第381話 オルバートはあいつの名前だ
静夏たちは負傷したランイヴァルを支えながら長い道を進んでいた。
小雨でも長時間浴びていれば徐々に体温を奪われる。元々体温の低い体では余計に――と、そう考えていた静夏は自分がさほど寒さを感じていないことに気がついて首を傾げた。
騎士団員と固まって移動していること、絶えず移動していることが理由だろうか。
しかしその疑問は先行していたモスターシェにより答えに導かれた。
「ワンッワンワ……揚げパン!」
「揚げパン!?」
「揚げパ……あれっ!? 喋れてる!?」
モスターシェはポメラニアンに似た犬の姿のままびっくりする。表情筋の使い方まで人間に近づいていた。
犬の状態のまま喋ることができるようになった。そのことに静夏たちも驚いたが、ベラが「もしかして……」とハッとする。
「幻覚の効果が切れてきてるんですかね?」
「部分的に? ……あ! 本当だ、かなり流暢に喋れるようになってるぞベラ!」
「ミカテラは声だけ男でかなりカオスよ!」
しかしもし効果が切れつつあるなら良い知らせだ。
静夏が試しに深呼吸すると肺に感じていた重苦しさが消え失せていた。筋力はまだ戻りきっていないが、立っているだけで疲労するということはない。
「ランイヴァルはどうだ?」
「……血が足りないせいかと思っていたのですが、じつはさっきから……」
「さっきから?」
「目線の高さだけ元の身長と同じ位置で酔いそうになっています」
「それは……酔うな……」
しかし元に戻った時の予行練習だと思えば耐えられます、とランイヴァルは白い顔のまま微笑んでみせる。
「ところで」
ランイヴァルは少し逡巡しながらモスターシェを見た。
「……なぜ揚げパンなんだ?」
「はい! 意味ある言葉を発してもミカテラ以外に満足に伝わらないので、吠えて呼ぶ際は途中から今食べたいものを叫んでました!」
何をやっているんだ、しかし気持ちはわかる、という表情をそれぞれが浮かべる中、ミカテラだけが「なんか妙に腹が空くと思ったら……」と別角度から共感している。
「モスターシェよ、早く帰って美味しいものにありつけるといいな」
「はい、その時はマッシヴ様もご一緒しましょう! ……ん、ん?」
不意にモスターシェがひくひくと鼻を動かしてあちこちを見た。
どうした、と問うと彼は前足で自分の鼻を指す。
「嗅覚は犬のままなんですが、我々のものではない血の匂いがしまして……」
「血の匂い。それは穏やかではないな」
他にもナレッジメカニクスの手先が潜んでおり、それに仲間が襲われたのだろうか。静夏はそんな想像に不安を覚えながらも前へと進む。
「罠かもしれないが、もし仲間なら駆けつけてやりたい。それまでにもっと幻覚が解けていれば戦力にもなれる。匂いのする方向へ案内してくれないか、モスターシェ」
「もちろんです、こっちですよ!」
カチャカチャと爪を鳴らして再び先行するモスターシェの背中――もとい、尻を追いながら一行は進んでいった。
***
「オルバート?」
バルドが口にした名前にナスカテスラは視線を少年に向けた。
ナレッジメカニクスの話はヨルシャミから聞いている。その首魁の名がオルバートだ。
少年の姿をしているものの実際には数千年は生きているというが――認識阻害の魔法がまだ残っているせいか、どんなオーラをしているのか拝むことは叶わなかった。
ナレッジメカニクスの話はステラリカにも通っている。同じく少年を見たステラリカは不思議そうな顔をした。
「敵対組織のボス、ですよね。でも何だか凄く疲弊してるみたいですけど……」
少年、オルバートは乱れる呼吸を押さえるように胸元へ手をやっている。
あまりにも苦しげな様子に医学を有する者として何かしてあげたくなったが、ナレッジメカニクスのボスならそのようなことはできない。
オルバートは明るい赤紫色の瞳でこちらを見つめながら一歩、また一歩と近づくが、そのたび疲労困憊しているように見えた。
連れの二人もその様子を訝しんでいるようだったが、自分の意思で進む首魁を止める気はないのかそのまま随行している。
「君は――」
そう言いながらオルバートが手を伸ばした先。
そこには座り込んだままのバルドがいたが、言葉を続ける前に黒髪の少女がその手を制した。
「オルバ、これ以上近づいては駄目よ。あれは聖女の仲間なんだから」
「……大百足はやられたようですね」
水色髪の青年が血だまりに落ちたバラバラの大百足を見て呟く。
実際には分裂体が逃げたが、それをわざわざ知らせることはあるまい、とナスカテスラは己の魔力残量を確かめながら三人を睨んだ。
「君たちはナレッジメカニクスってやつか!」
「あら、もう把握してるのね? わたしたち結構びっくりしたのよ、まるで秘密基地に突然大勢の人間が踏み込んできたみたいだったんだもの」
「それは悪いことをしたね、けどだからってこんな大掛かりな魔法に巻き込まないでほしかったかな!」
「ちょっとやりたいことがあったから仕方ないわ。……いいことを教えてあげましょうか?」
黒髪の少女はぎざぎざと尖った歯を覗かせて笑うと言う。
「そのやりたいことに貴方たちは関係ない。不用品なの」
そのまま流れるような動きで片腕を振るうと、瞬時に召喚術用の魔法陣が宙に浮かび上がった。
身構えたナスカテスラたちの雰囲気でようやくバルドも立ち上がる。
しかしその表情は未だに戸惑いに染まっていた。
「オルバートは……オルバートはあいつの名前だぞ、なんでお前が……」
この場に似つかわしくない言葉。
それを耳にした瞬間、少女は召喚陣から双頭のカマキリを呼び出した。バルドたちとオルバートたちの間に現れたそれは出てくるなり巨大な鎌を一閃する。
鎌は光を反射するほど刃物に酷似しており、波紋が波打ち際のような青と白をしていた。その刃に自分の顔が映ったところで、我に返ったバルドは慌てて後ろに引いたが一歩遅く、袈裟懸けに胴を切りつけられる。
「バルドさん!」
「……っだ、大丈夫!」
ばっと咲いた血の花を押さえよろめいたバルドだったが、ステラリカにそう答えて顔を上げる頃には傷が塞がっていた。
それを見て驚いた顔を見せたのはセトラスだ。
(回復した? ……この感じ、もしかしてオルバートと同じような力では)
そう考えながら無意識にシェミリザを見る。
すると彼女は薄ら笑いを消していた。ただ表情がないのではなく、その根底に何か冷たいものが流れているような顔だ。
この表情は前にも見たことがある。
聖女の息子とバイクを観察していた時のものだ。
さすがにどういうことかと問おうとしたが、その前にオルバートが呻いて地面に膝をついた。
「オルバート?」
名前を呼んでみたが返事をする余裕もないらしい。
頭を抱えているオルバートの後頭部にシェミリザが手の平を当てる。
「オルバ、あなたやっぱり本調子じゃないのよ。今は休んでおきなさい」
そう言って魔法を発動させるなりオルバートは気絶するように眠ってしまった。否、恐らく眠るように気絶したのだろう。
「シェミリザ、さすがに敵の前でこれは……」
「ちゃんと後片付けはするわ」
シェミリザは召喚獣の他に多数の黒い人影を作り出した。
カマキリの召喚獣と合わせてバルド、ナスカテスラ、ステラリカの三人を四方から追い詰めていく。
黒い人影はそれぞれに殺傷能力はなかったものの、巧みに動いてカマキリの攻撃サポートをする。
何度目かの一閃が煌めき、バルドは飛び退いて避けようとした。だがその前に体がぐらつく。ついに我慢できないほどめまいが強くなったんだ、と本人が気づくのと、カマキリが先ほどとは違い追撃も視野に入れて一閃後の返す刃で二撃目を加えたのは同時。
それは、バルドの頭と首を的確に捉えていた。





