第378話 自切 【★】
大百足も一度受けた攻撃には過敏になる。
バルドが顎を狙うたび、大百足は大きく伸び上がるようにして頭部への攻撃を回避した。
代わりに脚や腹を狙われたが、回復手のなくなったふたり――特にステラリカへの反撃がよく通るようになり、大百足は逃げることより恐ろしい敵の排除を優先する。
熱に侵された頭でもなんとなく理解したのだ。
バルドは毒も攻撃も効きが悪いが、ステラリカは攻撃が通るということは通常通り毒も効くかもしれない、と。
「――っ!」
ステラリカは己の腕と胴の間を飛び去った毒針にぞくりとする。
避けた直後に新たな複数の毒針が迫り、先ほどの一本は気を逸らすためのものだったのかとステラリカは歯を噛み締めて地面を転がった。
(集中的に私を狙ってる……さすがにどっちが攻略しやすいか気づかれたみたいね)
正常な敵ならもっと早くに判断を下していただろうが、様子のおかしい大百足もようやくそれに気がついたわけだ。
だがそうなっても悪いことばかりではない。
「……っバルドさん! こいつが私を狙っている間は隙ができます! その間にやってください!」
バルドはなにかを言いかけたが言葉を飲み込んだ。
きっとステラリカの身を案じた言葉だったのだろうが、代わりに「頼んだぞ!」と短く声をかけて大百足の死角へと移動する。
大百足は毒針を飛ばす際に地面に体を打ちつける。
並の人間ならそれに巻き込まれた段階で四肢がばらばらになるほどの衝撃だが、バルドは臆することなく近寄ると大百足が再び体を打ちつけて頭部が下りたタイミングで飛びついた。
頭部を羽交い絞めにし、腕で目を隠して上から顎を狙う。
狙いやすさでいえば後頭部だが、ダメージが蓄積しているのはやはり顎だ。
突如視界まで奪われた大百足は血泡を吹いたまま暴れたが、その血泡が道しるべでもあった。
「そろそろ大人しく、しろッ!」
バルドは毒牙の上にある顎をナイフで突き刺す。
ナイフの根元がぐらつく衝撃があったが、折れずに根元まで深く突き刺さった。
大百足は体毛や血液がそうであるように脳も哺乳類に近いものを持っているのか、そこへ至ったナイフの切っ先により致命的なダメージを負ったようだ。
発声器官はないものの顎を大きく開き、痙攣する。
そして――唐突に頭がごとりと落ち、バルドは目を丸くした。
「……えっ、なんだこの死に方、……!」
頭部に取りついていたバルドはぎょっとしながら着地したが、その背を大百足の脚が凄まじい勢いで叩いた。胴体だけが自在に動いている。
それを見たステラリカは呆気にとられ、バルドはあることを思い出していた。
虫の百足は頭を潰しても全身に点在する神経節で動くことが可能だ。
大百足は百足の外見をした哺乳類型の魔獣ではなく、両方の特性を持った魔獣なのかもしれない。
(そして使い物にならなくなった頭部を自切して胴体任せに切り替えたっていうのか……!?)
なんて厄介な魔獣だ、とバルドはよろめきながら血反吐を吐く。
頭のない大百足は常に体を地面に叩きつけるような奇天烈な、しかし見る者の本能的な恐怖を誘う動きを繰り返して周囲に毒針を飛ばした。
そこかしこで地面や固い植物の壁に当たった毒針が高い音を響かせている。
「見えないからって手当たり次第かよ! ステラリカ、なるべく離れて逃げろ!」
「は、はい!」
近ければ近いほど命中する確率が高くなるだろう。
ステラリカは頷きかけ――動けないナスカテスラが危ないと悟り、離れるより先にそちらへ向かって走り出した。
ステラリカの鼻先を毒針が飛んでいく。
毒針は長いもので片腕ほどの長さ、短いもので人差し指ほどの長さとばらつきがあったが、大百足は長さに関わらず大事に温存していたそれらをすべて出しきるつもりでいるようだった。
倒れたナスカテスラは面積が少ないが、地面すれすれを飛んでいる毒針も多い。
自身に強化魔法を目一杯使ったステラリカは数秒でナスカテスラの元に辿り着き、硬化させた皮膚で毒針を弾いたが――この状態を維持できるのは数秒のことだ。
それでも叔父が目覚める時間を稼ぐ。
そんな必死な、そしてそれ故に単純明快な想いで毒針を防いだ。
「なっ……!」
だが強化魔法が解けたタイミングで毒針がステラリカに向かって飛ぶ。
まっすぐ飛んでくるものなら自前の動体視力でどうにか捉えられるが、それは地面に当たったことで折れて跳ね返った毒針の先端だった。
斜めの角度からの不意打ち。
それを飛びつくように伸ばされたバルドの手の平が防ぐ。
「バ――」
「ふたりとも、っ……なるべく俺の後ろに、隠れとけ」
到底収まりきらないものの、両腕を広げて自分の陰にナスカテスラとステラリカを隠したバルドは掠れた声で言った。
後頭部に、背中に、足に、腕に毒針が刺さっていく。
その都度バルドは透明な液体と赤々とした血を口から零したが、無効化しても毒を受けたその一瞬は効果があるため、致死量を越えに越えたそれは全身に激痛をもたらした。
それでも膝を折らずにひたすら立ち続ける。
「バルドさん……」
ステラリカは効力が薄くとも回復魔法を使いたいと心の底から思ったが、才能がそれを許さなかった。
せめて痛みを無くせられればいいのに。
そう鎮痛剤を探すも、即効性があり効果の高いものは持ち合わせていない。
「!」
そこへ小さな毒針が擦り抜けて飛んできた。
このままではナスカテスラに当たる。
ステラリカは咄嗟に叔父に覆い被さり、その肩に激しい痛みを感じて引き攣った声を上げた。
毒針の毒は牙のものとは違い、平衡感覚を強く狂わせてくる。
刺さった針の痛みに気をとられているとあっという間に地面についているのが足なのか手なのかわからなくなった。
(これを、あんなに刺されて立ってるの……!?)
ステラリカは虚ろな目でバルドを見上げる。
たった一本でこれだ。最初にバルドが刺された時のことを考えると彼にも効く毒である。
いくら体外に排出できるとはいえ、あまりにも壮絶な状態ではないか。
「……」
気がつくと毒針の雨は止まっていた。打ち尽くしたらしい。
バルドの背後でのたうちながら移動する大百足が見えたが、ステラリカはほんの少し動こうとしただけで何メートルも跳び上がったような感覚に襲われ、しかしその直後に地面に頬を擦りつけているような気持ちになり胃の中身が出そうだった。
そのままか細く唸りながら涙を堪える。
(なんで私はこんなに役に立てないの……!)
前衛としてはよく動けた方だろう。
しかしいざという時に、ステラリカ本人が動きたいと思う時に、最善手を逃してしまう。
それを何度も味わってきたが、今もやはりこうして手が届かない。
自分は自分の理想を叶えられないのだ。
そう思い知らされた。
「……ステラ。なかない、なかない」
狂った感覚の中、聴覚は正常に機能していた。
それが叔父の声を拾い、ステラリカは何度も瞬きをする。
気がつけばいつの間にか庇って守っていたナスカテスラが目を開けていた。
「おじ、さ……」
「よくがんばったね」
ぽんぽんと背中を叩かれ、そこから解毒魔法により毒が抜けていくのを感じてステラリカは細く長く息を吐く。
そのまま泣いているステラリカを抱くように体を起こすと、ナスカテスラはバルドを見上げた。
「すまなかったね、バルド! いやぁもうあんなこと言った直後にやられるとか恥ずかしいったらありゃしない!」
「ほんっとにな!」
ナスカテスラはバルドに回復魔法をかけて痛みを和らげる。
刺さっていた毒針は抜け落ち、ようやく腕を下ろしたバルドは震える息を一度だけ吐き出して振り返った。
「逃げてもいいけど、アレ、殺っとかないか。もし伊織たちや他の奴らのところに行ったらヤバいだろ」
「毒針がまた生えてくるタイプだったら厄介だしね! 休んでた分、今度は俺様も前に出るよ!」
ふらつきながら立ち上がったナスカテスラは自分にも回復魔法をかける。
「前に?」
「そう! 後衛特化じゃないっていうのは本当だ! ……ステラはここでやすんでなさい」
解毒魔法や回復魔法をかけても削げた体力そのものは戻らない。
失った血も同様である。
だからこそサポートが必要だ。まだやれる、と立とうとしたステラリカは叔父が目覚めて緊張の糸が切れたのか、足が震えて立てないことに気がついてハッとした。
ナスカテスラはそんな彼女を座らせてバルドと並び立つ。
「バルド、俺様は君の戦い方に親近感を持ってるんだよ?」
ナスカテスラはステラリカに似た強化魔法を足にかけながら言った。
その状態でも常時回復型の強力な回復魔法が展開され続けているのは見る人が見れば肌が粟立つような光景だった。
彼がそっと腰を折って拾い上げたのはレンズが割れ、ぐにゃりとフレームが歪んだ己の眼鏡だ。大切に扱ってきた眼鏡だが一瞬の間に酷い姿になってしまった。
それを不格好なまま、まるで日常の仕草と同じようにかけ直し、ナスカテスラはまったく気圧された様子もなく口角を上げてみせる。
「――さあ、二度と気絶なんぞしてやるものか! 卓越した治療師の戦い方ってやつを見せてあげるよ!」
ナスカテスラと壊れた眼鏡(絵:縁代まと)
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