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【本編完結】マッシヴ様のいうとおり  作者: 縁代まと
第九章

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第414話 本当は。 【★】

 伊織が揺蕩っていたのは闇そのものだった。


 温度はないが自分の体温で生温いような気がする。

 目を開けて辺りを見回してみるも、やはり何も見えなかった。

(僕は……何してたんだっけ。なんだか凄く疲れてるけれど……)

 直前のことがなかなか思い出せない。ここがどこかもわからない。ただ、現実ではなく夢の中にいる時と心地が似ていた。


「こんばんは。それともおはようかしら」

「……!」


 突然背後からかけられた声。

 それはシェミリザのものだったが、振り返っても誰の姿もなかった。

 しかし確実にそこにいる。そう思い目を凝らすと部分的に見えた気がした。

「お、お前はシェミリザ――」

「いいえ、わたしはあなたの中に潜り込んだ魔力の一片。ここは夢の中に近しい場所で、この声音も姿もあなたの記憶の中から相応しいものを掬い上げた結果よ」

 けれどシェミリザと呼んでも差し支えないわ、と彼女は言った。

「あの人由来の魔法によるもので間違いはないもの」

「……」

 伊織はゆっくりと彼女――シェミリザから離れようとしたが、足が動いたのはほんの僅かな距離だけだった。

 シェミリザの目が見える。

 視線が合った瞬間、伊織は一瞬息が詰まるような感覚に襲われた。

「わたしはあなたの心を見にきたの」

「こ、ころ……?」

「そう。あなたが本当に望んでいたことは何? 叶えられなかった憐れな夢を聞かせてちょうだい」

 声音に警戒心が首をもたげる。

 しかしその声はじわじわと伊織の心に潜り込み、逆らい難い衝動を引き上げてきた。

 ああ、夢路魔法の世界で口が滑る、というのはこういう感覚なんだろうかと伊織は初めてそう感じた。


 ――実際、シェミリザの洗脳魔法は夢をも触媒にして心の奥底へ入り込むため、ヨルシャミの夢路魔法と性質はそっくりだった。

 違うのは悪意の有無だ。


「……ほん、とは」

 伊織は戦慄く唇を開く。

 こんな奴に言う必要はない。そうわかっているというのに、理性を抑え込む何かが心の中にいた。

 それはいとも簡単に心の扉を開いてくる。

「本当は……普通の子供みたいに遊びたかった。友達を作って少し遅くまで遊んだりして……ゲームをやったり帰り道で駄菓子を買ったり、それで休みの日には母さんや父さんとどこかに出かけて――ひ……ひとりで家にいたくなんてなかった」

「それはつらかったでしょう」

 蛇口を開くようにシェミリザは先を促した。

 伊織は戸惑った表情で言う。

「でも母さんの方がきっとつらかったんだ。僕は我慢しなきゃ、良い子でいなきゃいけなかった。でも、でも」

「本当は?」

「本当は」

 伊織は顔を覆ってうずくまる。

 それは涙を流す子供のようだった。

「――ずっと思ってた……なんで僕だけこんなことしなきゃいけないんだって。母さんの世話じゃなくて僕の時間を、僕のために使いたかった。なんで、なんで……」

 胸の奥底にある『何か』に亀裂が走る。

 それは本来なら体内の出血を感じるような怖気立つ感覚だったが、今は奇妙な心地良さがあった。

 その感覚に後押しされるように伊織は叫ぶ。

 肺の空気を追い出すかのように、それまで溜め込んでいたものをすべて。


「なんで僕ばっかり!」


 やりたいことは沢山あった。

 夢など大袈裟なものではなく、日常の中にある些細なことだった。

 しかし日常に肉薄しているはずのそれを諦めた回数は、叶えた回数より大分多い。

 大人なら我慢できただろう。しかし伊織は幼い頃からそればかりで、子供らしくいられた期間などほんの数年間だった。

 その記憶すら朧げだ。

 けれどいくらつらいと思っても耐えなくてはならない。

「授業参観で僕だけ一人ぼっちで嫌だった。運動会も見に来てほしかった。父さんに勉強を褒められたかった。早退した時に誰かに迎えに来てほしかった」

 けれど耐えなくてはならない。

「クリスマスに家に一人で怖かった。連休明けはクラスメイトの思い出話を聞くのがつらかったし、病院からの呼び出しが恐ろしくてどんな電話でも毎回苦しい気持ちに……なって……」

 けれど耐えなくてはならない。


「けれど……そう、僕よりつらい人はいっぱいいるんだから、我慢しなきゃ。でないと怒られるし嫌われる」


 住む場所があり食うに困らず、勉強できる環境があり大きくなればお金も自分で稼げる。

 バイクだってそうやって手に入れた。

 そんなにも恵まれているのに寂しいとは何という贅沢だ。もしそう身近な人間に言われたらと思うと本心を口にすることはできなかった。

 

 高望みをしすぎなのだと自分に言い聞かせているうちに、こんな望みを持っていたことすら忘れていたのだ。


 それでもつらい時は酷い吐き気がするほどだった。

 耐え切るには大人になるしかない。だから伊織は早く大人になりたかった。

 母を想う気持ちは心の大部分であり、嘘偽りはない。しかしそれを大切にするために伊織はずっと自分の本心を殺し続けてきた。それが子供の伊織にとっての最善手だった。

 本心は大人になるのに不要だ。

 しかし今は――好きなだけ口にしていいらしい。伊織は衝動に任せて叫ぶ。一度外れた箍は理性なくして付け直すことはできなかった。

「なんで母さんは体が弱いの!? なんで父さんは死んじゃったの!? どうして……」

「あなたは良い子だけれど不運だったのね」


 不運。

 子供にはどうすることもできない神の手によるもの。

 そう、すべては運だった。


 大きな力に弄ばれたような虚無感が襲う。

 伊織はいつの間にかほたほたと涙を流していた。

「……まだ大人になんかなりたくない」

「ならなくていいわ。それに子供でいられなかったあなたがそれを無視して大人になれるはずがない」

 伊織は目を瞬かせてシェミリザを見上げる。

「ならなくていいの?」

「ならなくてもわたしは責めない。あなたが無視すべきは子供である自分自身ではなく、現実の煩わしいことよ。さあ子供らしくしなさい、怯えなくていいの。ここにあなたを怒る人はいない」

「いない……?」

「ええ。それに、これは罪なんかじゃないわ」


 罪だとするなら、それはわたしの罪だから。


 そう言って、魔力そのものであるシェミリザは華奢な手で伊織の目を覆った。

 その手の平は温かく、熱と共に何かが侵入してくる。そのまま胸の奥で亀裂の走った何かに触れ、ひとつひとつ破片を拾っていった。

 拾った破片は自由に組み直され、不思議な感覚に伊織は口を半開きにする。

 不思議ではあるが悪くはない。

 組まれていく積み木を家族と見ているかのようだ。


 家族。


 ああ、きっと。


(そうか……僕に新しい家族をくれるんだ)


 だったらいいな、と伊織が微笑むと、胸の奥にある魂の破片が一度だけ甲高い音をさせた。







挿絵(By みてみん)

髪をほどいたシェミリザ(絵:縁代まと)


※イラストがリンクのみの場合は左上の「表示調整」から挿絵を表示するにチェックを入れると見えるようになります(みてみんメンテ時を除く)

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