第406話 普通の気持ち
ヨルシャミの魔力の回復など微々たるものだ。
そんな状態で何を魔法など使おうとしているんだ、とナスカテスラは目を剥いたが――存外どうにかなったらしい。
本当につくづく怒らせたくない天才魔導師だな、と思いながら大百足に視線を戻す。
ナスカテスラを標的と定めた大百足はがむしゃらになって彼を追っていたが、それ故に他がおざなりだった。
リータの炎の矢は下肢を焼き、ミュゲイラの意味不明な筋力により尾を掴まれ前進を邪魔され、毒を与えてもサルサムの解毒剤により無効化され、騎士団たちの属性様々多種多様な魔法や剣術に翻弄されている。
それでも爛々と輝く目だけはナスカテスラをずっと捉えていた。
ナスカテスラを倒せば自分の不甲斐なさが払拭される、そう信じているかのような目だ。
その不甲斐なさが魔獣の本能由来のものなのか、はたまた別のものなのかはナスカテスラにはわからない。
しかし。
(……我々の感覚基準で見るなら、君は憐れな生き物なんだろうね)
屠ることによる幕引きが必要なら自分が受け持つべきかもしれない。
そう考えたナスカテスラは前へと出る。
今までは囮となりつつ残り僅かな魔力で回復を担当していた。魔力の僅かさは解毒担当をサルサムに任せていることからも明白である。
しかし今はヨルシャミと静夏によりエルセオーゼが無力化され、そして大百足の驚異的な回復力を見たことでやり方を変えるべきだと考えたのだ。
大百足はどんな大怪我もあっという間に回復している。
それは命を削って成される回復だった。
足止めさえしていればその内勝手に死ぬだろうが、それまで待っている間に仲間に被害が出る可能性もある。そして大百足自身が苦しむ時間も延びるだろう。
魔獣に情をかけることは無意味だ。世界の敵である限り殺さなくてはならない。
しかしこの時だけは、介錯の意味も込めてナスカテスラは自ら動いた。
「皆! 俺様が大百足に触れる時間を一分間作ってほしい!」
「一分間、ですか?」
「ああ! その間回復も途切れることになるが……出来るかい?」
ランイヴァルたちはきょとんとした後、すかさず表情を正して頷いた。
それに倣った騎士団員たちの向こうでミュゲイラが大百足を引き留める腕に力を込めて笑う。
「オッケー! あたしらに任せとけ! なっ、リータ! サルサム!」
「やるだけやってみよう」
「わ、私も頑張ります! でも触れるって一体どういう……?」
ナスカテスラは息を整えながら答える。
「少し試してみたいことがあるんだ、この耐久力に効果があるかもしれないし逆に悪化させる可能性もあるが……そこは上手く調整してみせよう! 俺様は宮廷治療師であると同時に宮廷魔導師、出来ないはずがない! というわけで」
超回復をしてはいたが急所のひとつではあるはず。
そのためにそこを起点に試してみたい、とナスカテスラは言葉を続けた。
「俺様が触れたいのは大百足の頭だ!」
「難度高いな!」
思わずサルサムがツッコミを入れる。
だが無理だとは続けず、ポケットからいくつかの丸薬を取り出して皆に配った。
「解毒剤の予備と念のための気付け薬だ、意識を失いそうになったら口の中で砕け」
「ありがたい。……敵はもはや大百足のみ! 余力を残さず足止めに全力を賭せ!」
ランイヴァルの号令に騎士団員たちが力強く答える。
ナスカテスラは彼らの動きを見つめながら魔力を集めた。
ミュゲイラは引き留めるどころかじりじりと引き寄せ、リータは刺した炎の矢をそのまま消さずに存在させ続ける。
それだけでなく炎の矢を大百足の至るところに刺し、それをアンカー代わりに騎士団の一部の魔導師たちが炎の鎖をかけた。
ランイヴァルは水の防壁をわざと大百足の頭部を覆うように展開し固定する。
ミカテラとモスターシェはスライム型の召喚獣を呼び出し、その吸着力を利用し微力ではあるが大百足の体を地面に引き留めさせた。これなら直接地面にアンカーを刺せなくても固定効果はある。
サルサムは痺れ毒を塗った短刀を大百足に突き立てた。毒の効果は薄いだろうが効きそうなものは試してみろというのが父の教えである。
そして、ナスカテスラは地面に伏した大百足の額に手を当てた。
それは傍目から見ていると撫でているかのようなささやかな接触だった。
一瞬の間の維持なら可能だが、それを一分続けるというのは抵抗する超回復可能な魔獣と疲弊したヒトたちという現状では難しいものだ。魔力が底をついた者からふらついて倒れかけ、サルサムの気付け薬で凄まじい顔をして飛び起きる。
10秒が長い。
まだ30秒も経っていない。
残り20秒が果てしなく先のことに感じられる。
10秒も残っている。
早く5秒経ってほしい。
そして。
――ナスカテスラが作り出した魔法。
それが細胞を強制的に増殖させ培養する魔法だ。
検査の際にしか活躍しないのはひとえに魔力の消費量が大きいからである。発動するまでも長い。ナスカテスラはそれを今から意図的に暴走させ放つつもりでいた。
過去に失敗による暴走で部屋を肉塊まみれにしてステラリカを大層怒らせたことがあるが、あれは意図した以上に細胞が爆発的に増殖したからである。
超回復を持つ敵にそれを使えばどうなるのか。そのまま回復の制御を失い死ぬかもしれないし、逆に手の付けられない化け物になるかもしれない。ただし後者になったとしても生きていられる時間は大幅に短くなるだろう。
本来ならそこまでの力のある魔法ではないが、暴走していれば効果は十分だ。
(まあ俺様も今の魔力残量でこれを使えばどうなるかわからないが……)
息を整え、手の平に力を込める。
「――悪いね、俺様は早くすべてを終わらせて姪たちを迎えに行きたいんだ!」
魔法が発動するなり大百足の頭がびくりと痙攣した。
そのまま内側からぼこぼこと変形し、外殻も形を変え歪に変化していく。そして頭部だけ個性的なツノゼミのようになったかと思えば、その変化は瞬く間に全身に及んだ。
この時点で大百足は抵抗をやめており、掴んでいた尾がおかしな形に捩じれたのを見てミュゲイラが「うひゃ!?」と叫んで飛び退く。
そうこうしている間に大きく膨らんだ大百足はまん丸になった目でナスカテスラを見て――ぱちりと瞬きをした瞬間、まるで限界を迎えた風船のように破裂し二度と再生することはなかった。
***
大百足の目玉がコンッと地面に落ち、まだ艶やかな表面にナスカテスラを映す。
しかしもはやそこには憎悪も何もかも残ってはいない。
破裂と同時に命を使い切った大百足は回復の兆しさえ見せなかった。それでも意識が途絶えるまでにほんの一瞬だけ猶予があったのは魔獣故か、それともただの運によるものか。
白んでいく景色を見て大百足は理解した。
自分は死ぬのだ。
その瞬間、頭の中に浮かんだのは魔獣の本能に縛られない、ただただ普通の気持ちだった。
こう思うのはなんだか二度目のような気がするけれど。
『……』
――むかし、おかあさんがおしえてくれた、天国にいけるといいな。





