかけ――部屋に元の服が置いてある、と言われたのを思い出した。

 見れば机の上に畳んで置かれている。


「そうそう、これこれ! これを着てたんだよな」


 得心がいってすっきりしながら伊織は服を手に持つ。確認してもらうためか洗わずそのままだった。

 洗うのは明日でもいい。そう触れているとズボンのポケットに何か入っているのに気がつく。


「……? なんだこれ?」


 固いものだ。

 恐る恐る手を突っ込んで引き出してみると――それは、青色と薄緑色の混ざった美しい石の破片だった。







挿絵(By みてみん)

芳丸さん(@yoshimaru2327)が描いてくださったシァシァです。

ありがとうございます!!(掲載許可有)


※イラストがリンクのみの場合は左上の「表示調整」から挿絵を表示するにチェックを入れると見えるようになります(みてみんメンテ時を除く)

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