第404話 大百足はリベンジしたい
ああ、一矢報いてやった。
大百足は――今や小さく矮小な虫となった百足は歓喜していた。
毒針と顎の毒はそれぞれ別種で、顎の毒はもはやヒトを殺せるほどの力はなかったが、この世界に生きるものに害を成せたこと自体が魔獣としての本能を刺激し幸福感を感じるのだ。
失敗ばかりだったが最後だけでも目的を達することができてよかった。
そう喜んでいたのだが。
突如地形が変形し、それに巻き込まれた百足は宙に放り出された。
ただしそう高い位置ではなく、落下しても潰れなかったのが幸いだったが、百足としてはそこで死んでいた方がよかったのかもしれない。
しばらく意識を消失させ、次に目覚めた時には噛んだ二人が不完全ながら回復していたのである。
最後にやり遂げたと思っていたことが台無しになっていた。
傀儡化実験の効果は未だ残るものの、犬の病の影響は分裂体となり本体から脱出した段階で薄まっており、それ故に明瞭になっていた『魔獣の存在意義』が百足の不甲斐なさを照らし出す。
魔獣として殺したい。
この世界の生物すべてを。この世界そのものを。
そうすれば――少しだけ楽になる。
『……?』
百足は木の根の陰で疑問を抱く。楽になるとは何のことか。
実験により思考が煩雑になるにつれ、よくわからないことを考えてしまうようになっていた。――いや、実験中はむしろ夢の中にいるような状態ではあったのだが、どうにも捕まってから思考パターンがおかしいのだ。
よくわからないが、楽になるために世界を侵すのはおかしい。
自分が存在するために世界を侵さねば。
だというのに思考を重ねるほど更にわからなくなっていく。
そう苦悶に喘いでいると、間近に見慣れたベルクエルフが着地した。彼は追い詰められた表情をしながらも問う。
「随分と失敗したお前に、名誉挽回のチャンスを与えてやろうか」
***
塔の中に巨大な黒い影が現れる。
それはエルセオーゼにより過剰に回復と強化された百足だった。
身の丈は十メートルにも及び、百足は大百足として再び降臨する。
これはエルセオーゼにとって一か八かの賭けだった。
本来ならエルセオーゼの魔法は人間などにはここまでの効果はない。なぜか魔獣に回復や強化のような魔法がよく作用したからこそだ。
代わりに命は長くはもたないだろう。
それでも大百足は再び得た凶悪な肉体――前よりも更に大きく強靭な肉体に歓喜していた。
ヨルシャミを抱いた静夏はその巨体を見上げる。
大きな敵はこれまでも何度か相手にしてきたが、範囲の限られた空間でここまで大きなものは初めてかもしれない。
しかもエルセオーゼ自身も戦意はそのままにヨルシャミを狙い続けていた。
左右から迫り来るツタに挟まれる前に大百足の足元を駆け抜け、死角を探すが――再度ふさふさと茂った体毛が空気の動きをキャッチし、大百足は静夏たちを目で捉えずに脚を振るって蹴り上げようとする。
「ヨルシャミ、掴まっておけ」
自分からもしっかりと抱えつつ、静夏は大百足の顎下まで大きく跳躍し、まるで仕返しだとでも言うようにその顎を蹴り上げた。
顎を含む頭部の大部分が天井に向かって弾け飛ぶ。
しかし無数の脚を縦横無尽に動かした大百足は二撃目の頭突きを回避し、バックステップで距離を取るとその場で新たな頭部を生やした。
「不死身……?」
「いや、あれは回復魔法の影響だ。しかし魔獣に過度な回復魔法をかけるとあのようなことになるのか……」
エルセオーゼは無理をしているものの、回復魔法にそこまでの余力を割いたようには見えない。
精々常時発動型の回復魔法を一度使ったくらいだろう。
強化魔法でも頭部を即時回復するほどのサポートは期待できないはず。
今まで敵である魔獣に回復魔法をかけたデータはなかった。もしかするとどこかには存在するかもしれないが、少なくともヨルシャミは耳にしたことがない。
「だがあのありさま、回復魔法の失敗に近い」
新たに生えた頭部は目や触角の位置が明らかにおかしく、数も正常ではなかった。
回復魔法は失敗すると回復対象の手足や目が増えたり異常発達を促したりすることがある。魔獣にはよく効くから、と少ない労力でそれを狙ったのだろうか。
大百足は仲間ではなく道具だということがよく伝わってくる。
大百足の胴に拳を繰り出し、時には切断したが治ってしまう。
そこへエルセオーゼが緑の葉を舞い飛ばせた。
(一体何を……、!)
ヨルシャミはハッとして静夏を見上げる。
「シズカ! 口を閉じ息を止めろ!」
「む、わかった」
エルセオーゼの飛ばした葉は風魔法で細かく切り刻まれ、風に飛ばされる頃には湿気を帯びた粉塵のようになっていた。
――葉は紫陽花の葉だ。毒性は低いが喫食した際に嘔吐などを引き起こす。
恐らくエルセオーゼは効果にも手を加えているだろうが、致死性のあるものではないのは近くにセルジェスが倒れているからだろうか。
大百足は魔法の効果によりまったく効いていないらしい。息を止める静夏に何度も突進し、それを避けるたびに静夏は呼吸をしそうになり口元に力を込めた。
(足を鈍らせるのにもってこいということか、小癪な……!)
接近戦ではなかなか目的を達せないと判断したのだろう。
残った魔力を振り絞ってエルセオーゼはキノコを生やした。元の部屋にあったようなものではなく、毒々しい色をした巨大なキノコだ。
その胞子に風魔法で指向性を与え、静夏とヨルシャミへとぶつける。
呼吸もできなければ目も開けていられない。一か八かで魔法を使えるか試してみるべきか。
そうヨルシャミが魔力の枯渇した己の肉体を探ったところで、つむじ風が葉の粉と胞子を消し飛ばした。
「厄介なことになってるじゃないか!」
「っ……ナスカテスラ! 皆!」
駆けつけたのはナスカテスラたちだった。最下層が見えた段階で「この高さなら」と各自魔法のサポートや短距離滑空型の召喚獣で降りてきたらしい。
そして最後にリータを抱えたミュゲイラが静夏の真ん前に着地した。
「……ほら! あの高さならちゃんと着地できたじゃん!」
「だ、だからって私を抱えたままジャンプしないでくれる!? 死ぬかと思っ……ヨルシャミさん!」
姉の腕から下りたリータが満身創痍のヨルシャミに駆け寄る。
「お、落ちていった時はびっくりしたけど、絶対生きてると思ってました……! でもその傷は――」
「……ヘマをした。後で、そう……こやつらを黙らせてから、しっかりと話そう」
消耗と傷によるものではない苦しげな顔をし、ヨルシャミはリータの目を見て言った。
傷の理由、大百足が巨体となった理由、木の皮の鎧を纏った人物が誰なのか。
そして伊織はどこへ行ったのか。
気になることはあったが、リータはこくりと頷くと魔法弓術による炎の弓矢を作り出した。
「わかりました。私も全力でいきます!」
「心強い。……ナスカテスラよ! 少しでいい、私を回復してくれないか! シズカの手を空けたい!」
騎士団やサルサムたちと共に大百足、エルセオーゼを抑えていたナスカテスラが「いいとも!」と片腕を上げる。
遠距離の攻撃魔法を繰り出しながら後退したナスカテスラはヨルシャミに解毒魔法と回復魔法をかけた。
瞬時に行なわれた治癒の感覚にヨルシャミは舌を巻く。
「やはりベルクエルフの回復と解毒は凄まじいな」
「だが魔力までは回復できないからね! ……もうカツカツじゃないか、せめて魔力が少し回復するまで俺様たちの後ろにいるといいよ!」
「うむ、……エルセオーゼの狙いは私だ、気をつけてほしい」
エルセオーゼ? とナスカテスラは目を丸くした。
そしてそれが木の皮の鎧を着た男を指していると気がついて小さく息をのむ。
「……さとおさがどうしてこんな……、……いや、この問いは後だ!」
恩に着る、と静夏はヨルシャミを下ろし、そしてエルセオーゼに向かって走り始めた。
それを見た大百足が反射的にそちらへ向かいかけるが、それをナスカテスラが呼び止める。
「ほら、もっと俺様の顔をよく見ろ! リベンジしたくはないか!」
ぴたり、と動きを止めた大百足は七つ半になった目でナスカテスラを見た。
屈辱的な敗北をした相手の一人。
それに気がついた大百足は顎を戦慄かせ、そして標的をナスカテスラに定める。
ラビリンスに入った者は里に住むものでも攻撃対象である。傀儡化に際して『里の住人に襲うな』という大百足にとって忌々しい制約を課したエルセオーゼがそう決めた。
それでもストッパーが働く場合があるため不安定なもので、エルセオーゼ自身もヨルシャミがどのような判定になるか気にしていたが――幸いなことに『ナスカテスラ』は前も今も攻撃対象にしか見えない。
大百足はごぼごぼと血泡を煮立てたような声で鳴くとナスカテスラに向き直る。
その目にはおぞましいほどの殺意が籠められていた。





