第401話 今この時を以て
オルバートは伊織を抱え上げ、シェミリザが風魔法で荷物やセトラスを浮遊させる。
ここから出ていくつもりだ。
そう悟ったヨルシャミは掠れた声で伊織を呼んだ。
「イオリ! イオリ、目を覚ませ! いくら傷痕を狙われたからといって洗脳など完全に通るはずが――」
「そう思いたいだけでしょう?」
「っ……なんなのだ……お前達は何がしたい! 何のためにこんなことをする!」
「ふふ、わたしはあの子にやってみてほしいことがある。オルバはあの子でやりたいことがある。わたしがここまでしてるのは利害が一致してるから」
「利害……」
「ナレッジメカニクスそのものと同じよ、目的はひとつではないけれど手段はひとつに絞れるから協力し合ってるの。だから何がしたい、なんて問われてもすぐには答えられないわ」
ごめんなさいね、とシェミリザは笑う。
それは暗にすぐ言えるであろう『自分の目的』も明かすつもりはないと言っているも同然だった。
歯を食いしばったヨルシャミはもう何でもいいからと召喚獣を呼ぼうと呻いたが、その余力すら残っていない。
――契約したのだ。共に居ようと。
ああいった契約は約束や誓いだ。必ずそうなる魔法というわけではない。
守らなかったからといってリスクがあるわけではないが、ヨルシャミは守りたかった。破るわけにはいかない。
だというのに連れ去られる伊織を前に何もできないでいるのだ。
シェミリザが何かの準備を進めているのが魔力の動きでわかった。
もう時間があまりない。そう感じていたところに声がかかる。
「……逃げるつもりか」
そう緩やかな動きで姿を現したのは――どこか苦しげなエルセオーゼだった。
別所で塔と化したラビリンスの維持に努めていたが、オルバートたちが去る気配を感じて出向いたらしい。
ああ、とオルバートは表情を変えずに答える。
「ごめんよ、エルセオーゼ。このままだと折角必要なものが手に入ったのに、聖女たちが駆けつければ奪い返されてしまうかもしれなくてね。それにこちらの損害も大きい」
オルバートは引き時だと言った。
「けれど約束は守るよ、魔獣は……大百足は生きてるけどアレはもう元の状態まで回復するのは無理かな……何か新規で用意しよう。そのためにも聖女の仲間の始末を上手くやっておいてれないかい」
「聖女自体は殺さずに、か」
「ああ」
「ラビリンスの崩壊に巻き込めば殺すのは容易い。しかし生かした者が一人でも帰還すれば儂と我が里はどうなると思う?」
静かに問うエルセオーゼにオルバートは己の顎に触れてしばし考え、そして頷く。
「最もな問いだ。そうだね、聖女を一時的にでも捕えておいてくれれば後からシェミリザに頼んで記憶の改竄が出来るかもしれない。僕の欲している新鮮なデータにノイズが入るかもしれないが……まあそこは目を瞑ろう」
「……」
それはヨルシャミでさえ「現実的ではない」と感じる提案だった。
我が身を削る想いで協力をしてきたエルセオーゼは尚更だろう。
しかしオルバートはそうして有耶無耶にしたりはぐらかしているのではなく、本気で言っているのだ。
そして恐らく本当に約束は守るつもりでいる。
――だというのに、それが両者の決定的なズレを浮き彫りにしていた。
「……そうか」
エルセオーゼは一度目を伏せると重々しい声でそれを口にする。
「ナレッジメカニクスとの協力関係は今この時を以て破棄とする」
「おや」
「敵と認めるわけでもない。そちらはこれ以降里への不干渉を約束すること、儂は去るお前たちを追わぬとすることで手打ちとしたい」
その言葉にオルバートは数秒考えたものの、さして重要な決断でもないといった様子で「いいよ」と答えた。
「長い間世話になったね。もし再度関係を結びたくなったらいつでも――」
「早く去れ」
オルバートは「嫌われてしまったようだ」と伊織を背負い直すとヨルシャミに視線をやる。
しかし何か言葉を重ねるでもなく、ふいっと視線を切るとシェミリザに「頼むよ」と声をかけた。
シェミリザはその言葉で転移魔法を発動させる。他者の支配する領域から逃れられるほどの高出力の転移魔法だ。それも行き先を指定したもの。
その負荷は確実にシェミリザにかかったが、表に出る前に伊織を含んだ四人の姿は掻き消えていた。
「ッ……イ、イオリ……!」
シェミリザが消えたと同時にヨルシャミを拘束していた闇のローブも消えたが、満足に四肢を動かせない。
まるで夢の中で走れずもがいているような感覚だった。
そんなヨルシャミの元へ歩いてきたエルセオーゼは、彼と同じ色の髪を垂らしてヨルシャミの顔を覗き込む。
「お前は娘の肉体を被っているだろう、超賢者ヨルシャミ」
「……!」
「里を訪れたお前の顔を見た時から、儂は何度も何度もあの時のことを夢に見た」
エルセオーゼは高質化させた鋭いツタを手に取って言った。
「我が娘、セラアニスを殺した時の夢だ」
ヨルシャミは目を見開いてエルセオーゼを見上げ、そして痛むほど眉根を寄せる。
「……ナレッジメカニクスと通じていたと知った時からもしやと思ってはいたが……セラアニスを私の檻として差し出したのは、お前か」
「最も最適だとあちらから求められたのだ」
「そしてほいほいと娘を差し出したと」
「……里を」
エルセオーゼは小刻みな呼吸を繰り返して言った。
「里を守るのに必要ならば、我が身も切り分け渡しただろう。そして我が身で足りぬならば……次に差し出すべきは、儂に近しいものからになる。それが里を守る者の務めだ」
「……っ家族にそれを押し付ける愚かさがわからぬか!」
「わかっていようがいまいが儂にはこれしかなかった。我々の成長は頭打ちだというのに、王都は力をつけ魔獣は年月と共に凶悪になる。儂では、里を守り切れん。……」
エルセオーゼは暗い瞳でヨルシャミを見る。
セラアニスと同じ顔をしたヨルシャミを。
「……だが儂は手を結ぶべき相手を間違えた。それは認めよう」
そしてエルセオーゼはセラアニスの面影を振り払って言い放つ。
「ラタナアラートの里長はセルジェスへ譲る。儂は最後の後始末をしてからけじめをつけよう」
「後始末……?」
ほとんど答えはわかっている。それでも反射的にそう口にしたヨルシャミのうなじに切っ先が突きつけられた。
「――自分の娘の肉体は、自分が眠らせる」





