第410話 妹の見たもの、兄の見たいもの
形を保てなくなり消えゆく塔を見て、セラアニスは父が死んだことを悟った。
尋常ではない振動に駆け寄ったセルジェスがセラアニスの体を守るように抱き締める。
その腕の中でセラアニスは冷たくなった父の手を握って呟いた。
「……さようなら、お父さま」
***
塔の崩壊に巻き込まれるかと危惧したが、白い光に包まれたかと思うと全員山の中に倒れていた。
近くには血痕を見つけた場所と地下施設への出入り口があったが、その施設が収まっていた空間はエルセオーゼの木の魔法で形作られていたらしく、穴は塞がり入ることはできなくなっている。
わざわざ安全な場所に出したのはラビリンス魔法が元は家族を守るためのものだからこそだが――それを知る者はもうここにはいない。
「よーし、怪我人から優先してラタナアラートへ戻るように! 報告すべきことは多いが、まずは里の者にも手伝ってもらって傷を癒すよ! 交渉は俺様がする!」
先に戻って話を通しておくよ、とナスカテスラは静夏の肩を叩いて走り出した。
伊織の姿が見当たらないことは彼も承知していたが、バルドたち含め行方不明者を探しに行くにしても傷は治さなくてはならない。そうわかっているからこその役割分担だ。
「……」
静夏は座り込んだセラアニスと膝で立つセルジェスの背中を見る。
そう、まだ辛うじて彼女は「セラアニス」だ。静夏もヨルシャミに色々と問いたいが、その気持ちを飲み込んで騎士団員たちを振り返る。
「もし自力で起き上がれない者、動くと痛みがある者がいれば私が抱えてゆこう」
「わ、わざわざマッシヴ様が……!?」
「ああ、十人程度ならどうということはない」
「ひえ」
さすが聖女マッシヴ様、というざわめきを背に受けながらセラアニスは隣の兄を見た。
「……お兄さま、本当にお久しぶりです。また会えて嬉しいです」
セルジェスはまだどこか戸惑った様子で視線を返す。
「死んだ妹と再び話すなんて……こんな不思議な気分になるとは思わなかった」
でも僕も嬉しい、とセルジェスはセラアニスの背中を撫でた。
「……もうあまりここには居られないのか?」
「はい、恐らく延ばせて五分もないです」
「ヨルシャミさんに頼めばまた会えるんだろうか」
「わかりません。ただ……とても難しく、そしてとても危険な方法みたいなんです。失敗すれば私もヨルシャミさんも死んでしまうかもしれない。なので……」
わかった、とセルジェスは呼吸を整える。
「じゃあこれだけは直接僕の口からセラアニスに伝えよう」
「……お聞きします」
「僕は、やっぱりセラアニスのようにお父様を許すことはできない。きっとこれからもずっと。……ただ、理解はできる」
セルジェスにとってはやはりどうやっても許せないことで、一番酷い目に遭ったはずのセラアニスが許したというのに自分は父を許せないことに負い目すら感じていた。
ただ、父の思考は理解はできる。自分ならきっと実行しないだろうが。
だからこそ余計に自分たちに一言ほしかったと思ってしまうのだろう。――父本人が死してなお。
「これから里は騒がしくなる。僕は里長になる気はないが、この里を守るために出来る限りのことはしよう。……そして」
セルジェスは騎士団員数人を両腕で抱え上げ歩いていく静夏の後ろ姿や、野犬を警戒し周囲に目を配るサルサムたちを見て言った。
「里が落ち着いたら、僕も外の世界を見に行ってみようと思う」
「……!」
あれらは『外』の象徴だ。
そしてセラアニスが外で得たもの。
セルジェスにとって里の外の世界は恐ろしいものだった。ヨルシャミや伊織と話した際に口にしたのは本心で、それは今も変わらない。
しかし初めて自分の目でも見てみたいと思ったのだ。
「好奇心もあるし、変わりたいという気持ちもある。それに……お父様は国からの圧を感じていたが、その国が本当はどんなものなのか自分で見聞きして判断したいと思ったんだ。魔獣への良い対処方法もわかるかもしれない。それだけ世界は広いんだろう、セラアニス」
「……ええ、とても。私はまだほんの一部しか見たことがないけれど、これだけは言い切れます」
「なら試す価値有りだ」
そう笑い、セルジェスはセラアニスの手をぎゅっと握った。
「色々土産話も用意しておく。また会おう」
「はい、お兄さま。……私も、今度はもっと色んなことをお喋りしたいです」
セラアニスはっこりと微笑んで兄の胸元に頭を寄せる。
そして、そのまま眠るように瞼を伏せた。
***
ラタナアラートの有力者へ事情を話し、怪我人の治療をし一晩経った。
エルセオーゼの遺体は密かに里長の家へと運び安置し、有力者たちの許しが出れば埋葬するという。
彼のやってきたことへの判断はまだ先だが、罪を犯したからといって遺体を冒涜する文化はベルクエルフにはない。
更には里を最優先した結果ということで、そういった事情も含めセルジェスを交えて後日話し合うという。
驚いたのはエルセオーゼが話していた『捕まっている王都の人間がいる』という話が本当だったことだ。
彼らも静夏たちが目を覚ました場所の近くに放り出されており、撤収する際にサルサムに見つけられ救助されたのである。
彼ら曰く最初に犠牲になった旅人は助からなかったが、自分たちは運良く生け捕りにされ、オルバートたちにより「折角だから帰ったら実験に使おう」というゾッとするような理由で監禁されていたのだという。
行方不明になった調査員の保護を一番喜んだのはランイヴァルで、すぐに王都へ連絡を飛ばしていた。
この連絡にはミカテラとモスターシェが召喚した伝書鳩タイプの召喚獣を使う。
そう重いものは運べないが、覚えさせた場所に高速で飛んでいき返事まで持って帰ることが可能な召喚獣だ。二人がこの任務に同行したのはこの役目が大きいらしい。
――そんな二人も伊織が連れ去られたことに心底不安で心配だという顔をしていた。同じサモンテイマーとして他の騎士団員より交流が多かったからこそだ。
騎士団員としてではなく個人としても捜索に協力したいと静夏に言ったほどである。
しかし今回の事件は人間を巻き込み死者を出したもの。王都が報復をするとは思えないが、相応の筋が通る処罰はあるかもしれない。それについて騒がしくなるなら騎士団員の二人も忙しさが増すだろう。
故に無理はするな、と言いつつも静夏はどこか嬉しそうにしていた。
昏々と眠っていたヨルシャミが目覚めたのは、そうして話が纏まった頃である。





