第40話 その名は変態
レハブ村へと戻るよりもミホウ山の先にある村を目指したほうが近いということもあり、伊織たちは倒れたヨルシャミをその村まで運ぶと宿を借りた。
村はレハブ村より人口の少ない寒村だったが、人の出入りが多いのか一軒だけ宿があったのだ。小ぢんまりとした民家と大差ない宿だったが、伊織たちにとってはありがたい存在である。
ヨルシャミは逆探知されたと言っていた。
そのリスクを考えるなら少しでも早く遠くまで移動したほうが良いのだろうが、意識が回復しないままの長距離移動は難しい。
そのため村での宿泊は必要な休養だった。
幸いにも一晩よく眠ったヨルシャミは夜明けと共に目を覚ました。
しかし目の下には薄く隈ができており、お世辞にも体調が良いようには見えない。
「スープを用意してもらったからさ、これ飲んでまだもう少し寝てなよ」
「いいや……この状態で発見されるのはマズい……が、ううむ、回復を優先したほうがいいだろうか……」
判断力も低下しているのか、ひたすら自問自答するヨルシャミを見ながら伊織は口を開いた。
「そんなに会うのを避けたい相手って一体誰なんだ? もしかしてナレッジメカニクスの幹部ってやつか?」
「ああ、うむ、肝心なところを話せずじまいであったか。本当はシズカたちもいる時に話したほうがいいのだろうが――」
ヨルシャミは部屋を見回す。
静夏、リータ、ミュゲイラの三人は買い出しと、昨日はバタバタしておりできなかった魔石の買い取りをしてもらいに出払っていた。
伊織はヨルシャミの体調が急変しないかどうかの見張り兼世話係だ。
ちなみにウサウミウシは騒動など我関せずといった様子で窓ガラスに張りついている。リータ曰く日向ぼっこらしい。
「いつ何時話せなくなるかわからないからな、お前には先に話しておこう」
ヨルシャミはぽつぽつと語り始めた。
本来召喚されたものの召喚痕を見て『誰が呼び出したか』という個人特定まではできないこと。
追跡魔法を逆探知できる魔導師は相当の使い手であること。
そして視覚と聴覚をリンクさせている時に目にした人物の姿形と声からそれが誰であるかわかったこと。
「――ナレッジメカニクスの幹部のひとり、ニルヴァーレ。私が捕らえられた時にも一戦交えていた相手だ」
やっぱり幹部だったのか、と伊織は無意識に両手に力を込めた。
これだけヨルシャミに警戒をさせる人物なのだ、相当高位の魔導師なのかもしれない。伊織はそう想像するだけで手の平が汗ばむのを感じる。
「つまり今の僕らが遭遇したらひとたまりもない魔導師なんだな」
「いいや、対抗はできる。しかし怪我も犠牲もなしに、とは言い切れない。特に私がこんな状態ではな。……それと……」
ヨルシャミは眉間を押さえてゆっくりと口を開く。
余程の相手なのだろう。伊織は座り直し、真剣に耳を傾ける。
するとヨルシャミは苦虫を噛み潰したような苦々しい顔で言った。
「……ニルヴァーレは、私に執着する変態だ」
「へ」
「変態」
「変態ッ!?」
***
ニルヴァーレは黒いワイバーンの背に乗り、金の髪をなびかせて空を飛ぶ。
その後ろではワイバーンにしがみついたサルサムが「どうして俺まで……」と呟いていたが、これも理由は人手不足に他ならない。
ニルヴァーレがしようといていること――超賢者ヨルシャミ探しは現在ナレッジメカニクス内では優先度の低いことだ。
生きていたという確証を得られればそれもまた変わってくるだろうが、そのためにはまずニルヴァーレが自分の目でヨルシャミの生存を確認しなくてはならない。
その生存確認をすべく、三人はニルヴァーレが逆探知で突き止めた地域へと急ぎ向かっている最中だった。
どうやら逆探知は途中で妨害されてしまったようで詳しい場所はわからないが、その妨害によりニルヴァーレは更に『ヨルシャミは生きている』という確信を深めたらしい。
「すげぇな、こんな高さまで飛んだのは初めてだ! ほら見ろよサルサム、朝日がこんな早く拝めるんだぜ!」
「お前は能天気でいいな……!」
バルドは手を滑らせれば一巻の終わりだというのに緊張感なくはしゃいでいる。
一方サルサムはまさかワイバーンに乗ることになるとは思わなかったといった顔だ。いつも通りなら今頃は魔石採取の報酬を受け取って部屋でゆっくり休んでいたはずだというのに。
サルサムはそう下唇を噛みたい気分でしがみつく手に力を込める。
しかもこのワイバーン、なんとニルヴァーレの侍女が変身した姿である。
いや、きっとこちらが元の姿で普段の女性の姿は仮初のものだったのだろう。
仕事の際にしか会わない人物だったが、数年間顔を合わせていた人物がじつはニルヴァーレの召喚獣でしたという事実にサルサムはなんとも言えない気分になっていた。
(まあ特別手当を前払いで貰ったんだから、仕事は仕事だって割り切らなきゃな)
あまりにも日常とかけ離れた体験に感覚が麻痺していたが、サルサムも仕事だと思えば少しは我慢が利く。少しは。
そう思っていると太陽の位置を見ていたニルヴァーレが「あッ!」と声を上げた。
もしかしてなにか痕跡を見つけたのか、それとも単純に忘れ物か。
そうサルサムが身構えているとニルヴァーレは手鏡を取り出して言った。
「僕を摂取する時間だ!」
「……」
「……」
さすがのバルドも無言になっている。
ニルヴァーレは手鏡に映った自分の顔を上下左右から五往復分ほど眺め「ああ、今日も美しい僕がいるな」などと言いながらうっとりとしていた。
――この癖の強い男が時折手袋を使うのは潔癖症からではない。
ナルシストだとしか思えない性格のせいである。
なんでも過去に聞いたところによると、ナレッジメカニクスに入ったのも延命処置により自分の美しさ、要するに若さを保つことができるからという理由だったらしい。つまりその他の信念というものは皆無だった。
しかしサルサムは「雇っている程度の人間にそんなことまで話していいのか、深いところまで話すことで引き返せない抑止力にしているのか」と勘繰ったことがある。
これはあまりにも無警戒に話されたが故の勘繰りである。
しかし――それは杞憂だった。
ニルヴァーレは自分自身が大好きなので、自分の話をする時に口に戸が立てられないだけなのだ。
こんなのが幹部でいいのか?
そうサルサムは思わずにはいられなかったが、それだけ強大な力を持つ魔導師なのだろう。実力があれば性格は二の次、という組織はままある。
「おい、サルサム!」
今度はしばらく静かだったバルドが声を上げた。
「海だぜ、海!」
「あれは湖だ!」
サルサムはバルドが指をさした先へ目を向け、遥か向こうできらきらと輝く水面を見て全力でツッコミを入れる。
海はまだ遠いはずだ。そしてこの辺りには大きな湖がある。
しかしバルドにとって海も巨大湖もそこまで差はないようで、ああいうところで泳いでメシ食って豪遊してみてぇよなぁなどと言いながら両腕を組んで夢想していた。
よくこの状況で両腕を放す気になれたものだ、と思ったところでサルサムはニルヴァーレも涼しい顔をして両腕を放していることに気がつく。
「……」
薄々感づいていたが、サルサムはこの時に再認識した。
ツッコミ役は自分しかいないのだ、と。





