第38話 ニルヴァーレの庭園
魔石採取から戻ったサルサムは転移後独特の感覚にぞわぞわと体を震わせた。
本家本元の転移魔法はここまでの違和感はないが、それでも扱いが下手な者が使うと五感がおかしくなり吐き気を催すことがあるという。
魔導師の間では『転移酔い』と呼ばれるものだ。
人工の転移魔石を用いた転移酔いはそれより酷く、サルサムは毎回こうして鋭敏になった全身を紙ヤスリで削られるような嫌な感覚に襲われていた。
ただし影響には個人差があるのか、相方としてしょっちゅう組まされているバルドはけろりとしている。「こいつの場合は持ち前の鈍感さのおかげかもな」とサルサムが思っているのはバルド本人には伏せてあった。
転移魔法は高位の魔法であり、相性もあるため高位魔導師なら誰もが使えるというものではない。
対して転移魔石は転移先と帰還先を事前に設定することで誰でも使用でき、且つ持ち運び可能なサイズに収められていた。
その座標を変更することはいつでも可能だが、専門知識やセンスを必要とする高等技術である。サルサムは不要なトラブルを避けるため、雇い主が設定したものから変えたことはない。
ふたりの帰還先は薔薇の庭園。
しかも紫色の薔薇ばかりで、サルサムは毎回趣味が悪いなと密かに思っている。
「毎回思うけど趣味悪ィよなぁ、ここ」
「……」
密かに思いもせずに盛大に口に出したバルドに返事などしない。
雇い主に聞こえたら一大事だ。
サルサムとバルドは組織の幹部に直接雇われている。そのため組織のボスに会ったことはないが、形としては構成員のひとりということになっていた。
ただしふたりとも完全に報酬目当てであり、組織の方針に同調したわけではない。
そもそも何を主目的とした組織なのかはっきりとは知らないくらいである。
バルドは雇い主をはじめとした組織の中核者に施された『処置』にも興味があるようだが、サルサムは稼いだ金で家族を養えればそれでいい。欲深く望むことは破滅に繋がると知っていた。
薔薇のアーチを抜け、甘い香りの漂う庭園をしばらく歩き、豪奢だが古い石造りの屋敷へと足を踏み入れる。
すると件の雇い主自らが出迎えに現れた。
もちろんサルサムたちの帰還を労うためではなく――
「待っていたよ、僕の命になる美しい魔石たち! ……と、ふたりとも」
――持ち帰った魔石のためだ。
「ほら、さっさと寄越せ」
「はい」
サルサムは魔石の詰まった皮袋を雇い主に手渡す。「汚いから」と手袋をされたが、これが初めてではない。もう慣れっこだ。
雇い主の名はニルヴァーレ。
輝く金髪を持った長身の美男子で、宝石飾りの付いた赤いマントを羽織っている。絵画に描かれていてもおかしくない姿はまるで貴族のようだ。
瞳は不思議なことに緑と青の二色が共存していた。
煌びやかで整った服を着ているが、本物の貴族だという話は聞かない。しかし組織の幹部のひとりであるということはサルサムたちも知っていた。
なにせ、サルサムたちの受け持っている仕事は彼が幹部だからこそのものだ。
(不老か……)
彼らの所属する組織、ナレッジメカニクスには人間をエルフ含む長命種並みに長く生き永らえさせる技術がある。
そんな延命処置を施されているのが幹部たち――人間の幹部たちの特徴だ。
噂ではニルヴァーレも千年以上前から生きているらしい。
ただし延命処置に使われている装置には二十四時間常に大量の魔力を必要としており、自前の魔力で賄える者はほとんどいないという。
そのため必須なのが魔力の塊である魔石だ。
どういう形で行なわれるのかサルサムは知らないが、定期的に採取した魔石はニルヴァーレの生命維持に使われる。
(高価な魔石なのに贅沢なもんだ。……そのぶん金払いもいいから俺は別にいいが)
ある程度の情報は教えられているし、教えられなくても入ってくる。
しかしサルサムは未だにナレッジメカニクスがこの異様な技術を使って何をしようとしているのか、あるいは何をしているのか知らなかった。そして今後も知らなくてもいいと思っている。
金になる厄介ごとに首を突っ込むなら浅くでいい。
「ふんふん、属性に偏りはあるけどまあいいか。大切なのは質だからね。金は侍女に用意させるから客間で待ってるといい」
侍女といってもひとりしかいないため、サルサムたちにとってはよく知っている女性だ。男主人にひとりきりで仕えるのは大変ではないか、とサルサムは思うが訊ねたことはない。
当の侍女も毎回表情ひとつ変えずに淡々と仕事をこなしていた。
――初めは流出する情報を制限するためかとサルサムは思っていたが、どうやら人員はすべて組織の別口の仕事に集中しているらしく、ニルヴァーレのもとには流れてこないらしい。
その結果がサルサムやバルドといった外部の人間を雇うことに繋がっていた。
何から何まで胡散臭い。
「じゃ、それ貰ったら俺たちはまた次の採取まで休ませてもらうぜ」
バルドがひらひらと手を振りながら背を向ける。
サルサムは僅かにほっとした。
粗暴な立ち振る舞いをするが、バルドもニルヴァーレ並みの整った顔だ。
年齢も三十路を越えているはず、且つ無精ひげも残っており雄の部分を隠していないため方向性は違っているが、こういった男を好む者は一定数いるだろう。
しかも銀髪が目を引く。
そのため目に眩しい金と銀に挟まれているようで、極々一般的な成人男性を体現したような自分が挟まれるのはサルサムとしても毎回地味に辛かった。
そこまで外見にコンプレックスがあるわけではないどころか、以前の仕事にしっかりと活かしていたのだが、今は状況が許してくれない。
ストレス源からは逃げるが勝ちである。
「では俺もこれで――」
「いや、ちょっと待て」
ニルヴァーレの制止の声にサルサムは首を傾げて振り返る。
しかし呼び止められたのはバルドのほうだった。
「お前……背中に何を付けてるんだ?」
「うん? 暗くて湿っぽい洞窟の中で作業したんだ、汚れや虫くらい……」
「ただの虫じゃない」
次の瞬間、サルサムは目を疑った。
ニルヴァーレがわざわざ手袋を外して素手でバルドの背中についた何かを摘まみ取ったのだ。
手袋を他のものに付け替えたならわかるが、ニルヴァーレが素手でそんなことをしているところなどサルサムは初めて見た。
それは蚊のような小さな虫だった。
どこにでもいるような虫、と言いたかったが口器が見たこともないような鮮やかな色をしている。
本能的に毒虫かと身構えたが、おかしなところはそれだけではなかった。
ニルヴァーレがどれだけ力を込めようが一向に潰れる気配がないのだ。
力んで白くなった指先を見れば、もしこれが甲虫であったとしても潰れただろうことがよくわかる。しかしただの羽虫に見えるそれはびくともしない。
「これは……虫の姿をしている召喚獣の一種だ。なぜこんなものを付け……て……」
サルサムの目の前で怪訝そうな顔をしていたニルヴァーレが両目を見開く。
そして驚愕から嬉しげな満面の笑みへと表情を変化させ、彼はその喜びを爆発させたような声音で言った。
「この召喚痕は――はは……あははは! やはり生きていたか、ヨルシャミ!」
虫を摘まんだ指の周りに小さな魔法陣が現れる。
その魔法陣の輝きの向こうで、びくともしなかった虫がぶちりと潰れて人間のような赤い血を滴らせた。





