第416話 僕の名前は。
翌朝。
静夏に同行するのは全員ではなく、リータとサルサムの二人と相成った。
ラタナアラートへ向かう際は伊織のバイクを使用していたため、帰りは馬を使うしかない。そのため里に残る騎士団員の馬を借りることになり、長時間乗馬可能な二人が挙手したのだ。
帰還にはナスカテスラも同行し、姪たちを探す間もうしばらく王都を離れると直接伝えに行くことにしたらしい。「あと予備の眼鏡も取ってくるよ!」と未だに歪んで欠けた眼鏡を押し上げながらナスカテスラは言っていた。
ミュゲイラは「あたしも走れます! 走れます!」と静夏について行きたがったが、ミュゲイラの場合静夏について行けても途中でスタミナが切れる可能性がある。
しかし行きのように馬に乗ろうにも――今回は救出した調査員も連れ帰る都合上、馬の数が足りなくなるため却下され悔しがっていた。
ちなみにミュゲイラの乗ってきた巨大馬にはモスターシェが乗ることとなり、それはもう絶叫マシーンのような目に遭うはめになるのだが、それは少しだけ先のことである。
王都にはなかなか戻れない、と言ってすぐにこうなるとは思わなかった。
そう静夏は霧の烟る山間を見遣る。
仲間たちの間から欠けたものは大きく、静夏も心の内は消えない不安を抱えていた。
(……必ず三人を取り戻す)
非道なナレッジメカニクスにいては伊織が何をさせられるかわからず、バルドとステラリカは過酷な環境に飛ばされているかもしれない。不安なのは自分だけではないのだ。
「……」
必ずだ、と静夏は再び心の中で決心し、馬たちを先導するように道を駆け抜けた。
***
――ラビリンスから転移魔法で弾き出された直後。
ステラリカは竜巻の中に放り込まれたような恐ろしい感覚に襲われていた。
平時は静かなものだが、閉じられた世界であるラビリンスから無理矢理出された影響である。
そんなことは預かり知らないまま数秒耐えていると、突如肌に触れる空気が変わった。
「……きゃ!」
熱いが衝撃を吸収するものに肩から突っ込む。
一瞬意識を飛ばしそうになったステラリカだったが、すぐさま体勢を立て直すと辺りを見た。敵はどうなった? と、そう警戒しながら目に映した世界は――全方向、どこからどう見ても砂漠だった。
「え、……え? さ、砂漠?」
呆然としつつそう口に出す。やはり何度見ても砂漠だ。
しかも夜だったはずなのに明るい日中だった。直前のことを思い返しながらステラリカは混乱しかける頭を宥める。
「あれは……転移魔法だった。時間の移動はできないから、意識が飛んだんじゃなければ時間帯がズレるほど遠くに飛ばされたってこと? ――そうだ、バルドさん!」
同時に飛ばされたはずのバルド。
一人一人別の行き先に飛ばすという器用なことをされていなければ同じ場所に出ているはず。慌ててつい高い位置に行きがちだった視線を地面に這わせると、少し離れた位置で枯草に隠れるようにして倒れていた。
ステラリカは砂に足を取られながら駆け寄る。彼は微動だにしておらず、自分と違い落ちた時に意識を失ったのかもしれない。
――そう思っていたステラリカだったが、駆け寄った先でバルドは目を見開いていた。
両手で頭を押さえて空を見ているが、見ているのは空ではない、そんな感じがする。
「バルドさ……」
「やっぱりあれは昔の王都だったんじゃないか」
開口一番バルドはそんなことをはっきりと言った。
「生まれたのはどこだ……景色じゃ判断つかない……地名、ローレライオ? まだ残ってるのか?」
「バルドさん」
「あれは昨日のことで、……いや、五年前? そんなはず、は……」
「バルドさん!」
ステラリカの呼び声にバルドはようやく目の焦点を合わせる。
しばらくぼうっとした後「ああ」と納得したように声を漏らした。
「まだ虫食いなんだが今までの記憶が一気に蘇ってきて、どれもこれも新鮮味がありすぎて……全部昨日体験したことみたいに思えるんだ」
「……! それは混乱しますね……その、やっぱり頭を切られたから、ですか……?」
バルドは頷きながら体を起こす。
「恐らく。それよりここは?」
「わ、わかりません、ただ転移魔法に時間を移動する力はないので、日中みたいですしかなり遠い場所かと」
「そうか……ひとまず日陰を探そう、僕は……僕? 俺は……大丈夫だが君にはつらい気温だろう」
よろよろと立ち上がったバルドは四方を見る。
どの方向も地平線が見えるくらい砂ばかりだが、ところどころに岩陰や暑さに強い植物が細々と生えていた。
まずはあの岩陰を目指そう、とバルドは歩き始める。
「体感気温だが40度は越えてるな……砂漠なら日が暮れるにつれて気温が一気に下がるだろうが、ここはどうだろうか……」
歩きながらぶつぶつと喋るバルドにステラリカは不安を感じた。
髪が短いままなのもあるが、蘇ったという記憶のせいかさっきから別人に見える。
ヒトの所作は記憶に由来していることが多い。
その根源たる記憶が一気に増えれば変わるのは必至ではあるが――完全に別人のように思えるのは、それだけ記憶喪失前と後で性格に違いがあるということだろうか。
「この世界って未だに正確な時計がないけれど、多分迷宮にいた時は深夜一時か二時か……その辺りだったはず。たしかに凄い時差だ、八、九時間くらいかな」
バルドは目を細めつつ太陽を見上げる。
「まだ正確性に欠けるけど真っ直ぐ真上を通過してそうだ……それに加えてこの気候と砂漠、中緯度高圧帯か? いや、でも地球に酷似してるけど違いも多いから参考程度にしておくべきか」
「あ、あの、岩陰、つきましたよ」
ステラリカの声にバルドはハッとして足を止め、ごめんごめんと岩陰に腰を下ろす。考え事をしている時以外は元のバルドに近かった。
「さて、ずっとここに居るわけにもいかないが無暗に動き回るのも危険だ。まずは情報整理と方針を決めよう」
「わかりました」
「水などの装備は無し。魔力の残量は?」
「少しは余裕があります。あとこうして休んでるだけでも少しずつ回復してますね」
「なるほど。で、場所の特定をするにももう少し情報が必要、と。……」
バルドは景色に目をやる。
「……何か目印か人のいる痕跡を探してみるか」
「あっ、光源になる魔石ならありますよ」
「よし、じゃあ一旦ここで日の光を凌いで脱水を回避、日没を待って移動しよう」
遠目に見てわかるような集落がなかったら水源を見つけるために飛ぶ虫を探す。体の不調は早めに言うこと。仮眠したい場合は片方が起きて番をし、一定時間で起こすこと。
ステラリカの魔法で救助を求める目印を建てるのは魔力の消耗を抑えるため優先度は低め。
そう決めてバルドはようやく一息つく。
「さて……仮眠せず起きてるなら意図せず寝落ちない工夫も必要だな、本当は黙ってる方が消費削減に繋がるが……軽く会話でもして繋ぐか」
「会話……」
ステラリカは少し考え、そして少しでも日常的な会話にしたいなと口を開いた。
「……バルドさんって、なんだか先生みたいですね」
先生? とバルドは首を傾げる。
「大学助手はしてたから一応合ってはいるかな、その傍ら仲間と論文を書いて色々やってたんだ」
「ダイガク助手?」
きょとんとするステラリカを見てバルドは数度瞬き、今までで一番彼らしい表情をした。
「あっ、そうか、少なくともベレリヤに大学はないのか。ええっとだな、たしか普通の六年制の学校なら王都周辺地域にはなかったか……? あと村とかにも学び舎があるところはあっただろ」
「は、はい、それはあります」
「ざっくり言うならそこから更に学びたい奴が集まる学校、だな。前世のシステムだから、ぼ……俺がこっちの世界の先生と同質かはわからないが。ちなみに助手は自分で授業は持てない」
だから「一応合ってる」だ、とバルドは締めくくった。
ステラリカは助手仲間だったんだ、という説明を微妙にわかっていない感想を抱きつつ頷き――そしてゆっくりとバルドを見る。
「――蘇った記憶って前世のものも含まれてたんですね」
「ああ、うん、今はなんだか自分が二人いるような不思議な気分なんだが……」
バルドは遠くにいる誰かを見つめるように地平線へ視線を送り、そして目を瞼で一旦覆ってからステラリカを見て名乗った。
今の今まで記憶が目を逸らし続けていた名を。
『僕』と己を呼ぶ、ナレッジメカニクスの首魁によく似た口調の自分の名を。
「僕の名前は織人。……藤石織人。静夏の夫で、伊織の父親だ」
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マッシヴ様九章はここまでとなります。
地続きですが次話から第十章に入り、ナレッジメカニクスに連れていかれた伊織、砂漠を彷徨うバルドとステラリカ、そんな彼らを探す静夏やナスカテスラたち、そして意識不明のニルヴァーレをメインに展開予定です。
ゆっくりペースで申し訳ありませんが、これからもどうぞ宜しくお願い致します!





