第379話 ふたりの戦い方
神経節だけで動いているとは思えないほど大百足は俊敏だった。
のたうつ動きは残った触覚で位置を確認するため。
体毛に触れた空気の動きや反射した音までもをつぶさに拾い、近づけばすぐに感知される。
しかしナスカテスラはその反応速度を凌駕していた。
彼は風と水系統の魔法を使用でき、回復魔法以外では風の補助による高速移動を得意としている。
そこに強化魔法を加え、人離れした動きで大百足を翻弄しながらバルドに叫んだ。
「こいつは全身の神経節で動いていると仮定しよう! ということはすべて一気に叩くのが一番だが、そこまで大きな魔法は使えない!」
「めちゃくちゃ厄介だな!」
厄介だよ! と答えながらナスカテスラは大百足をステラリカから引き離すように動いて言った。
「いいか! 時間制限付きだが今から同時に多数の魔法を使う! バルドにもだ! 君は可能な限りこいつを細切れにしてくれ、俺様が一欠片ずつ完全に潰していく!」
地道だが脚を狙っていた時も同じようなものだった。
あの時と違うのは「この後に倒れると困るから力を温存しておこう」という一種の手加減をナスカテスラが取り払ったことだ。
バルドは頷くと手持ちの中で一番刃渡りのあるナイフを構える。
ナスカテスラの強化魔法は筋力と刃の強度を手助けし、そして毒の時とはまた違った痛みをもたらした。
「過度な強化魔法は武器なら劣化を早め、生き物なら筋組織を摩耗させて内部に損傷を与えるんだ。だから動けばもっと痛むがいいね!」
「おう! っていうかお前の回復魔法のおかげでかなり軽減されてるだろこれ!」
バルドの体は自動修復するが、そこにナスカテスラの回復魔法も加わって本来よりも痛みが減っているだろうとバルドは感じた。
ナスカテスラは「ちょっとだけね!」と笑ってみせる。
当のナスカテスラも相当の痛みと共に動いているのだろうが――ちらりと見える肌に内出血が浮かび上がるたび、回復魔法がそれを癒していく。
体の組織を内側から引きちぎり、無理やりポテンシャル以上の力で動く。
それを高度な回復魔法で常時癒していく。
(……なるほど、親近感ってそういうことか)
回復性能に任せて無茶をする無謀な戦い方だ。
納得しながらバルドは息を大きく吸い込む。
回復魔法には相応の集中力が必要だ。
回復手と攻撃手を同時に担うのは相当の負担のはず。時間制限というのは魔力の残量についてだけでなく、これも同時に関係しているのだろう。
――手早く決着をつける。
そうバルドは心の中で数度繰り返し、回復を受けてなお続くめまいに眉根を寄せつつも体幹をブレさせることなくナイフを一閃した。
何度も痛い目を見せられた最終歩肢から少し手前に刃が滑り込む。
それは刃の侵入を拒んでいた体毛すら切断して最後まで切り落とした。
ナスカテスラが瞬時にそれを水で覆う。
――すると、折れるのではないかというほど力んだ指で鳴らされたパチンッという音と共に水が沸騰し、内部の大百足の一部があっという間に茹った。
「百足には熱湯を、ってよく聞いたけどここで見ることになるなんてな……!」
そう感心しているとナスカテスラが真っ赤な血を吐血し、バルドは仰天する。
沸騰は火属性の魔法も関わっているらしい。火属性は風とは相性が良いとされるが、水はあまり良くはない。つまりナスカテスラも得意ではないのだ。
バルドは流血するヨルシャミを思い出し、一瞬動きを止めそうになったが――吐血のダメージすら癒してすぐさま持ち直したナスカテスラを見て杞憂だったと知る。
「はあ……回復魔法は便利だけど相性の悪い属性が多くてイヤになっちゃうね!」
「はは、なら早く休めるように……次にいくぞ!」
「準備はできてるよ!」
大百足の脚に手足を傷つけられながらもバルドはナイフを構え直した。
部位を次々と切り落とし、神経節ごと機能を奪い、順に少しずつ無力化していく。
大百足もおぞましい動きで抵抗したが、体が減っていくたびバルドとナスカテスラにダメージを与える頻度が減った。
ナスカテスラも自ら近づいて圧縮した水――高圧ジェットを何十倍にも強めたような代物で大百足の胴体を切断する。
大百足を含む全員の流血で足下が濡れて滑るようになった頃、ようやく大百足の最後の一片がとどめを刺されて地面に転がった。
鉄の臭いが濃い。
そんな中で全身の力を抜いたバルドは尻もちをつくようにして座り込む。
「……ッ終わった~!」
「いやあ、ギリッギリだったな……!」
同じく全身から力を抜いたナスカテスラは口の中に残った血を吐き捨てた。
そこへステラリカがおぼつかない足取りながら走り寄ってくる。
「叔父さん! バルドさん!」
「無事だよ!」
「俺も無事だ」
問われる前に答えたふたりはステラリカを労おうとし――その時、バルドは視界の端に映った『それ』に気がついて大きく目を見開いた。
自切された大百足の頭部。
脳があったと思しき場所から外殻を破り、血濡れの小さなものがぬるりと抜け出してきたのである。
それは小さな小さな、それこそ普通の百足のようなサイズになった、しかし体毛などの特徴はそのまま残した魔獣だった。
「は――」
発した音が疑問形になるより先にバルドはほとんど条件反射のようにナイフを投擲したが、それを避けて小さな百足は一目散に逃げていく。
ナイフが地面に弾かれる固い音だけが虚しく響いた。
「な、なんですか今の……!?」
「緊急時用の分裂体、か?」
ナスカテスラも追おうとしたが百足の足は恐ろしく早く、その判断に至った頃には路地の向こうへと消え去っていた。
逃げたのだ、と遅れてしっかりと理解する。
「魔獣があんなにも恐れ戦くように逃げるなんて初めて見たな……ああ、いや、初じゃないか」
バルドは百足の消えていった方向を見て呟いたが、その時にふと思い出したのは伊織に化けた不死鳥だった。
バルドの角度からでは表情までは窺い知れなかったが、相当慌てた逃げ方だったのは覚えている。
新世代の魔獣ほど感情が現れる傾向にあるのか、それとも別の理由か。
バルドにはわからなかったが、ひとまず危機が去ったことはわかった。
「なあ、ちょっと汚れてるけどさ、少しだけここで休んでから――」
出発しないか。
バルドがそう訊ねながらナスカテスラを見上げると、彼はまったく異なる方向を見て歪んだ眼鏡越しに目を丸くしていた。ステラリカも同じ方向を見ている。
一体なんだ、また別の魔獣か、とバルドも視線を追うと、一番離れた通路への出入り口に人影が見えた。三人組だ。
その中に小さな人影がふたつ並んでいたため、バルドは咄嗟に伊織とヨルシャミを思い浮かべたが、立っていたのは銀髪の少年と黒髪に褐色の肌を持つ少女だった。
その脇に立っているのは水色の髪をした見たこともない青年だ。
「……いったい誰だ?」
認識阻害の魔法を使用しているのかオーラらしきものは見えないが、思わず目を凝らしたナスカテスラが呟く。
ふらつきながら立ち上がったバルドは瞬きもせずに三人を――否、たったひとりを見据えた。
初めて目にしたが、事前に話に聞いていたからこそわかる。
そう思ったが、しかしそれより先に本能的に理解したようにも思えた。
そして喉を突いて言葉が出る。
「……オルバートだ」
なんの確証もなかったが――それは、決して間違いではないように感じた。





