第394話 協力者
小さな針は植物のトゲのようであり、ヨルシャミはその存在に面食らったものの――完全に油断していた、というわけではなかった。
ドアへと向かうということは『罠があるかもしれない地点に背を向ける』ことになるため、背面に自動で発動する簡易防壁用のセンサーを魔法で作って置いたのだ。
しかし簡易も簡易のため完全防御には程遠い。まさに念のため程度の対策だ。
瞬時に展開された影の薄膜。
針はそれを貫通したが勢いを削がれ、更にヨルシャミの髪と服に阻害され致命傷になるような刺さり方はしなかった。
ヨルシャミの慌てて振り返る動作で抜け落ちたくらいだ。
伊織も何事かと後ろを見る。やはり罠が仕掛けられており、ドアに向かう者を狙うよう射出したのかもしれない。針が植物由来ならこの迷宮の特徴とも合う。
そこに生えていたのは小振りなカラタチに似た植物だった。
カラタチは生垣に使えば天然の有刺鉄線じみる。そのトゲが何らかの方法で射出されたらしい。
もちろん先ほどはなかったものだ。
小振りといえども飛び越えるには高く、部屋の端までは届いていないが回り込むには時間がかかる。一時的にエルセオーゼやセルジェスたちと分断された、と感じたヨルシャミはトゲと枝の向こう側に見えた二人に声をかけた。
「やはり罠があったようだ、二人ともそこから離れて路地の方へ――ぅ、!?」
「ヨルシャミ!?」
指示を送るなり数歩前によろめいて膝を折ったヨルシャミに伊織はぎょっとする。
目は開いているが全身の筋肉が硬直しており、呼吸も浅い。冷や汗を流す様子に伊織はヨルシャミを抱き起こし、セルジェスたちを見た。
「と……飛んできたトゲに毒があったのかもしれません。解毒魔法を頼めますか!」
しかしすぐに返事がない。
まさかあちらにも毒のトゲが飛んだのか、と思っていると――枝の向こう側からセルジェスがこちらを見ていることに気がついた。
苦悶の表情にも、憤怒の表情にも見える。
一瞬言葉を失った伊織はセルジェスの隣で呆然としているエルセオーゼにも戸惑った。
一体何があったのか。
そう思っている間にセルジェスがついっと指を動かし、再び飛んできた針のようなトゲを伊織は跳ぶようにして避ける。腕や足を擦りむいたがそれどころではない。
(セ、セルジェスさんの指示で飛んだ? こんな魔法が? いや、その前になんで僕らを狙って……!?)
針は一本ずつしか飛ばせないようだが、次から次へと飛んできた。
バイクを召喚したいがヨルシャミを抱えているとバイクキーが挿せない。伊織は一旦木の根の陰を目指して走る。
「セルジェス、一体何を! まさか操られて――やめよ!」
エルセオーゼが叫ぶように言いながらセルジェスを止めたが、針が伊織たちに追いすがる。
伊織は木の陰に飛び込むとヨルシャミをそこにもたれかからせバイクを召喚した。
バイクは比較的連続して召喚しやすい。逆にリーヴァたちはまだ呼べないため逃げながらどうするか考えるのも手だ。
見ればエルセオーゼがどこからともなく生えてきたツタに捕まっていた。
バイクのサイドカーにヨルシャミを乗せ、彼の体をバイクに支えてもらいながら伊織は急発進させる。
「エルセオーゼさん! セルジェスさん!」
伊織はカラタチに似た植物をバイクで飛び越え、一気に距離を詰めるとエルセオーゼたちの真横に着地した。
やはりセルジェスの様子がおかしい。
何かうわ言のように繰り返しながら前を睨みつけている。高速で移動した伊織たちへの反応も鈍く、彼が気づいた時にはエルセオーゼに絡むツタを切りバイクに乗せることができたくらいだった。
しかし離脱する前に針が伊織の頬を掠める。
血が流れた。それを感じながら伊織は追撃から逃れながらバイクを走らせる。
(僕も毒で行動不可能になるかもしれない。せめてエルセオーゼさんを逃すためにバイクに指示を――……あ、れ?)
特に不調はない。
傷が浅いからか、と思ったがヨルシャミだってそうだった。
混乱していると後部座席に乗ったエルセオーゼが言った。
「あの木のトゲに毒はない」
「え……? じゃあヨルシャミはなんで……」
「セルジェスも操られているのとは少し違う」
どういうことですか、と問おうとした伊織は突如目の前に壁のような木の幹が現れ仰天した。
舌を噛みそうになりながら急停止する。
カラタチに似た木のように本当に突然現れたのだ。
止まったところで手に違和感を感じ、そしてそれがツタにより両手が拘束されたからだと気づくと冷や汗を垂らして後ろを見た。
「セルジェスは幻覚効果のあるキノコの胞子を嗅がせた。木々を操っているように見えるのは裾から中に入れたツタで手を動かし演技させているからだ」
「……あ、の」
「本人は過去に見た憎い魔獣でも見ているのだろう。……未だ過去の傷を癒せぬ哀れな息子だ」
そして、とエルセオーゼは言葉を重ねる。
「毒はこやつによるものだ」
「!」
エルセオーゼの長い袖の中からするりと現れたのは、小さな小さな百足だった。
それが伊織のうなじを噛む。
エルセオーゼは小さく息をつきながらそれを確認した。
「……瀕死の姿でここに現れてな、しかし魔獣に回復魔法が効くとは思わなかった。おかげで時間稼ぎに一役買ったわけだが」
百足は小さいながらも溌剌とした様子で地面に降りる。どこか晴れやかにも見えた。
伊織は一旦バイクのハンドル側に倒れ、しかしバイクが支えようとした甲斐なく地面へと崩れ落ちる。
エルセオーゼはバイクから降りると伊織の首根っこを掴んだ。
「奇異なる召喚獣よ。下手な真似をすればこの人間がどうなるかわかるな?」
そうバイクに言いながら視線をヨルシャミにやる。
彼はまだ動けないようだが、毒による痛みで失神も出来ない様子だった。
「……『あれ』を里の者認定しないかは賭けだったが、なんとかなったな」
伊織は自由が利かない中、なぜ、と激痛に耐えながらエルセオーゼを見上げた。
彼は冷たい目で伊織を見下ろす。
「ナレッジメカニクスを知っているだろう。儂は――彼らの『協力者』だ」
「……!」
「そして親切に答えてやってるのはな、時間稼ぎに隙がほしかったからだ。……今は手向け代わりに教えてやっている。なにせ……やっと、彼らが到着したのだ」
エルセオーゼが視線を上げた先。
そこには路地の出入り口があり、その先から現れたのは――あの日あの時伊織が見たのと同じオルバートと、ふらつく彼を支える眼帯の青年、そして一目でそれとわかるエルフノワールの少女だった。





