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【本編完結】マッシヴ様のいうとおり  作者: 縁代まと
第九章

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第380話 リータのまぼろし

 サルサムたちは濃い霧の中を進んでいた。

 小雨がやんだ代わりに湧いて出た濃霧の影響で、すぐ隣ならわかるが一メートルでも離れてしまえばシルエットすら捉えるのが難しくなっている。


 通路ならはぐれる危険は少ない。

 だが今までの経験上、広いフロアに出ることが時折あった。


 その際にはぐれては困るから、とサルサムは互いの体をロープで繋ぐことを提案したが――ミュゲイラの「あたしが咄嗟に動いたらふたりごと振り回しちゃいそうだな……」という一言により却下された。こちらのほうがリスクが高い。

 適度に強い力がかかると切れるロープなど持ち合わせているはずもなく、サルサムは苦肉の策として手を繋ぐことを提案した。


 ただし。


「……なあ、やっぱこれってちびっ子みたいな気分になるからさー、サルサムとあたしの位置を交換――」

「右手を怪我してるもんでな」

「こういう時だけ怪我人アピールするー!」


 並び順はサルサム、ミュゲイラ、リータだった。

 ミュゲイラは「サルサム、お前絶対リータと手を繋ぐと気まずくなるからだろ」とわかっていたが、言わないでおくだけの善意はあるため喉まで出かかった言葉をぐっと飲み込む。


「とりあえず小雨と濃霧の境界線が綺麗に分かれていたところを見るに、この霧は人工的なものだという可能性がある。範囲も限定的かもしれない。少しでも薄くなったら放してやるから今はこのままでいこう」

「ふたりともあたしが担いで移動してもいいと思うんだけどなぁ」

「お姉ちゃん、それだと私たちが咄嗟の時に動けないでしょ」


 リータにたしなめられたミュゲイラは「そうだけどさ~」と眉をハの字にした。

 手繋ぎならすぐに解除できるが、担いでいると一旦下ろす動作が必要になってしまう。こうなるとリータたちが咄嗟に動けないだけでなくミュゲイラの初動も遅れるだろう。

 それが命取りにならないと断言できるような場所ではないため、ミュゲイラも理解はしているが、それはそれとして不満はある。


 ひとまず霧が薄くなることを祈りながら歩いていると、予想通り広い場所に出た。


 しかし濃霧のせいで空気の流れから感じた『広い』ということしかわからない。

 三人は警戒しながら前へと進んでいく。


「壁沿いに進んできゃ他の道に辿り着くんだろうけど……やっぱ先が見えないのって不安だな。うう、マッシヴの姉御ならこんな霧なんてパンチひとつで吹き飛ばせるのに……!」

「そこまで出来……いや、出来そうだな」


 そうサルサムが呟いた時、まるで後ろにぐいっと腕を引っ張られるような負荷がかかってつんのめった。

 ミュゲイラが足を止めたのか。

 そう思いそちらを見ると、ミュゲイラも同じようにリータのほうを見ていた。


 リータは足を止めて霧の向こうを凝視している。


「……えっ、嘘……」


 ただ一言、そうぽつりと零したリータの姿が濃霧に紛れて見えなくなる。

 突然のことにぎょっとしたサルサムはミュゲイラに声をかけようとしたが、その姿まで掻き消えて唖然とした。

 さっきまで掴んでいたはずの手の感触すらない。

 今は手の平が空を切るばかりである。


(なにが起こった? 霧は他の場所に出ているものと同じだった。とするとこのフロア由来のトラップか……?)


 サルサムは冷静に頭を働かせつつ壁に手をつける。

 とりあえずここから離れなければ四方を霧に囲われて迷うことはない。


 しかし唐突にいなくなったふたりをどうやって見つけるべきか。

 それぞれ名前を大声で呼んでみたものの、返事はない。代わりに霧のせいで正確性には欠けるが、音の反響から考えて先刻立ち寄った休憩スペースよりは狭そうだ。


(特に争ってるような音はしない、か……足止め目的のトラップならいいんだが)


 混乱に乗じて第二の攻撃トラップが発動する形だった場合、ふたりが危険になる。

 そう考えていると――サルサムの真後ろから、こつりと靴音がした。


     ***


 リータはそれがまぼろしだと頭では理解していたが、思わず零れた言葉を止めることができず、声を発した瞬間に唇を噛む。

 直後、ミュゲイラとサルサムの姿が見えなくなって現実に引き戻されたが、そのまぼろしだけは消えることはなかった。


 橙色の髪をした男性と、薄茶の髪をした女性。

 それぞれフォレストエルフで、女性の赤い瞳は同じものを毎日見ている。

 男性の緑の瞳はもう随分と久しぶりに見るものだった。


「……パパ、ママ」


 リータとミュゲイラの両親だ。

 今までリータはもうほとんど両親の顔を思い出せないでいたが、こうして目にするとやはり一瞬で自分たちの親だとわかる。

 しかしふたりは亡くなったのだ。幼かった姉妹を絶望させるほど嘘偽りなく。


 訝しみながらも声をかけると、ふたりは微笑んで手招きをした。

 ――幼い自分を呼び寄せる時にしていた仕草だ、と不意にリータは思い出す。

 そうやって突発的に思い出す事柄が多く、冷静になりたいのに頭が混乱した。


(そうだ、パパはお姉ちゃんと同じ髪色をしてて……それがちょっと羨ましかった。ママは手作りのミートパイがすごく美味しくて、三日連続で昼ご飯にリクエストしたこともあって……)


 父親の名前はリズ。

 魔法弓術が上手く、教えることにも秀でていたためリータも初めは父に習った。

 ミュゲイラには魔法弓術の才能がまったくと言っていいほどなかったが、特に落ち込む様子もなく遊び回る姿を見て父親がホッとしていた顔を思い出す。

 そんな常に優しい父親だった。


 母親の名前はメオリア。

 リータに裁縫を教えてくれたが、その頃のリータは失敗が多かった。

 裁縫の才能が花開いたのはミュゲイラとふたり暮らしになってからだ。

 成長した技能を披露できないことをリータは心から残念に思う。

 しかし――今持っている裁縫技術の端々に、母親から初めに教えてもらった基礎の面影が残っている気がした。


 つい駆け寄りそうになる。

 そんな危ないことをしてはならない、と心のどこかで自分自身が警鐘を鳴らす。

 それと同時に浮かんだ疑問はとても魅惑的なものだった。


(……まぼろしでも、もしかして触れられるの……?)


 長い間、両親に触れていない。

 墓に触れることはあれど、体温の温かさは忘れてしまった。

 しかし忘れたと思っていても細部まで再現されたこのまぼろしならどうだろうか。

 生きていた頃の両親にほんの一瞬でも触れられるとしたら――それはリータにとって心の中の宝物になる。


「……」


 そろりと足を進めて目前まで行くと、両親は目を細めてリータを見つめた。

 特になにかしてくる様子はない。


 一瞬だけ。

 さっきのように、手を繋ぐだけ。

 そんな気持ちで伸ばしかけた腕を掴んだのは、力強く大きな姉の手だった。


「リータ、やめとけ」

「お姉、ちゃん?」

「こいつらまぼろしだ。……っつってもわかってるかもしれないが。幻影に触れたってなにもいいことないぞ。本物の思い出を上書きされるだけだ」


 ミュゲイラは引いた腕ごとリータを引き寄せると手を握る。


「お前が繋ぐべき手はこっち」

「……お姉ちゃんは本物? 同じまぼろしが見えてるの?」

「おう、さっきまであたしも別のまぼろし……姉御のまぼろしを見てたんだけどさ、姉御はそんなことしねー! って殴ったら消えちゃったんだ。そしたら他の奴が見てるまぼろしも見えるようになって……まぼろしを打ち破った奴の特典とかか?」


 そしたらパパとママとお前が見えたんで全力で走ってきた、とミュゲイラは歯を覗かせて笑った。

 リータはほんの少し視線を下げる。


「……でも、上書きされるもなにも私はもう覚えてないの。パパとママの声も体温も。だから――」

「覚えてないなんてことはない。頭のどこかには必ず残ってる。だって……」


 ミュゲイラは繋いだ手越しにぽんぽんとリータの手を撫でた。


「……生きてた頃のふたりはお前のこと、目一杯抱き締めたり撫でたりして可愛がってたんだからさ」

「……!」


 姉に与えられた手の平のぬくもり。

 その体温を感じた瞬間、リータはそれにそっくりの感触を手が覚えていることに気がついた。


 父も、母も可愛がってくれていた。

 それを自分はちゃんと覚えていた。

 なら――


「……たしかに、これは上書きしちゃダメね」

「だろ?」


 姉妹で顔を見合わせて笑い合い、魔法弓術の矢を二本、天に向かって放つ。

 ミストガルデのフォレストエルフには故人を送る時に手向けとして天に矢を放つ習わしがある。それを思い返しながらリータは霧の向こうに消える矢を見送った。


 矢はそれぞれ見えない天井に阻まれて跳ね返り、地面に向かって落下していったが、それはリータの狙い通りにまぼろしの両親を貫いた。

 矢が地面に当たって消え去る頃にはまぼろしもゆらりと霧に紛れるようにして掻き消え、霧の中の静けさだけが残る。


 両親が立っていた場所を一度だけじっと見つめたリータは気持ちを切り替えて姉を見上げた。


「サルサムさんは? もしかしてお姉ちゃんもはぐれちゃった……?」

「あー、見事に。けどまぁあいつなら大丈夫だろ」


 どんなものに対しても冷静であろうとする人間だ。

 こんな怪しい状況なら身内のまぼろしだろうが惑わされることはないだろう。

 ひとまず壁がありそうな方向に戻ってみよう、と姉妹で足を進めていると。


「……」

「……」


 ふたりは無言になる。

 サルサムに馬乗りになっている見覚えのある後ろ姿が見えてきた。

 馬乗りになっているのは薄茶のふんわりとした髪と赤い瞳を持つフォレストエルフ、つまり完全にリータである。


 サルサムはサルサムでなにやらしどろもどろになっていた。

 まぼろしだと理解しているのかどうかも怪しい。


 たしかに自分たちと違い、つい先ほどまで一緒にいた仲間が現れれば騙される可能性は高まるだろう。そう考えつつミュゲイラは低く呻いた。


(そうだな、お前ってリータのことになると調子がメッタメタに狂うんだよな……)


 今まで見てきた様子を思い返しつつ思う。

 そして手を繋いだリータが仄かに赤い耳を上下させながら目線で「なんで? なんで?」と問い掛けてくる様子に耐えかね、ミュゲイラは倒れたサルサムの脇にしゃがむとその頭をげんこつで叩いた。


 その音はこつんでもごつんでもなく、ドゴンッだったという。

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