第395話 本当に化け物だ 【★】
オルバートは数分前に目覚めていた。
覚束ない足取りながら自分で道を進む。セトラスは時折手を貸したが、そのたびに「すまないね」と口にされ複雑な気持ちを抱いていた。
なぜオルバートがあそこで気絶したのかわからない。
ラタナアラートへ来た当時、体調に変化はなかった。それが途中から徐々に悪化し、ピークを迎えたのがあの瞬間だったのだろうか。
(思えば体調が崩れ始めたのは……聖女一行が里へ来てからか?)
しかし聖女、その息子、フォレストエルフの女とは前にもボシノト火山で遭遇したというが、その時は何もなかったそうだ。
ララコアで潜伏していた時も平時のまま。
しかし潜伏時は覗き見メカが活きる程度には距離を取っていた。今回はその時より高度に隠れているとはいえ、地下のため距離自体は近い。
「……」
オルバートが倒れた時、自分たち以外であの場にいたのは三人。遅れて到着した幻覚効果が効いた聖女と騎士団はタイミング的に少し違うかもしれない。
(とすると、何かあるとすればあの三人ですが……ナスカテスラとその助手にはオルバートとの関わりはなかったはず)
セトラスは昔、とても珍しいことにスカウト役としてナスカテスラと接触したことがある。
普段スカウト役はシァシァが務めており、彼もインドアではあるもののふらりと出て行っては才能豊かな新人を連れてくることが多かった。
あの時はたまたま彼に別の用があり、セトラスがナスカテスラの所在地近くに用があったため白羽の矢が立った形になる。
その際にそれはもう手酷く断られたのだが――スカウト対象のデータくらいは頭に入れておくべき、と色々調べたのだ。ナスカテスラ達とオルバートに接点はなかった。
そのデータが間違っている可能性もあるが、ひとまずこれで一番怪しいのは。
(……あの銀髪の男)
バルドといっただろうか。
ヘルベールの調査により彼も転生者だと判明している。
転生者そのものは貴重なものの、現在の研究や計画に必要ないためさほど重要視していなかった。今必要なのは聖女とその息子、そしてオルバートは言及していなかったがセトラスとしては可能ならヨルシャミだ。他の優先度は低い。
優先度が低いが故にデータが薄かった。
(転生者でオルバートと……あれは同じ力? それに考えてみれば髪色や顔の作りも似ている)
当初はセトラスからすれば快活で子供っぽく少し小汚い男に見えた。
だからこそオルバートのイメージと重ならず違和感もなかったが、ここしばらくは雰囲気が少し落ち着いていたように思える。
それにあの瞬間。
首の切断で髪の短くなった彼は、オルバートの兄だと言われれば信じてしまいそうな印象をしていた。
(……シェミリザに言った通り、私は深入りするつもりはない。それでも気にかかるのはオルバートの、首魁の体調不良に繋がることならその原因を突き止め取り払いたいから……ですね)
自己分析しつつセトラスは眉根を寄せる。
オルバートを心配してのことではないはずだ。そう、首魁にはある程度健やかでいてもらわなくては組織が安定しない。
組織の安定は自分の研究の安定に繋がる。
だからだ、と誰にでもなく言い聞かせてセトラスは歩き――ラビリンスの核たる部屋に戻ると、その場の異変に足を止めた。
協力者――エルセオーゼが伊織とヨルシャミを制圧していたのである。
片目を瞬かせたオルバートはゆっくりと彼らに近寄る。
「おや、これは……すまなかったね、出て行っている間に到着してしまったのか」
「苦戦した様子もないし……ふふ、上手にやったのね」
「こやつらがお人好しだったのが幸いしただけだ」
油断を誘発させるため息子のセルジェスを巻き込んだ。それもあり伊織とヨルシャミの警戒はセルジェスの身内である自分から逸れ、次に提示した怪しいドアと他の人質という存在に移ったのだ。
そこで更にセルジェスへと注意を向けさせた。あまりにも素直な反応に笑いそうになったくらいだ。特に伊織の方は悪意のあるヒトとの戦いに慣れておらず疑う心が無さすぎる。
エルセオーゼは伊織の首根っこを握ったまま言う。
「二体のうち熊の魔獣は死に、一部の聖女の仲間もここへ向かっている。事を済ませるなら早くしろ」
「ああ、わかっているとも。……ん? そうか、大百足は生きていたんだね」
オルバートは地面で何やら歓喜している百足を見下ろした。
魔獣の生態は未だに謎が多いが、分体を作り出し逃げることもできたのかと少し興味をそそられた。じっくり調べたいところだが――今はこちらを優先しよう、と伊織の前でしゃがみ込む。
「やあ、聖女の息子。しばらくぶりだね」
気さくに声をかける。
もちろん返事はないが、虚ろな目がオルバートを見ていた。
「色々予定を変更することになったけれど、君を確保できて安心したよ。このラビリンス魔法を使ってもらったのも君を確保するためのものだったからね」
「……」
「ああ、どの道うちの施設に侵入した段階で何らかの迎撃を行なうことにはなっていただろうから、自分のせいで仲間を巻き込んだなんて思わなくていいよ」
まったく心の籠っていない声音で気遣いの言葉を吐きつつ、オルバートは伊織の顔を上げさせ目を合わせた。
「不本意だろうことは予想できるが――君には僕らの仲間になってもらおうと思っているんだ、藤石伊織」
そう言ってからシェミリザを呼び寄せようとしたところで、ただならぬ殺気の圧を感じてオルバートはほんの一瞬呼吸を止める。
口や目から赤い血を滴らせたヨルシャミが鋭い眼光をこちらに向けていた。
まだ麻痺の残る両腕はだらりと下がっている。膝にも力が入っていない。それでも両眼だけは肉食獣のそれより恐ろしかった。
小さく唸りながらヨルシャミは影による剣をいくつも作り出すと弾丸のように放つ。
彼が最も得意とする闇属性の魔法。
連戦により回復しきっていない己の影から無理やり生成した剣たち。
飛ばすのに適した形より『相手を殺すこと』をより明確にイメージした形。
魔力の消費を度外視した攻撃。
そのどれもから強い怒りを感じ、オルバートは咄嗟に下がったが伊織に触れていた右手を切り落とされた。
エルセオーゼも負傷したのかツルの援護を受けながらその場から下がる。
即座に風の魔法を不自由な足に纏わせ、高速で前に出たヨルシャミは伊織を奪取しようとし――シェミリザの障壁に阻まれた。
弾かれるなり即座に別角度から突進した様子にシェミリザは「あら怖い」と笑う。
「あなた、それ不完全な解毒魔法を何十回も重ねてその状態まで持っていったんでしょう? そうして怒りで自棄になっているように見えて、きちんと魔力残量を計算しているのは……その子への解毒魔法用にとっておくためかしら」
得意な属性をメインに使っているのは消費を抑えるため。
必要最低限動ける状態で自分の解毒を止めているのは、この状況で相性の悪い水属性の魔法を使うと一気に昏倒しかねないため。
ヨルシャミは我を失っているように見えて、その実すべて伊織のために計算して動いていた。
「うるっ……さい! 姑息な真似をするでないわ! イオリから離れろ!」
ヨルシャミは血の飛沫と共にそう叫びながら影の圧縮魔法をヒトに向けて放つ。
丈夫な機械でさえ潰す魔法だ。生身の者に使えば目も当てられない結果になるが、それに対する覚悟は済んでいた。
しかしシェミリザは即座にまったく同じものをぶつけて相殺させる。
「およしなさいな、同族には思ったように成果が出せないものよ」
「同族……?」
「……あら、視力が下がっているのね」
立ち位置などはわかるが細かな姿形まではよく見えていないのだろう。
脳だけ属性の違うヨルシャミは不得手な属性で魔力を無理やり引き出すと頭周辺から先にダメージを負う。その影響ね、とシェミリザは笑った。
そんなシェミリザを睨みつつ、一瞬息を止めて集中したヨルシャミは伊織とセルジェス以外を標的に影の剣たちを飛ばした。
その一本一本を麻痺の回復しつつある各指先とリンクさせて操り、直線的ではなく精密な動きで斬りつける。
鼻血がぱたぱたと足下に落ちるのも構わずヨルシャミは叫んだ。
「バイクよ! イオリを守るのだ!」
返事と発進のエンジン音は同時だった。
バイクは再びエルセオーゼとオルバートが近づかないよう伊織の周りで円を描くように走って威嚇する。
「ヨルシャミの言うことも聞くのか、知能が高いんだね」
オルバートは切り落とされた腕と断面をくっつけながら言う。
「……飛び乗ってブレーキをかけたらどうなるだろう」
「やめてくださいよ、いくら回復するとはいえ振り落とされてこちらに飛んできたら困るんですから」
セトラスは嫌そうに言いながら拳銃で剣を撃った。物理攻撃は効くのかいくつかの剣が落ち、軌道が逸れる。それを即座に修正してくるヨルシャミに舌打ちをしてセトラスはシェミリザの傍まで退いた。
「これ、一気にどうにかできないんですか」
「大技はあなた達も巻き込んでしまうわね。地道に落としていくしかないけれど……困ったことにあの子、手が空くたび少しずつ剣を足してるみたいなのよ」
「シァシァ並みの化け物ですね……」
セトラスは目が覚めたヨルシャミと直接相対するのは初めてだ。天才中の天才とは聞いていたが規格外である。
そんな中、ヨルシャミは剣を操りながら背後に魔法陣を作り出し、そこから角の生えたウサギ――ジャッカロープの群れを呼び出す。
それを見たセトラスは今日一番の嫌そうな顔をした。
「……本当に化け物だ」
「私もやろうと思えばできるわよ?」
「なんですか突然張り合っ、……って!」
セトラスはたたらを踏みながらジャッカロープの鋭い角による攻撃を避ける。
限られた空間での戦闘において頭数を増やすというのは有効である。
代わりにヨルシャミのダメージも相当のものだった。橋渡しの石たるニルヴァーレの魔石を伊織が所有しているのも大きい。
ヨルシャミは痙攣により自然と鳴る歯で舌を噛まないようにしながらシェミリザたちに遠のくよう仕向け、じりじりと伊織に近寄っていく。
(保ってあと数分か、しかし一人でこの人数……しかも実力者どもを相手にするには出し惜しみはできん)
伊織を助けた後はどうするかも問題だが、今ここで抵抗しなくては後はない。
そう考えているとシェミリザが仲間に何かを耳打ちしているのが見えた。
見えた、といっても徐々に視力の悪さに慣れてきた目で無理矢理見ているだけなのだが、シルエットでもなんとなくはわかる。
警戒しているとシェミリザが離れた位置にいるエルセオーゼに言った。
「エルセオーゼ、もうできるんでしょう?」
――何を?
そうヨルシャミは眉をひそめたが、エルセオーゼにはあれだけで伝わったのか、とても憎々しげな声で返す。
「相変わらず簡単に言ってくれる。……だがこやつ相手では」
そして、エルセオーゼは先ほどのヨルシャミと同じ考えを口にした。
「……出し惜しみは出来まい」
ヨルシャミ(絵:縁代まと)
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