第386話 魔獣の両目 【★】
セルジェスは出し入れ自在な水の短刀を何本も作り出し、真っ先に魔獣の目を狙う。
鎧のような鱗に覆われた生物でも眼球は柔らかく、そしていくらこの魔獣が凄まじい回復速度を持っていたとしても刺さった短刀を残しておけば視力は奪えるだろうと考えたのだ。
しかしそれは魔獣も自覚しているのか、目を狙うものに対しては反射的且つ迅速で的確な動きで防御した。
短刀は太い腕に弾かれ、飛び退くように後退したセルジェスの腹を狙って爪が宙を掻く。
少しでも掠れば重傷は必至だ。
なおも後ろへ下がりながら別の短刀を魔獣目掛けて投げたが、それも腕に弾かれ――明後日の方向へ飛んでいったところで、セルジェスは指と短刀を繋ぐ細い水の糸をクンッと引く。
一気に引き戻された短刀は先ほどより速く魔獣の目を狙って飛んだが、咄嗟に頭を振った魔獣の角に弾かれ、目の代わりに熊の耳を引き裂いた。
その傷もすぐに治ってしまう。
しかし角に当たった際に大きな音と振動が魔獣の脳を揺らしたのか、ほんの数歩分だけたたらを踏んだ。
そこへリーヴァが後ろから飛びつき、魔獣の首を両腕でホールドする。
「窒息に高速回復が効くのか検証します」
「で、ですがそこは魔獣の手が届きますよ!」
「私のこれは仮初の姿ですので、多少の攻撃は痛くも痒くも……痛痒くはありますね」
魔獣が両手の爪を立ててリーヴァの太腿や胴体を引っ掻いた。血は出ていないがメイド服は無残に破れていく。
セルジェスが慌てて回復魔法をかけると、リーヴァは「少し痒い程度になりました。ありがとうございます」と淡々と礼を述べた。
そこへ伊織の命令を受けたサメが近づき、魔獣の腕に噛みついて動きを阻害する。
「一人で大丈――」
「リーヴァ! 無茶はしないでくれ!」
「わかりました」
「あなたには素直なんですね……」
セルジェスから見ると随分極端な対応に感じられたが、どうやら常にこういった状態らしい。
そもそも人間形態に変身する召喚獣というのも久しぶりに見た。いくら人間の姿をしており同じ言葉を話すとはいえ、考え方の根本はセルジェスには理解できない。それ故にそう感じるのだろうか――と思ったものの、再びサメをじっと見てしまい「リーヴァ」と伊織に窘められているのを眺めているとそういう訳でもない気がした。
その間にもずっと絞め続けられていた魔獣はついに膝をつき、項垂れたところでリーヴァが脈をとる。
そして止まっていることを確認するなり「念には念を」と脱力している首をごきんと折った。
「他の急所と思しき部分も破壊しましょうか?」
そう腕を緩めた瞬間。
まるで電撃でも受けたかのように魔獣の体が痙攣し、低い唸り声と共に呼吸が再開される。
口を半開きにしていたセルジェスだったが、魔獣がノーモーションで両腕を振り回したのを見て咄嗟にその場にいる全員に数秒持続する回復魔法をかけた。
リーヴァとサメは振り落とされ、伊織はバイクを急発進させ回避し、セルジェスは両腕で一撃を受けて背中から転ぶ。
傷が癒えきる前に二撃目がきたところで風魔法で地面すれすれを飛んできたヨルシャミがセルジェスを掻っ攫い距離を取った。
「やはり一筋縄ではいかないか。怪我は大丈夫か?」
「あ、ありがとうございます。大丈夫です」
「これは出し惜しみしているとこちらの首が持っていかれるな……」
しかし魔力を使いすぎたり属性の相性を無視して無茶な使い方をするとヨルシャミは倒れる可能性がある。こんな得体の知れない迷宮で無防備な姿を晒すわけにはいかない。
魔獣は回復を終えたようだが、ドラゴンの尾をじたばたさせて荒い息を繰り返していた。
しゃちほこのような形で引っ繰り返っていたリーヴァはぴょんと跳んで立ち上がると魔獣をじっと見つめる。
「……回復するとはいえ体力は有限のようです」
「そのようだ。何度も殺すというのも骨が折れるな」
「ですが有効な方法だと思われます。少しずつ、確実に削ってゆきましょう」
それしかないか、とヨルシャミは一度だけ目を伏せて伊織を見た。
「だが最後のトドメは相応の攻撃力が必要になる。……イオリよ! ニルヴァーレを呼べ!」
ニルヴァーレの魔石を自身の消耗軽減に使うより、伊織に憑依させ攻撃向きの戦力を増やした方がいいとヨルシャミは判断したのだ。
伊織も前衛として動けるがトドメを刺せるような魔法はまだ覚えていない。
魔力譲渡による強化も今のように外と比べて狭い空間だと危険だ。もしリーヴァが制御できない巨大化でもすれば本人もろとも潰れかねない。
ならば自分と同じく強力な魔法を使えるニルヴァーレを呼んだ方がいいだろう、というわけだ。
地上で調査中に一度憑依していたため、魔石は伊織が持っている。
伊織は頷くと一呼吸置いてからニルヴァーレを呼んだ。
(――正直言うと……こういう場面でお払い箱になるのは少し悔しいけれど……)
お払い箱、などと考えるのは不健全だと思い直す。
これから成長すればいいのだ。ヨルシャミやニルヴァーレに守られるのではなく、彼らを守れるくらいに。
それに伊織も「それがいい」と理解し納得していた。
なら、と最善策を実現するために伊織はニルヴァーレと交代する。
呼ばれるなり現状を理解したニルヴァーレは魔獣を見て「音だけ聞いてたけど想像以上に美しくない魔獣だな!」と顔を引き攣らせた。
「聞こえていたのなら話は早い。あれを殺すのに最善手はあるか?」
「回復は魔法によるものじゃないんだろ? なら治癒の難度を高くすればいい。……色々試し甲斐がありそうだね、久しぶりに検証実験とゆこうか」
ニルヴァーレは魔獣の周りに竜巻を作り出して閉じ込める。
そしてその内部に風の鎌を出現させると魔獣の体をばらばらに切断した。竜巻を解除するなりニルヴァーレはリーヴァに叫ぶ。
「リーヴァ! ちょっと君の炎で切断面を焼いてくれないか!」
「ニルヴァーレ様も火属性の魔法を使用できるでしょう、面倒くさがってバーナー代わりにしないでください。やりますが」
「相変わらず一言多いな!」
君の炎の方が高火力だからだよ、と笑いながらニルヴァーレは再び再生しかかっていた魔獣の断片を切りつけた。
リーヴァがそれらを燃やしている間、セルジェスはきょとんとした顔でニルヴァーレを見る。
「……イオリさんは一体……?」
「あれはニルヴァーレという者だ、あー……遠隔でイオリの体を借りている、と解釈してもらっていい」
そんなことができるんですか、と言ったセルジェスのリアクションは訓練時の騎士団そっくりだった。
切断面を焼く方法は途中で回復が上回り失敗。
次に切断した部位をそれぞれ風の檻に閉じ込める方法も頭部から体が再生し失敗。
その際残りの肉塊も完全回復後に本体へ戻っていった。
疲労はしているものの、肉塊が戻った分だけ更に大きくなった魔獣にニルヴァーレは眉を顰める。
「自己回復が過剰すぎるね、しかしこの捨て身のしつこさ……どこかで見たような……」
「私もだ。元から回復力に富んだ種族の再生暴走に近いように感じる」
「回復力に富んだ種族か……」
ニルヴァーレは片眉を上げ、しかしさすがにそれはないか、と思考を打ち切って次なる手を考えた。
「とりあえず今度は頭を消し飛ばしたらどうなるか試してみよう、さっきは頭部から再生していたから本体はあそこかもしれないしね!」
「いきいきとしているな……!」
「僕はこれでも君らに近い気質だよ、実験は嫌いじゃない。それに表に出ていられるのも時間の制約があるからね、限られた時間は有効活用しないと!」
そう言って前に出たニルヴァーレは魔獣の攻撃を躱しつつ風の拘束具を嵌めようとし――そこで魔獣と目が合った。
それまで片方は白目を剥いたままだったが、今しがたそれが両方元に戻ったのだ。
魔獣はそのままにっこりと微笑む。
突然のヒトらしい感情表現にニルヴァーレたちはほんの一瞬動きを止める。
そして――
『あァ……ら、ニル、ヴぁー……レ』
――そう、名前と共に発された声もヒトによるものそっくりだった。
伊達眼鏡ニルヴァーレ(絵:縁代まと)
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